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二度目の夜明けを <完結済み>  作者: Studio SASAME
最終章 二度目の夜明けを *46話〜60話

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55/60

灰から継ぐもの

ルッツ19歳。ディートリヒの本陣に乗り込み、レナを取り戻す。

ディートリヒの本陣は、旧ベルンシュタイン公爵邸の廃墟にあった。


 革命で焼かれた屋敷の骨格だけが残り、壁のない広間が野ざらしの天井の下に広がっている。かつての大理石の床は罅割れ、焦げた柱が傾いたまま空を支えていた。


 廃墟の中心に、男が立っている。


 ディートリヒ・フォン・ベルンシュタイン。四十代後半。白銀の髪を後ろに流し、灰色の外套を纏っている。廃墟の中にいて、なお崩れぬ姿勢。旧き時代の気品が、骨の髄まで染みた男。


 その足元に、レナが座っていた。


 手首を魔力の鎖で繋がれ、柱に縛り付けられている。服は汚れ、頬に乾いた血の跡がある。だが目は死んでいない。紫の瞳が、俺を見つけた瞬間、大きく見開かれた。


「来るな——」


 レナが叫んだ。


 だが俺はもう、崩れた壁の隙間から広間に足を踏み入れていた。カスパーとヨハンは外で見張っている。ここから先は、一人の仕事だ。


「ルッツ・エーベルハルト」


 ディートリヒが振り返った。微かな笑みを浮かべている。待っていた、と言わんばかりの余裕。


「紅の黎明の息子が、たった一人で乗り込んでくるとはな。蛮勇か、それとも愚かさか」


「どっちでもいい。レナを返してもらう」


「この娘は旧貴族だ。我々の同胞だ。返すも何も、元からこちら側の人間だろう」


「本人に聞いてみろ。あんたの側にいたいかどうか」


 ディートリヒがレナを見下ろした。レナは唇を引き結び、顔を背けた。それが答えだった。


「残念だが、個人の意志は大義の前に優先されない」


「その台詞、均等裁定院のヴェルナーと同じだぞ」


 ディートリヒの目が、初めて細くなった。


「私をあの男と一緒にするな」


「やってることが同じなら、一緒だ」


 空気が変わった。


 ディートリヒの全身から、重い魔力が溢れ出した。大気が震え、廃墟の瓦礫が微かに浮き上がる。大陸2位の実力。その圧が、呼吸を重くした。


「お前は甘い、ルッツ・エーベルハルト」


 ディートリヒが一歩を踏み出した。


「革命の子でありながら革命を否定し、旧体制を否定しながら旧式魔法(アルテ)を使う。どっちつかずの中途半端だ。中途半端な人間に、何かを変える力はない」


「中途半端で構わない」


 俺も一歩を踏み出した。魔素を全身に巡らせる。マグヌスに叩き込まれた呼吸法。体内の魔力循環を新式魔法(ノイエ)の速度で回しながら、術式の骨格は旧式魔法(アルテ)の精密さで組む。混成(ミッテ)の構え。


「どちらか一方に染まれば、また同じことの繰り返しだ」


「理想論だな」


「理想がなきゃ、現実は変わらない」


 ディートリヒの右手が上がった。


焔織(フラム)


 火が編まれた。


 それは火弾(かだん)のような荒々しい炎ではなかった。数十本の火線が指先から放たれ、空中で複雑に交差し、網のように俺を包囲する。糸の一本一本が致死の熱量を持ちながら、全体としては精緻な織物のように美しい。


 旧式魔法の完成形。


 これが大陸2位の魔法か。


灰織(はいおり)!」


 俺は地面を蹴りながら術を放った。足元の瓦礫から微粒子を巻き上げ、火系の残熱を混ぜた煙幕兼散弾。混成型の基本術。


 灰の壁が焔織の火線と衝突し、蒸気が弾けた。視界が白く染まる。だが焔織は煙幕を焼き切って進んでくる。


 間一髪、横に跳んだ。火線が右肩を掠め、服の布が焼けた。肉が焦げる匂い。痛みが走ったが、深くはない。


「速いな。マグヌスに習ったか」


 ディートリヒの声が煙の向こうから聞こえた。


「あの老人の弟子とは——少し見直した。だが」


 煙を裂いて、銀色の閃光が飛んできた。


雷響(ドナー)


 衝撃波。空気を振動させ、鳴神の如く撃ち出す遠距離打撃。


 体が反応する前に、足が地面を蹴っていた。迅駆(じんく)で横に飛ぶ。雷響が背後の柱に直撃し、石柱が粉々に砕けた。破片が頬を切る。


 着地と同時に右手を突き出す。


風刃(ふうじん)——鏡刃!」


 鏡刃(かがみば)。風刃の中に構造解析の術式を織り込んだ混成型の対魔法戦術。ディートリヒの術式の綻びを探り、そこに刃を叩き込む。


 だが風刃はディートリヒの手前で弾かれた。


鉄帳(フォアハング)


 多層構造の防御障壁。目に見えない壁が幾重にも展開され、風刃を吸収した。俺の鏡刃では、綻びすら見つけられない。


 隙がない。


 ディートリヒの旧式魔法は、一つ一つの術が完成されている。無駄がない。省魔力で最大の効果を引き出す——旧式の理想形がそこにあった。


 対して俺は、力で劣る。個々の術の威力でディートリヒに勝てる要素はない。


 だが。


嵐紡(ヴェーバー)


 局所的な嵐が生成された。大気が渦を巻き、廃墟の瓦礫が竜巻のように舞い上がる。石片と砂礫が弾丸のように四方八方から襲いかかる。


 鉄身(てっしん)で体を硬化させながら、嵐の中を駆けた。石片が腕を、肩を、脚を打つ。痛い。だが骨は折れていない。


 嵐の中心に向かって走りながら、感じていた。


 大気中に漂う、膨大な魔力の残滓を。


 焔織が燃え尽きた後の火の残り香。雷響が空気を震わせた後の振動の名残。嵐紡が巻き上げた魔素の塵。ディートリヒが撃つたびに、戦場に散る使い捨ての魔力。


 誰もが捨てたものの中に、価値を見出す。


 前世の記憶が重なった。


 コンビニの廃棄弁当。倉庫の返品在庫。配達先で受け取りを拒否された荷物。世界には、捨てられたものが溢れていた。そしてフリーターだった俺は、いつも捨てられる側にいた。


 だからこそ、分かる。


 捨てられたものにも、まだ火は残っている。


 嵐の中で右手を開いた。掌を下に向け、地面に散った魔力の残滓に手を伸ばす。


 焔織の灰。雷響の余韻。嵐紡の塵。


 それらがゆっくりと、指先に集まってきた。


「——継火(つぎび)


 声は嵐に掻き消された。だが術式は発動した。


 体の中を、他者の魔力が流れ込んでくる。ディートリヒの焔織の残滓が、俺の魔力回路に入り、混成型の術式構造で再構築される。火系の残骸が新たな形を取り、俺の手の中で息を吹き返した。


 消えかけた炎を、次の薪に移す。


 火を、継ぐ。


 ディートリヒの焔織が——俺の術として、再び編まれた。


焔織(フラム)


 廃墟に、二つ目の焔織が咲いた。


 ディートリヒのそれに比べれば拙い。火線の本数は半分以下で、編み目は粗い。だが確かに、旧式の術式構造を持つ焔織が、俺の指先から放たれていた。


 ディートリヒの目が、初めて驚愕に見開かれた。


「——何をした」


「あんたが捨てた火を拾っただけだ」


 嵐が収まりかけていた。視界が開ける。ディートリヒが鉄帳を展開して俺の焔織を防いだが、その目は警戒の色に変わっていた。


「魔力残滓の回収……そんな術が存在するはずがない」


「存在しなかった。だから作った」


 足元に散った灰を踏みしめながら、俺は次の残滓に手を伸ばした。雷響の余韻を拾い上げ、再構築する。


雷響(ドナー)


 今度は衝撃波だ。ディートリヒ自身が放ったものを、そっくり返す。威力は本物には及ばないが、ディートリヒは防がなければならない。


 鉄帳がもう一層展開される。


「厄介な」


 ディートリヒの声に、初めて苛立ちが混じった。


 そう。継火は戦闘が進むほど手札が増える。そしてディートリヒほどの使い手が相手であれば、撒かれる残滓の質も量も桁違いだ。


 強い敵ほど、俺の素材になる。


 その皮肉に、ディートリヒも気づいたのだろう。表情が変わった。苛立ちから、冷徹な判断へ。


「ならば、一撃で終わらせる」


 ディートリヒの両手が広がった。全身の魔力が一点に収束していく。廃墟の空気が一瞬で凍りつき、次の瞬間、白熱した。


 焔織でも雷響でもない。もっと根源的な、旧式魔法の奥義。


 火と雷と嵐が一つに編まれ、巨大な光の柱が俺に向かって放たれた。


 避けられない。


 ならば——受ける。


継火(つぎび)——!」


 両手を前に突き出した。光の柱が俺の掌に到達する寸前、その先端から溢れる魔力残滓を全力で回収する。術が着弾する前に、術の先駆けとなる魔力の波を吸い取る。


 衝撃が体を貫いた。


 両足が地面を削り、三メートル後方に押し出された。腕の骨が軋む。内臓が揺れる。口の中に血の味が広がった。


 だが——立っている。


 光の柱の威力は、先駆けの魔力を吸い取られたことで三割ほど減衰していた。残りを鉄身と地壁で受け止めた。全身が痺れている。視界が明滅する。だが、立っている。


 そして俺の手の中には、ディートリヒが放った奥義の残滓が、灼熱の塊として渦巻いていた。


「返す——」


 継火で再構築した術を、ディートリヒに向けて解き放った。


 ディートリヒ自身の奥義が、変形し、歪み、しかし確かにディートリヒの術式構造を持ったまま、放ち主に向かって飛んだ。


 ディートリヒは鉄帳を三層展開して凌いだ。だが衝撃で後退し、膝が揺らいだ。


 初めて、ディートリヒが体勢を崩した。


          ◇


 そこからの戦闘は、泥仕合だった。


 ディートリヒは魔力消費を抑え、残滓を最小限にする戦い方に切り替えた。省魔力の旧式魔法の真骨頂。小さな術を連射し、俺に回収する暇を与えない。


 対して俺は、すでに回収した残滓を使いながら、新式の速度で攻め続けた。混成型の真価は、旧式の使い手が読めないリズムにある。新式の速射から旧式の精密術に切り替わる「繋ぎ目」が、専門家の予測を外す。


 右拳に火を纏わせて踏み込む。ディートリヒが鉄帳で防ぐ。その瞬間に左手から灰織を放つ。煙幕の中で位置を変え、背後から鏡刃。


 ディートリヒが嵐紡で煙幕ごと吹き飛ばす。俺はその嵐を継火で回収しながら、残滓から新たな術を編む。


 攻防が入れ替わり、魔法が交差する。廃墟の柱が次々と砕け、床が抉れ、天井の残骸が崩れ落ちた。


 俺の体は悲鳴を上げていた。他者の魔力を自分の回路に通す継火は、体に凄まじい負担をかける。異なる性質の魔力が体内で軋み、筋肉が痙攣し、視界の端が暗くなっていく。


 だがディートリヒも消耗していた。省魔力の旧式とはいえ、大陸2位の全力戦闘は魔力を消耗する。そして継火によって、放った術の魔力が返されるのだ。通常の戦闘の倍以上の速度で削られていく。


 互いの息が荒くなっていた。


「認めよう」


 ディートリヒが距離を取り、息を整えながら言った。


「お前は強い。想定以上にな。だが——」


「だが?」


「お前のその力で、何を守れる。九人の仲間か。壁の中の難民か。お前が掲げる旗は小さすぎる。この国を変えるには、力が要る。組織が要る。私にはそれがある」


「あんたの力と組織は、旧体制を復活させるためのものだ。壁の中の人間を解放するためじゃない」


「解放した後はどうする。平民たちが再び我々を壁に押し込めないと、誰が保証する。力がなければ——」


「力で保証するんじゃない。仕組みで保証するんだ。誰かの力に依存した秩序は、その誰かが腐れば一緒に腐る。あんたもヴェルナーも、同じ穴の狢だ」


 ディートリヒの目に、怒りが燃えた。


 最後の一撃が来た。


 焔織の全力展開。百を超える火線が、廃墟の空間すべてを埋め尽くすように編まれた。逃げ場がない。天井も床も壁もない廃墟の中で、火の網が全方位から迫る。


 俺は走った。


 火線の隙間を縫い、迅駆(じんく)で加速し、ディートリヒとの距離を詰めた。火線が肩を焼き、脇腹を裂き、太腿を焦がした。痛みで意識が飛びかけた。だが足を止めない。


 ディートリヒの目の前に到達した。


 右拳に、継火で回収した全残滓を集中させた。焔織の灰、雷響の余韻、嵐紡の塵、奥義の残滓。すべてを一つに練り上げ、拳に込めた。


 名前のない術。混成型の到達点。誰かが捨てたものを拾い集め、一つの火にする。


 拳がディートリヒの鉄帳に触れた瞬間、三層の障壁が同時に砕けた。


 そのまま拳がディートリヒの胸に届いた。


 鈍い音がして、ディートリヒの体が後方に吹き飛んだ。崩れた壁にぶつかり、瓦礫の中に沈んだ。


 俺もその場に崩れ落ちた。


 両膝を地面につき、掌で体を支える。腕が震えている。全身が焼けるように熱い。継火の反動が体中を駆け巡り、筋肉が痙攣していた。


 瓦礫の中で、ディートリヒが身を起こした。外套が焼けて千切れ、白銀の髪が乱れている。口元から血が一筋垂れていた。


 だが目は、まだ生きていた。


「……殺さないのか」


「殺さない」


 息が切れて、短い言葉しか出なかった。


「あんたの怒りは間違っていない。壁の中に閉じ込められた人間の怒りは、正当だ。だが——」


 膝に力を入れ、立ち上がった。全身が軋む。


「その先にあるのは復讐であって、正義じゃない。あんたが旧体制を復活させたら、今度は平民が壁に入れられる。それは——母さんが命を懸けて壊したものを、もう一度作ることだ」


 ディートリヒは瓦礫の中に座ったまま、俺を見上げていた。


 怒りでも憎悪でもない目だった。


 疲れた男の目だった。


「……甘い男だ」


 それだけ言って、ディートリヒは目を閉じた。


 意識を手放したのか、あるいはこれ以上戦う意志を失ったのか。


 俺はディートリヒから視線を外し、レナのもとに駆け寄った。足が何度ももつれた。


 魔力の鎖を鏡刃で解析し、綻びを見つけて断ち切った。レナの手首に、赤い痕が残っていた。


「遅い」


 レナが言った。声が震えていた。


「すまない」


「謝らなくていい。来てくれたから」


 レナの目が赤い。泣いていたのではない。泣くのを我慢していたのだ。


 俺はレナの手を取って、立ち上がらせた。


 外で待つカスパーとヨハンのもとに向かう。背後に、瓦礫の中のディートリヒを残して。


 振り返らなかった。


 振り返る余裕が、もう体に残っていなかった。

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