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二度目の夜明けを <第2章スタート>  作者: ret_riever
1章 革命の残り香 *1話〜15話

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紅の黎明の日記

ルッツ12歳。母ヒルデの戦死から10年。

母の日記を見つけたのは、十二歳の冬だった。


 屋根裏の掃除をしていた。父に頼まれたわけではない。この家に来て十二年、一度も開けられた形跡のない屋根裏の扉が気になっていただけだ。


 前世の癖だ。閉ざされた場所には、誰かが隠したものがある。コンビニのバックヤードの奥にも、店長が隠した在庫誤差の報告書があった。人は見られたくないものを、目の届かない場所にしまう。


 屋根裏は埃だらけだった。古い家具、使われなくなった調理器具、木箱に詰められた衣服。どれも母のものだろう。父が捨てられず、かといって目に入る場所にも置けず、ここに押し込んだ。


 木箱の一つに、革装丁の帳面が入っていた。


 表紙に名前はない。だが開いた最初のページに、見覚えのある筆跡があった。家に飾られた書状と同じ、力強く、それでいて丁寧な文字。


 母の、日記だった。


          ◇


 最初の日付は、革命の始まる一年前だった。母は十五歳。


「今日、初めて魔法を使った。火が灯った。小さな、小さな火。でも、これは私の火だ。貴族の血など関係ない。私にも魔法は使える。誰にでも使える。この事実を、世界に証明しなければならない」


 十五歳の少女の言葉だ。まっすぐで、迷いがない。文字の一画一画に力がこもっている。


 ページをめくる。


 革命の始まり。仲間との出会い。ヴェルナー・グラーン、マグヌス・シュタインといった名前が登場する。


「ヴェルナーは頭がいい。戦略を立てるのは彼の仕事だ。マグヌスは貴族の出だが、我々の理念を信じてくれている。彼がいなければ、旧式魔法(アルテ)の術式体系を理解することは不可能だった」


 革命の初期。理想に燃える若者たちの記録。読んでいるこちらまで熱が伝わってくるような筆致だった。


「すべての子供が魔法を学べる世界を作る。血統で未来が決まる世界を終わらせる。そのために、私は戦う」


 この頃の母の文章には、影がない。前だけを見ている。


          ◇


 中期の日記。革命戦争の真っ只中。


 文字が変わっていた。書く速度が上がったのか、筆圧が不安定になっている。


「第三中隊が全滅した。隊長のフランツは、私より二つ年上で、いつも笑っていた。もういない」


「ベルントが怪我をした。左腕の火傷。命に別条はないと言われたが、包帯の下の皮膚を見たとき、声が出なかった」


「マグヌスが旧式の術式を教えてくれた。敵の障壁を内側から崩す技法。これで何人の敵を倒すことになるのか。『倒す』と書いた。『殺す』とは書けなかった」


 戦場の記録だった。仲間の死。自分の手で奪った命。それでも止まらない。止まれない。


「怖い。でも、ここで折れたら、死んだ仲間たちに申し訳が立たない。フランツの笑顔を思い出すたびに、折れそうになる。折れそうになるたびに、前を向く。前を向くしかない」


 読んでいて、胸が痛くなった。


 英雄。壁画に描かれた母は、剣を高く掲げて朝日を背に立っている。勇ましく、美しく、迷いがない。


 日記の中の母は、違う。迷い、怖がり、泣いている。それでも立ち止まらない。立ち止まらないことが、この人の強さだった。


 壁画は嘘だ。壁画の英雄は、恐怖も後悔も知らない偶像に過ぎない。


 本物の母は、もっと人間だった。


          ◇


 後期の日記。革命末期。


 文字が再び変わっていた。今度は一文字一文字を噛みしめるような、慎重な筆跡。


「ヴェルナーが『統制』という言葉を使い始めた。革命後の社会には秩序が必要だと。正しい。だが、彼の言う『必要な統制』とは何だ。統制する者が決まった時点で、均等は死ぬ」


 息が止まった。


 均等裁定院。あの書類。父の書斎で見た「教育配分基準」。母は、革命が終わる前から、その危険を見抜いていた。


「元勲会の構想を聞いた。革命に貢献した者に優先権を与える制度。それは結局、新しい貴族制度ではないのか。血統の代わりに功績で序列をつけるなら、構造は変わらない」


「ヴェルナーに直接言った。『それでは彼らと同じだ』と。ヴェルナーは笑って答えた。『一時的な措置だ。安定すれば解除する』と。一時的。その一時的がいつ終わるのか、彼は答えなかった」


 ページを繰る手が震えた。


「革命は正しかった。だがこの方向は正しいのか。問い続けなければ、私たちも彼ら——貴族と同じだ」


 母は気づいていた。革命が勝利に向かう中で、すでにその先の腐敗の種を見ていた。


 そして、それを止められなかった。


 なぜか。


 答えは、次のページにあった。


「決戦が近い。すべてが終わったら、この問題に向き合おう。今は勝たなければならない。勝たなければ、何も始まらない」


 後回しにしたのだ。目の前の戦いを優先し、構造の問題は「後で」にした。そして「後で」は来なかった。母は決戦で死んだから。


          ◇


 最後のページ。日付は決戦の前夜だった。


 筆跡は穏やかだった。諦めではなく、覚悟の穏やかさだ。


「ベルント。ルッツ。二人を残して逝くかもしれない。その可能性を、もう否定できない」


「ルッツ。この日記を読む頃、あなたは何歳だろう。どんな顔をしているだろう。ベルントに似ているだろうか。私に似ているだろうか」


「もしこの国が、私の望んだものでなかったら——」


 文章は、そこで途切れていた。


 次のページは白紙だった。その次も、その次も。


 母はこの文章を書いた翌日、最後の決戦に赴き、二度と帰らなかった。


 「もしこの国が、私の望んだものでなかったら——」


 その先に何を書こうとしたのか。変えろ、と書くつもりだったのか。逃げろ、と書くつもりだったのか。許せ、と。


 分からない。永遠に分からない。


 日記を閉じた。


 涙が落ちた。


 前世では、泣くことなど滅多になかった。泣いても何も変わらない。泣く暇があったら働け。そうやって感情を干からびさせて生きてきた。


 今、流れているのは、前世の涙ではない。


 ルッツ・エーベルハルトとしての涙だ。


 会ったことのない母。記憶にあるのは、生まれた日の温もりだけ。その母が、こんなにも悩み、怖がり、それでも前を向いていた。


 そして最後に、息子への言葉を書きかけたまま、逝った。


 途切れた文章。空白のページ。


 その空白を埋めるのは、俺の役目なのかもしれない。


 まだ分からない。何を書けばいいのかも、どう書けばいいのかも。


 だが、この日記は預かった。母が問い続けたことを、俺も問い続ける。


 革命は正しかったのか。この国は、母が望んだものか。


 答えはまだ出ない。


 でも、問うことをやめない。


 それだけは、決めた。

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