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二度目の夜明けを <第2章スタート>  作者: ret_riever
1章 革命の残り香 *1話〜15話

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7/21

父の夜

ルッツ10歳。レナから旧式魔法を学び始めて数ヶ月が経過しています。


その夜、父の声で目が覚めた。


 壁越しに聞こえてくる声は、いつもの独り言より大きかった。酒の量が多いのだろう。普段は杯を置く音と、聞き取れないほどの呟きだけなのに、今夜は言葉の形をしていた。


「こんなはずじゃなかった」


 いつもの台詞だ。だが今夜はその先があった。


「ヒルデ。お前が生きていたら……」


 俺は寝台の上で息を止めた。


 父が母の名を口にするのを聞くのは、年に一度あるかないかだ。普段は母の話を避ける。勲章を磨き、軍衣の埃を払い、肖像画を見つめはするが、言葉にはしない。まるで名前を声に出せば、何かが壊れてしまうかのように。


「均等なんて嘘だ。お前が信じたものは……お前が死んでから、全部、捻じ曲げられた」


 心臓が跳ねた。


 父が体制を批判する言葉を口にするのは、初めてだった。


「分かってるんだ。分かってて、俺は……」


 声が途切れた。杯を置く音。液体を注ぐ音。また飲んでいる。


「すまない。ヒルデ。俺は、お前みたいに強くない」


 沈黙が落ちた。


 俺は寝台の上で天井を見つめていた。暗い天井に、何も映らない。


 父は知っている。この国がどうなっているか。母の理想がどう裏切られたか。知っていて、黙っている。黙ったまま、毎日役所に行き、戸籍を管理し、壁の向こうの人間たちの名簿を整理している。


 前世の俺と同じだ。


 見て見ぬふりをする人間の姿だ。


 だが父には、俺とは違う理由がある。母の死だ。母が命を懸けた革命を否定することは、母の死を否定することになる。だから否定できない。否定できないから、黙る。黙ったまま、酒に溶かす。


 その構造が、十歳の俺にはもう見えていた。


 部屋を出て、居間に向かった。


 父は椅子に深く沈み込んでいた。テーブルの上に空の瓶が二本。杯を握った手が膝の上にだらりと垂れている。目は開いているが、焦点が合っていない。


「父さん」


 声をかけると、父の目が動いた。俺を見て、一瞬だけ表情が強張った。酔っていても、さっきの独り言を聞かれたかもしれないという恐れが走ったのだろう。


「ルッツ……起きていたのか」


「トイレに行こうと思って」


 嘘だ。だが父はそれを受け入れたがっている顔をしていた。息子に本音を聞かれることは、この人にとって最も恐ろしいことの一つなのだろう。


「もう遅い。早く寝なさい」


「うん。父さんも」


「ああ。もう寝る」


 寝ないだろう。明日の朝、父は赤い目をして朝食を作り、いつも通り役所に出かけるはずだ。


 俺は寝室に戻った。


 戻りながら、一つのことを考えていた。


 父は知っている。だが語らない。語らないのは、語る相手がいないからだ。妻は死に、友人とは疎遠になり、息子はまだ十歳だと思っている。


 語る相手がいない人間は、独り言でしか真実を吐けない。


 前世の深夜のコンビニに来る常連たちも、同じだった。レジの俺に話しかけてくる酔客がいた。仕事の愚痴、家族の不満、将来への不安。俺はマニュアル通りの相槌を打って聞き流していた。彼らが本当に必要としていたのは、コンビニの店員ではなく、真実を語れる相手だったはずだ。


 父にとってのその相手は、母だったのだろう。


 母がいない今、父の真実は、誰にも届かない夜の独り言として消えていく。


          ◇


 翌日、父が出勤した後で書斎に入った。


 普段は入らない部屋だ。父の仕事道具と書類が積まれた、狭い空間。窓は一つ。本棚には法令集と行政文書が並び、机の上には未処理の書類が几帳面に分類されている。


 昨夜の独り言が気になっていた。「均等なんて嘘だ」と父は言った。戸籍管理局の官僚が言う「均等の嘘」とは、具体的に何を指しているのか。


 書類を一枚一枚確認した。大半は戸籍の登録・変更に関する事務的なものだ。出生届、死亡届、住所変更。退屈な書類の束。


 だがその中に、一つだけ毛色の違う文書が挟まれていた。


 表紙に「均等裁定院 教育配分基準 内部参照用」と記されている。


 手が止まった。


 ページをめくる。そこには表があった。


 家庭ごとに数値が振られている。「革命貢献度」「体制忠誠度」「親族の政治的地位」。それぞれに点数がつき、合計点によって子供の教育レベルが決まる仕組みだ。


 高得点の家庭の子供:上級魔法学院への推薦。高等魔法教育の全課程を受講可能。


 中間の家庭の子供:基礎魔法教育のみ。応用課程は選抜制。


 低得点の家庭の子供:「不適格」判定。魔法教育の機会を大幅に制限。


 そして最下段に、一行。


「旧体制関係者家庭:教育対象外」


 教育対象外。壁の向こうの子供たちは、最初から点数すらつけられていない。採点の対象ですらないのだ。


 平等?


 これのどこが平等だ。


 書類を元の場所に戻した。手が微かに震えていた。怒りだ。前世では滅多に感じなかった種類の、熱い怒りだった。


 前の人生で、俺は社会保障制度の網の目から落ちた人間だった。病院に行けず、保険証の更新もできず、最後は誰にも看取られずに死んだ。制度が平等を謳いながら、実際にはふるいにかけている。その構造を、俺は身をもって知っている。


 この世界でも同じことが起きている。名前が違うだけだ。「社会保障」が「均等裁定」に変わっただけで、構造は同じだ。


 だが、十歳の子供に何ができる。


 この書類を持って広場で叫んだところで、誰が耳を傾ける。「英雄の息子が体制を批判している」と噂になれば、父の立場も危うくなる。


 何もできない。今は。


 だが知ったことは、忘れない。


 前世の俺は、知っても何もしなかった。知らないふりをして、日々をやり過ごした。


 今世の俺は、まだ何もできない。だが「何もしない」と「まだできない」は違う。


 書斎を出て、廊下の窓から外を見た。秋の空が高い。街の東に、灰色の壁が小さく見える。


 あの壁の向こうに、レナがいる。「教育対象外」と書かれた紙切れ一枚で、未来を奪われた子供たちがいる。


 いつか、この構造を変える。


 今は力がない。知識も、地位も、人脈も、何もない。


 だが時間はある。この体はまだ十歳だ。


 焦るな。覚えておけ。準備しろ。


 前世で唯一学んだことがある。チャンスは、準備した人間にしか来ない。コンビニの棚卸しですら、段取りを組んだ方が早く終わる。


 世界を変えるのも、たぶん同じだ。

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