二度目の夜明けを
ルッツ20歳。すべての戦いが終わった朝、残った者たちが一つの場所に集まる。
瓦礫が積み上がった広場に、朝日が差し込んでいた。
革命記念碑は半ばまで崩れ、母の名が刻まれた石板は地面に転がっている。碑文の金文字はひび割れ、「均等なる未来の礎」という一節が、皮肉のように朝の光を受けていた。
俺はその石板の傍に座り込んでいた。立つ気力がなかった。
体のどこが痛いのか、もう分からない。ヴェルナーとの戦闘で打たれた肋骨。ディートリヒの焔織で焼かれた左腕。エミルの火弾で裂けた額。傷のない場所を探す方が早い。
ただ、生きている。
それだけが、今の俺にある確かなことだった。
◇
人が集まり始めた。
最初に来たのはフランツだ。右腕を布で吊り、左手で壁を伝いながら歩いてきた。俺を見つけると、言葉もなく隣に座った。
カスパーとヨハンが続いた。二人とも泥と血にまみれていたが、足はしっかりしている。
テレーゼとマリアが地下から避難民を連れて戻ってきた。老人、子供、怪我をした女。全員ではない。全員を救えたわけではない。だが、生きている者がいる。
そこに、別の顔が混じり始めた。
体制軍の若い兵士が三人、剣を鞘に収めたまま歩いてきた。脱走ではない。停戦だ。ヴェルナーが剣を降ろしたことで、体制軍の指揮系統は崩壊していた。戦う理由を失った兵士たちが、武器を置き始めていた。
反革命軍から離脱した者もいた。ディートリヒの敗北を見て、あるいはディートリヒの本質を見て、白い鷹の旗を捨てた者たち。五人、六人と、広場の端に集まっている。
辺境から駆けつけた民もいた。ディートリヒにもヴェルナーにも属さなかった人々。灰色地帯で暮らす者たちが、混乱の終わりを聞きつけてやって来ていた。
立場も出自もばらばらの人間たちが、一つの広場にいた。
崩れた革命記念碑の周りに。
誰も命令していない。誰もここに集まれとは言っていない。だが人は、嵐の後に広い場所を求める。瓦礫の中でも、空が見える場所を探す。それは人間の本能なのだろう。前世でも災害の後、公園に人が集まるのを見たことがある。
レナが来た。
ディートリヒの陣から救い出したとき、レナの手首には拘束の痕が残っていた。今もまだ赤い腫れが引いていない。だが歩みは確かだった。紫の瞳に涙はなく、ただ俺をまっすぐに見た。
「生きてたのね」
「約束しただろ。死なないって」
「約束を守る男は嫌いじゃないわ」
レナが俺の隣に座った。肩が触れた。それだけで、体の痛みが少しだけ遠のいた。
エミルが現れたのは、そのすぐ後だった。
共和国軍の軍服は泥に汚れ、右の肩章が千切れていた。剣は腰にあるが、手は柄にかかっていない。
体制軍の兵士たちが身構えた。反革命軍から離脱した者たちも警戒した。だがエミルは誰も見ていなかった。俺だけを見ていた。
「……ルッツ」
「ああ」
「終わったのか」
「終わった」
エミルは立ち尽くしていた。泣いているのか笑っているのか分からない顔だった。前世で見たことがある。仕事を辞めた日の同僚の顔に似ていた。信じていたものを手放した人間の、行き場のない表情。
俺は手を伸ばした。座ったまま、エミルの方へ。
「座れよ。立ってると目立つ」
エミルの口元が震えた。何か言おうとして、声にならなかった。
そのまま、俺の向かい側に座った。
◇
日が高くなるにつれて、広場の人数は増えていった。
五十人。やがて百人を超えた。すべてが味方ではない。すべてが理解者でもない。ただ、戦いが終わり、行く場所がない人間が、ここにいた。
フランツが低い声で言った。
「こんな光景、見たことがない」
「俺もだ」
「体制の兵士と反革命の兵士と隔離区の住民が、同じ場所で座っている。昨日まで殺し合っていた連中がだぞ」
「殺し合う理由がなくなったからな」
「理由がなくなっただけで、恨みは消えていないぞ」
「分かってる」
分かっている。この広場に漂う空気は、和解のそれではない。疲労と困惑と、行き場のない感情が入り混じった、名前のつかない空気だ。
レナが口を開いた。静かな声だった。
「ルッツ。これからどうするの」
その問いに、全員が耳を傾けた。声は大きくなかったが、瓦礫の広場には反響するものがなく、言葉がそのまま届いた。
エミルが続けた。
「……国をどうするんだ」
エミルの声は掠れていた。信じていた体制が崩壊し、戦う相手がいなくなった男の声だ。質問ではない。縋るような問いだった。
二つの声が、俺に向けられていた。
レナの問いは「あなたはどう生きるのか」。エミルの問いは「俺たちは何を信じればいいのか」。
俺は立ち上がろうとした。体が軋んだ。肋骨が悲鳴を上げた。レナが手を貸そうとしたが、首を振った。
自分の足で立たなければ、この先の言葉に重みがない。
時間がかかった。崩れた石板に手をつき、膝に力を入れ、ゆっくりと立ち上がった。
母の日記が、胸の内ポケットにある。ヴェルナーとの対峙で叫んだ最後の一節。あの言葉が、ここにある。
広場にいる全員を見渡した。
百人を超える目が、俺を見ていた。
体制の兵士の目。反革命の兵士の目。隔離区の住民の目。辺境の民の目。誰の味方かも分からない俺を、それでも見ている。
前世では、誰も俺を見なかった。コンビニのレジに立つ俺は透明だった。
今、百を超える目が俺を見ている。この重さを、俺は引き受けなければならない。
口を開いた。
「十五年前、革命が起きた」
声は思ったより静かだった。拡声の魔法は使わなかった。使う必要がなかった。広場が静かだったから。
「母さんたちは戦った。貴族の支配を終わらせるために。すべての人間が等しく生きられる世界を作るために。その理想は、正しかった」
体制軍の兵士たちが顔を上げた。革命の理想。彼らが信じていたもの。
「だが、その後に作られたものは何だった」
声が低くなった。怒りではない。もう怒りは使い切った。残っているのは、事実だけだ。
「均等裁定院。忠誠で人間を選別する機関。隔離区。生まれた家で人生を閉じ込める壁。黎明作戦。革命の名で隣国を侵す戦争。母さんが命を懸けた革命は――こんなもののためじゃなかった」
反革命軍の離脱者たちが、わずかに頷いた。隔離区の住民たちが、顔を上げた。
「あの革命は、夜明けなんかじゃなかった」
声を絞り出した。
「まやかしの薄明だ」
沈黙が広場を覆った。
体制の兵士の一人が拳を握った。怒りか、悔しさか。革命を信じて戦ってきた人間にとって、この言葉は心臓を抉る。
だが、否定できないのだ。均等裁定院が何をしてきたか。隔離区がどんな場所だったか。彼らの目は、今朝までそこで行われていた戦闘の痕を見ている。
俺は日記を胸のポケットから出した。革の表紙は汚れ、ヴェルナーとの戦闘で血が染みている。だが中身は無事だ。
「母さんは、最後にこう書いた。『もしこの国が私の望んだものでなかったら――』」
手が震えた。何度も読んだ一節だ。何度も声に出した。だが今日は違う。今日は、この言葉を継がなければならない。
「途切れている。母さんは、最後まで書けなかった。決戦の前夜に」
日記を閉じた。胸に戻した。
「だから、俺が続きを書く」
エミルが顔を上げた。レナが俺を見ていた。フランツが腕を組み直した。カスパーが歯を食いしばっていた。
「でも、夜明けを求めたこと自体は間違っていなかった」
声が、少しだけ戻ってきた。
「母さんも。親父も。エミル。レナ。フランツ。カスパー。ここにいる全員。みんな明日を求めて生きてきた。貴族だった者も、革命の子だった者も、壁の中にいた者も、辺境にいた者も。誰もが、もう少しましな朝を望んでいた」
広場の空気が変わった。敵意ではない。警戒でもない。言葉を待っている空気だった。
「だから――」
息を吸った。朝の空気が、焦げた匂いを含んだまま、肺を満たした。
「二度目の夜明けを、今度は俺たちの手で」
声が、瓦礫の広場に響いた。
沈黙。
長い沈黙だった。
最初に動いたのは、カスパーだった。壁の中で生まれ、壁の外を知らずに育った少年が、ゆっくりと頷いた。
フランツが続いた。腕を組み直すでもなく、ただ一度、深く頷いた。
レナは頷かなかった。代わりに立ち上がり、俺の隣に立った。言葉はなかった。だが、それが答えだった。
エミルは俯いていた。長い間、俯いていた。体制を信じ、革命を信じ、その信仰が崩れた男が、新しい言葉を受け入れるには時間がかかる。
だがやがて、エミルは顔を上げた。
目が赤かった。
「昔みたいに、か」
「ああ。昔みたいに」
「……昔の俺たちは、もっと馬鹿だったぞ」
「今も十分馬鹿だ」
エミルの口元が歪んだ。笑おうとして失敗したような顔だった。だが、頷いた。
一人、また一人。
体制の兵士が頷いた。反革命の離脱者が頷いた。隔離区の住民が頷いた。全員ではない。頷かない者もいる。疑いの目もある。反発の目もある。
だが、沈黙の中に、小さな風が吹き始めていた。
朝日が広場を照らしていた。崩れた記念碑の影が、長く伸びていた。
母さん。
あなたの書けなかった言葉の続きを、俺は今日、ここで書いた。
正しかったかどうかは分からない。うまく言えたかも分からない。
だが俺は、二度目の人生で、二度目の夜明けを掲げた。
最初の夜明けよりましなものになるかどうか、それはこれからの話だ。




