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二度目の夜明けを <最終章開幕>  作者: ret_riever
最終章 二度目の夜明けを *46話〜60話

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53/60

二つの刃

ルッツ19歳。レナ救出の準備を進める中、かつての親友が刃を向けてくる。

明日の夜、動く。


 その決断を下してから、眠れるはずもなかった。地下室の隅で壁にもたれたまま、蝋燭の灯りを見つめていた。炎が揺れるたびに、影が壁の上で踊る。


 レナがいない。


 二日前までこの地下室にいた人間が一人欠けているだけで、空気の温度が違う。レナがいつも座っていた壁際の場所に、誰も座らない。暗黙の了解のように、全員がそこを避けている。


 フランツが地図を前に、作戦の最終確認をしていた。旧市民劇場の間取り図。ヘルミーネから聞いた構造と、カスパーが昨夜の偵察で確認した現状を重ね合わせたもの。


「地下の旧貯水路から舞台裏に入る。そこから二階の貴賓席区画に上がる。この経路なら、劇場正面の監視を避けられる」


「見張りの数は」


「劇場の外に常時六人。内部は把握しきれないが、二十人前後と見ている。全員が旧式魔法(アルテ)の使い手だ」


 四人で二十人の拠点に潜り込む。数字だけ見れば無謀以外の何物でもない。


 だがフランツの作戦は、正面から戦うことを前提にしていない。潜入して、レナを確保して、撤退する。戦闘は最小限に。接敵したら即座に離脱。


「問題は、レナの居場所を特定してから脱出するまでの時間だ。五分が限界だ。それ以上かかれば、ディートリヒの増援が間に合う」


「五分」


「厳しいのは分かっている。だが——」


 フランツが言葉を切ったのは、階段を降りてくる足音が聞こえたからだ。


 ペーターだった。息を切らしている。走ってきたのだろう。顔が赤い。だが赤さの中に、血の気の引いた白さが混じっていた。


「報告がある。悪い知らせだ」


         ◇


「共和国軍の精鋭部隊が、東区画に向かっている」


 地下室の空気が凍った。


 フランツが立ち上がった。


「どこからの情報だ」


「ヘルマンだ。元の部隊にまだ繋がりがある。旧知の兵士から密かに知らせが入った」


 ヘルマンは体制から離脱してこちらに合流した若い兵士だ。体制を離れてもなお、元の仲間との細い線が残っている。その線が、今、警報を鳴らした。


「精鋭部隊というのは」


「均等裁定院の直属。特務遊撃隊(・・・・・)。ヴェルナーの手駒だ。六個小隊、約六十人」


 六十人。


 俺たちの拠点にいるのは、俺を含めて十数人。レナを除けば、戦闘できる人間はさらに少ない。六十人の精鋭に正面から当たれば、三分と持たない。


「指揮官は誰だ」


 ペーターが一瞬、俺の目を見た。言いにくそうに口を開いた。


「——エミル・リヒター」


 心臓が、掴まれたように痛んだ。


 エミル。


 俺の最初の友人。共和国の未来を信じて軍に入った男。最後に顔を合わせた時、「もう俺たちは同じ側にはいない」と言い残した男。


 そのエミルが、俺たちを潰しに来る。


「ルッツ」


 フランツの声が、遠く聞こえた。


「聞いているか」


「聞いている」


 自分の声が平坦なのが分かった。感情が一瞬で凍ったのだ。前世で、突然のシフト変更を告げられた時と同じ反応。受け入れがたい現実に対して、感情が先にシャッターを下ろす。


 だが今は、シャッターを下ろしたままではいられない。


「いつ来る」


「早ければ明日の昼過ぎ。遅くとも明後日の朝には、この拠点を包囲するだろう」


 明日の昼過ぎ。


 レナの救出に動くのは、明日の夜。


 時間が、重なっている。


「二正面だ」


 フランツが唸るように言った。


「レナの救出と、拠点の防衛。同時にやらなければならない」


         ◇


 全員を集めた。


 地下室に残っていた全員——フランツ、カスパー、ヨハン、ペーター、クラウス、ヘルマン、オットー、ゲルト。それに辺境組のアルノルトとヴィクトル。テレーゼとマリアは東区画の連絡網を回しに出ている。


 十人の顔を、蝋燭の灯りの中で見渡した。


「状況を話す。レナの救出作戦は予定通り明日の夜に実行する。だがそれと並行して、共和国軍の精鋭部隊がこの拠点に向かっている。指揮官はエミル・リヒター。六十人規模の部隊だ」


 沈黙が落ちた。


 カスパーが最初に口を開いた。


「六十人。冗談だろ」


「冗談で済めばいいが」


「レナの救出と拠点の防衛、両方を同時にやるのか。人が足りないどころの話じゃない」


「分かっている」


 フランツが地図を指した。


「選択肢は三つある」


 地図の上に、フランツの指が三つの点を示した。


「一つ目。レナの救出を優先し、拠点を放棄する。全員で劇場に向かい、レナを取り戻してから別の場所に移動する」


「問題は」


「拠点を失えば、ここに集まった人々の居場所がなくなる。辺境との連絡路も断たれる。旗を降ろすのと同じだ」


「二つ目は」


「拠点の防衛を優先し、レナの救出を延期する」


 俺の表情を見て、フランツが付け加えた。


「延期だ。中止じゃない。だが——」


「延期すれば、ディートリヒの蜂起が本格化する。蜂起が始まれば混乱の中でレナの安全は保証されない。延期は実質的に——」


「ああ。だから三つ目がある」


 フランツの目が、俺を真っ直ぐ見た。


「部隊を分ける。少数精鋭がレナの救出に向かい、残りが拠点を守る」


 分散。兵力の分散は、戦の定石では最も愚かな選択だ。少ない兵力をさらに割れば、どちらも中途半端になる。


 だが——中途半端こそが、俺たちの戦い方ではなかったか。


「フランツ。救出組は俺とカスパーとヨハンの三人でいい」


「三人か。昨日は四人と言っていたが」


「お前は拠点に残れ。防衛の指揮はお前にしかできない」


 フランツが黙った。長い沈黙だった。蝋燭の炎が二度揺れるほどの間。


「俺が残って六十人を相手にする。お前が三人でディートリヒの拠点に潜り込む。どちらも死地だぞ」


「知っている」


「知っていて、やるのか」


「他に道がない」


 フランツが腕を組んだ。目を閉じた。そして、開いた。


「分かった。ただし条件がある」


「何だ」


「拠点の防衛は、六十人を正面から迎え撃つわけじゃない。時間を稼ぐだけだ。お前がレナを連れて戻るまでの時間を」


「どれだけ持つ」


「半日。それ以上は保証できない」


 半日。レナの救出と帰還を、半日で。


 厳しい。厳しいが、不可能ではない。


「やれるか」


「やるしかないだろう」


 フランツが鼻を鳴らした。苦笑だ。この男の苦笑を、俺は信頼している。


         ◇


 作戦の詳細を詰めた。


 拠点の防衛はフランツが指揮を執る。ヘルマン、オットー、ゲルト、ペーター、クラウスが残る。七人で六十人の精鋭を相手に——正確には、相手にしない。


「正面からぶつからない。地下通路を使って移動し、拠点が複数あるように見せかける。狙いは遅延と混乱だ」


 フランツの戦術は、隔離区の壁の中で培われたものだ。壁の中の人間は、力で勝てない体制軍に対して、地の利と情報戦で生き延びてきた。その経験が、今、守りの戦術に変わる。


「ヘルマン。お前は元体制兵だ。精鋭部隊の行動パターンを知っているか」


 ヘルマンが頷いた。額に汗が浮いていたが、目は据わっていた。


「特務遊撃隊の基本陣形は知っています。六個小隊のうち、先行する二個小隊が偵察と制圧。残り四個小隊が包囲陣を敷きます。動き出してから包囲完成まで、約一時間」


「一時間あれば十分だ。包囲が完成する前に、こちらは移動する。一箇所に留まらない」


 フランツが地図の上に、複数の退避ポイントを書き込んでいった。地下水路、廃屋、崩れた壁の隙間。隔離区の人間だけが知る、壁の外の隠れ場所。レナがヘルミーネの古い地図から写し取った情報が、ここで生きる。


「辺境組のアルノルトとヴィクトルは救出組に合流してくれ」


 アルノルトが顔を上げた。


「俺たちでいいのか。魔法はろくに使えないぞ」


「劇場の外での見張りが必要だ。戦闘じゃない。撤退路の確保と合図の伝達。山で培った目と耳が要る」


 アルノルトが頷いた。ヴィクトルも静かに拳を握った。


 救出組は五人。俺、カスパー、ヨハン、アルノルト、ヴィクトル。


 防衛組は七人。フランツ、ヘルマン、オットー、ゲルト、ペーター、クラウス、そして戻り次第テレーゼとマリア。


 五人と七人。どちらも圧倒的に足りない。


 だが——足りない中でどうするかを考えるのが、俺たちの戦い方だ。


         ◇


 深夜。作戦会議が終わり、交代で仮眠を取ることになった。


 だが俺は眠れなかった。


 地下室の隅に座り、壁に背を預けていた。隣でカスパーが寝息を立てている。ヨハンは反対側の壁際で、膝を抱えて眠っている。


 エミルのことを考えていた。


 最後に会ったのは、いつだったか。軍を離反する前、模擬戦で負けた日だ。あの日、エミルは勝っても嬉しそうじゃなかった。俺の魔法に旧式の影を見て、言った。


「お前の魔法、変だぞ」


 あの時のエミルの目を思い出す。疑念と、裏切られたような悲しみと、それでもまだ友であろうとする意志が混じった目。


 エミルは善人だ。心の底から革命を信じている。信じているがゆえに、信じるものが腐っていることを認められない。母さんがそうだったように、父さんがそうだったように——信じることの代償を、誰よりも重く支払っている。


 前世のフリーターだった俺には、何かを信じて裏切られた経験がなかった。信じるものがなかったからだ。会社も社会も国も、最初から信じていなかった。だから裏切りもなかった。


 エミルは違う。この国を信じ、革命の理念を信じ、正義を信じている。その信念で精鋭部隊の指揮官にまで登りつめた。今さら「お前が信じたものは嘘だった」と言われても——


 言われても、受け入れられるはずがない。


 受け入れることは、自分の人生を否定することだから。レナが言っていた通りだ。


 だがエミルは、俺たちを潰しに来る。命令に従って。いや、命令だけじゃない。エミルの中には怒りがあるはずだ。俺が体制を裏切ったことへの怒り。旧式魔法を使っていたことへの怒り。友だと思っていた人間に騙されていたという怒り。


 その怒りを否定はできない。


 俺は確かに、エミルに嘘をついていた。


「眠れないのか」


 声がした。ヘルマンだった。見張りの交代で戻ってきたところだ。


「ああ」


 ヘルマンが俺の隣に腰を下ろした。二十歳の元体制兵。体制に疑問を持ってこちらに来た若者。エミルと同い年くらいだ。


「エミル・リヒターのこと、考えていたんですか」


「分かるか」


「分かります。あの人の名前を聞いた時の、あなたの顔で」


 ヘルマンが壁に頭をもたせかけた。


「俺、訓練所で一度だけリヒター少尉を見たことがあります。模範演武の時に。凄かったですよ。火弾(かだん)の連射速度が教範の倍以上で、しかも全弾が的の中心に当たっていた。隣にいた同期が『あれが英雄の系譜か』と言ってました」


「エミルは努力の人だ。才能もあるが、それ以上に努力している。この国を守るために」


「あなたの幼馴染なんですよね」


「ああ」


「明日——いや、もう今日か。あの人が攻めてきたら、どうするつもりですか」


 答えられなかった。


 しばらく沈黙が続いた。蝋燭の灯りが弱くなっていく。蝋が尽きかけている。


「ヘルマン」


「はい」


「お前が体制を離れた時、元の部隊の仲間は——」


「裏切り者と呼ばれました」


 ヘルマンの声は静かだった。


「当然です。俺も、あちら側にいたら同じことを言ったと思います。でも——俺は自分の目で見たものを信じたかった。隔離区の子供たちを鎮圧しろと命じられた時、もう無理でした」


「エミルはまだ、信じている」


「ええ。だからこそ強い。信じている人間は強いんです。迷いがないから」


 迷いがない。


 エミルの強さは、そこにある。新式の正統派として、教科書通りの魔法を教科書通りの精度で叩き込む。迷いのない剣は、迷いのある剣よりも速い。


 俺は迷っている。エミルと戦いたくない。だがエミルが来る。


 レナを救わなければならない。だがエミルを止めなければ、拠点の仲間が死ぬ。


 全部が同時に動いている。全部が同時に——


「ルッツさん」


 ヘルマンの声が、思考を引き戻した。


「拠点は俺たちが守ります。フランツさんがいれば、半日は持つ。だから——あなたはレナさんを連れて戻ってきてください。それだけを考えてください」


「それだけ、か」


「はい。全部を一人で背負おうとしないでください。旗の下にいるのは、あなた一人じゃないんですから」


 ヘルマンの言葉が、胸に刺さった。


 旗の下の人間。こちら側に来て日が浅いのに、もうこの若者は旗の意味を理解している。旗は一人で持つものではない。旗の下に集まった全員で、支えるものだ。


「——ありがとう」


「礼はレナさんを連れて帰ってきてからで」


 ヘルマンが立ち上がり、見張りの交代に向かった。


 俺は蝋燭の残り火を見つめた。


 明日。全てが動く。


         ◇


 夜明け前。


 フランツが俺を呼んだ。


 地下室の奥、地図を広げたテーブルの前。蝋燭を新しいものに替え、灯りの中でフランツの顔が照らされていた。


「一つ、伝えておくことがある」


「何だ」


「ヘルマンの情報をもう少し掘った。エミルの部隊が東区画に向かう理由が分かった」


「理由?」


「ヴェルナーの命令だ。均等裁定院長が直々に出した。『ルッツ・エーベルハルトの第三勢力を壊滅させ、エーベルハルトを拘束せよ。抵抗する場合は排除を許可する』」


 排除。


 殺してもいい、ということだ。


「ヴェルナーが俺を名指しで」


「紅の黎明の息子が体制を離反し、革命の理念を叫んでいる。ヴェルナーにとって、お前はディートリヒ以上の脅威だ」


「ディートリヒ以上?」


「ディートリヒは外の敵だ。『旧貴族の反乱を鎮圧する』と言えば、国民は納得する。だがお前は内の敵だ。革命の英雄の息子が、革命の腐敗を告発している。それは体制の正統性そのものを揺るがす」


 フランツの分析は、いつも通り冷徹で正確だった。


「そしてヴェルナーはわざとエミルを指揮官に選んだ」


「わざと?」


「お前の幼馴染を。お前が最も戦いたくない相手を。ヴェルナーは情報を持っている。お前とエミルの関係も知っているだろう。お前がエミルの前で動きが鈍ることを、計算に入れている」


 背筋が冷えた。


 ヴェルナー・グラーン。本心と演技の境界が溶けている男。母の元戦友。体制の頂点に立つ策謀家。


 あの男は、エミルを剣として使おうとしている。そしてエミル自身は、使われていることに気づいていないだろう。エミルにとって、この任務は正義の遂行だ。裏切り者を止めること。かつての友が道を誤ったのなら、力ずくでも止めること。


 エミルの正義と、ヴェルナーの策略が、一つの刃になって俺に向かってくる。


「フランツ。エミルと戦うことになったら——」


「なったら、じゃない。なる。確実になる。お前が拠点にいなくても、部隊が来れば戦闘は始まる」


「だから頼む。エミルを殺すな」


 フランツが一瞬、目を細めた。


「六十人の精鋭を率いて攻めてくる敵の指揮官を、殺すなと」


「エミルは敵じゃない」


「向こうはそうは思っていないぞ」


「分かっている。だが——」


 言葉が詰まった。


 どう言えばいいのか分からなかった。エミルは敵ではない。だがエミルは攻めてくる。仲間を守るためには戦わなければならない。だがエミルを傷つけたくない。


 矛盾だ。どうしようもない矛盾。


 フランツが腕を組んだ。長い沈黙の後、低い声で言った。


「やってみる。だが保証はしない。六十人を相手に手加減する余裕があるかどうかは、その場になってみなければ分からん」


「それでいい」


「甘い男だ」


「知ってる」


 フランツが鼻を鳴らした。三度目の苦笑だ。


「いいか、ルッツ。お前はレナを取り戻すことだけを考えろ。こっちのことは俺に任せろ。旗持ちには旗持ちの仕事がある。参謀には参謀の仕事がある。全部を一人で抱えるな」


 ヘルマンと同じことを言っている。


 旗の下の人間は、俺一人じゃない。


 頷いた。


 拳を握った。


 明日の夜——いや、今夜だ。もう夜が明ける。


 今夜、レナを取り戻す。


 そしてフランツが、エミルを止める。


 二つの刃が、同時に俺たちに向けられている。だが俺たちにも二つの手がある。


 片方でレナを掴み、片方でエミルの刃を受ける。


 どちらの手も離さない。


 蝋燭の新しい火が、地下室を照らした。昨日よりも少しだけ明るい灯りの中で、全員の顔が見えた。


 怖い顔をしている者もいる。覚悟を決めた顔もある。まだ迷っている顔もある。


 だが全員が、ここにいる。


 旗の下に。

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