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二度目の夜明けを <完結済み>  作者: Studio SASAME
最終章 二度目の夜明けを *46話〜60話

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旧き焔

ルッツ19歳。ディートリヒ・フォン・ベルンシュタインと刃を交える。

排水路を抜けた先は、隔離区の南壁の外だった。


 地面に這い出した瞬間、新鮮な空気が肺を満たした。排水路の中は埃と汚水の匂いが凝縮されていて、三十人以上が押し合いながら歩いた一時間は、前世の満員電車よりもきつかった。


 朝の光が眩しい。


 隔離区の壁の外は、市街地の南端に位置する貨物倉庫の裏手だった。普段は荷馬車が行き交う場所だが、今朝は人影がない。蜂起の報が市内に広まり、市民は家に閉じこもっているのだろう。


「全員、出たか」


 フランツが人数を数えていた。避難民三十四人。子供が八人、老人が十一人、残りが成人。加えて俺たちの九人。


「テレーゼ、マリア。この人たちを南の街道まで連れて行ってくれ。そこから辺境方面に向かえば、体制の手は薄いはずだ」


「ルッツは?」


 テレーゼが聞いた。十七歳の少女の目に、不安と決意が混在している。


「俺たちは残る。やることがある」


          ◇


 避難民の列が南に消えるのを見送り、残った七人で市街地の北東に向かった。俺、レナ、フランツ、カスパー、ヨハン、ペーター、クラウス。体制から離脱した若い兵士二人——リーゼとベルトルト——も合流した。辺境から来た支持者三人と合わせて、戦える人間は十二人だ。


 十二人。相変わらず小さな数だ。


 市街地の東区画に入ると、戦闘の音が近づいてきた。ディートリヒの本隊が北東から市内に侵入し、体制軍の防衛線と激突しているらしい。遠くから雷響(ドナー)の轟きが聞こえた。衝撃波が建物の窓を揺らし、硝子が砕ける音がした。


雷響(ドナー)だぞ。あの威力……ディートリヒの本隊には相当な使い手がいるな」


 フランツが窓の外を覗きながら言った。


「ディートリヒ本人かもしれない」


 レナの言葉に、空気が張り詰めた。


 大陸二位の実力者。旧式魔法(アルテ)の完成形を体現する男。旧貴族最後の天才。


 俺たちは今、その男の近くにいる。


「ルッツ。本隊と接触するつもりか」


 フランツが俺の目を見た。冷静な目だが、その奥に警告がある。


「接触せざるを得ない。隔離区の北側にまだ逃げ遅れた住民がいるかもしれない。ディートリヒの本隊が市内を進軍すれば、その経路上にいる人間は全員巻き込まれる」


「助けに行くのか。十二人で」


「戦いに行くんじゃない。人を逃がしに行く」


「結果は同じだろう。本隊にぶつかれば戦闘になる」


 フランツの言葉は正しかった。正しいが、それでも行かなければならない。


 旗の下にいる人間を生かすこと。ヘルミーネの言葉が胸に刺さっている。旗の下にいる人間とは、俺たちだけじゃない。この街で暮らし、戦いに巻き込まれたすべての人間だ。


「行く。だが全員じゃない。フランツ、お前はヨハンとペーターとクラウスを連れて西側に回ってくれ。体制軍の動きを偵察して、合流地点で報告してくれ」


「分かった。無茶するなよ」


「するかもしれない」


「だと思った」


 フランツが四人を率いて西に消えた。


 残ったのは俺、レナ、カスパー、リーゼ、ベルトルト、辺境組のヴィクトル。六人だ。


          ◇


 北東の広場に近づくにつれて、破壊の跡が濃くなった。


 石畳が割れ、壁が崩れ、焦げ跡が建物の側面に残っている。体制軍とディートリヒ軍が激しく戦った痕跡だ。体制軍の兵士の遺体が二つ、路地の端に倒れていた。カスパーが目を逸らした。


「こっちにも」


 レナが低い声で言った。路地の奥に、体制軍の制服を着た若い兵士が壁にもたれていた。まだ生きている。肩から血を流し、意識が朦朧としている。


 二十歳前後だろうか。エミルと同じくらいの年だ。


「助けるのか」


 カスパーが聞いた。声に迷いがあった。体制軍の兵士だ。俺たちにとっては敵だ。


 だが目の前に倒れているのは、怪我をした若者だ。


「リーゼ、簡易治療を」


 リーゼは元体制軍の衛生兵だった。頷いて、兵士の傍にしゃがんだ。水癒(すいゆ)の基礎で止血を始める。


 兵士の目が薄く開いた。俺たちの顔を見て、焦点の合わない目が動いた。


「……誰だ」


「通りすがりだ。動くな」


 兵士はそれ以上何も言わず、意識を失った。


「行くぞ」


 リーゼが止血を終え、兵士を建物の陰に移してから、先に進んだ。


 カスパーが小声で言った。


「体制の兵を助けるのか」


「目の前で死にそうな人間を放っておく理由がない」


「甘いな」


「フランツにも言われた」


「フランツは正しいぞ」


「知ってる」


 広場が見えてきた。


 そして——その中心に、男が立っていた。


          ◇


 ディートリヒ・フォン・ベルンシュタイン。


 噂と伝聞でしか知らなかった男が、五十メートル先にいた。


 四十代後半。銀に近い灰色の髪。痩身だが骨格がしっかりしており、長身が革の外套の下で揺るぎなく立っている。手には何も持っていない。杖も剣もない。旧式魔法(アルテ)の最上位の使い手は、武器を必要としない。体そのものが術式の媒体だ。


 ディートリヒの周囲に、体制軍の兵士が八人倒れていた。死んではいない。だが全員が動けなくなっている。焔織(フラム)で足元を焼かれた者、雷響(ドナー)の衝撃波で吹き飛ばされた者、鉄帳(フォアハング)の障壁に弾き返された者。


 一人で八人を無力化して、汗一つかいていない。


「来たか」


 ディートリヒが俺の方を見た。灰色の目が、朝の光の中で冷たく光っている。


「紅の黎明の息子。噂は聞いている」


 声は穏やかだった。教養のある声だ。低く、よく通る。カリスマ性のある声。この声で語れば、人は従うだろう。


「ディートリヒ・フォン・ベルンシュタイン」


「名を知っているか。光栄だ」


 ディートリヒが一歩前に出た。その一歩で、空気が変わった。魔力の圧。大気中の魔素がディートリヒの体に吸い寄せられるように流れている。自然な呼吸のように魔素を取り込み、体内で循環させている。旧式の達人の証だ。


「お前の母を殺したのは、我々ではない。革命が彼女を殺した。だが今日、その革命を終わらせる」


「革命を終わらせて、何を始める」


「秩序を取り戻す。血統の正しさを。この国が本来あるべき姿を」


「壁の内と外が入れ替わるだけだ」


 ディートリヒの目が一瞬、鋭くなった。


「若いな」


 それだけ言って、ディートリヒが右手を上げた。


 焔織(フラム)


 だが先ほどの三人組のそれとは、次元が違った。


 火線が——十二本。空気中に赤い糸のように編み上げられ、俺の退路を全方向から塞いだ。一本一本の火線が個別に制御されている。制御点は六つ。両手の五指と、体幹。全身を使った術式操作。


 晶鏡(シュピーゲル)の原理で解析を試みた。


 見えない。


 いや——見えるが、綻びがない。十二本の火線のすべてが完璧に制御されている。制御の遅延が、どこにもない。隙間が、ない。


 これが大陸二位の実力。旧式魔法の完成形。


「鏡刃が効かない——」


 呟きを噛み殺して、灰織を全力展開した。地系の微粒子と火系の残熱の幕を体の周囲に張り巡らせる。焔織の火線が灰織に触れた瞬間、微粒子が熱を吸収して弾けた。だが完全には防げない。火線の三本が灰織を突き抜け、左腕と脇腹をかすめた。


 焼けるような痛み。皮膚が焦げる匂い。


「ルッツ!」


 レナの声が聞こえた。


 痛みを堪えて迅駆(じんく)で横に跳んだ。ディートリヒの焔織が俺のいた場所を焼いた。石畳が赤く熔けている。


 ディートリヒが追撃してきた。右手を振るうと、雷響(ドナー)の衝撃波が空気を裂いた。音よりも先に衝撃が来る。地系の魔力を足裏に集中させて踏ん張ったが、体が後方に滑った。


 圧倒的だった。


 一手一手が重い。速い。精密。そして何より——無駄がない。マグヌスが言っていた。「旧式の極致は、呼吸するように魔法を使う」。ディートリヒはまさにそれだった。焔織から雷響への移行に、一瞬の途切れもない。


 混成型の強みは予測不能性だ。旧式と新式の術を混ぜることで、相手のリズムを崩す。だがディートリヒにはリズムがない。いや、リズムが完璧すぎて、崩す隙間がない。


 三度目の焔織が来た。今度は火線が螺旋状に編まれている。避けても追尾する。


 鉄身(てっしん)で体を硬化させ、正面から受けた。衝撃が全身を叩き、口の中に鉄の味が広がった。


 膝をついた。


「ルッツ!」


 カスパーが横から飛び出し、火弾(かだん)をディートリヒに向けて放った。若者の渾身の一撃。


 ディートリヒは見もしなかった。左手を軽く振り、鉄帳(フォアハング)の障壁が火弾を弾いた。跳ね返った衝撃でカスパーが吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。


「カスパー!」


「生きてる……」


 壁際で呻くカスパーの声を聞きながら、立ち上がった。体が軋む。左腕の火傷が熱い。脇腹からの出血が服を濡らしている。


 勝てない。


 力の差を、はっきりと理解した。混成型の予測不能性では、この男の完成された旧式を崩せない。技術の差。経験の差。そして純粋な魔力の差。


 だが——


「まだ終わっていない」


 口が勝手に動いていた。


 ディートリヒの灰色の目が、俺を見つめた。興味の色が浮かんでいた。


「面白い。旧式でも新式でもない魔法を使うな。誰に習った」


「答える義理はない」


「マグヌス・シュタインか」


 心臓が跳ねた。ディートリヒは俺の反応を見て、薄く笑った。


「あの男は昔から中途半端だった。貴族の血を持ちながら革命に与し、革命の腐敗を見て引退した。そしてお前のような中途半端な弟子を残した」


「中途半端で結構だ」


 立ち上がりながら、最後の手を考えていた。


 鏡刃は通じない。灰織では防げない。力では押し負ける。ならば——


 混成型の本質は「繋ぎ目」だ。旧式と新式の間にある、どちらにも属さない場所。マグヌスが最初に教えてくれた言葉を思い出した。「二つの流派の間には、どちらの流派にも見えない場所がある」。


 ディートリヒは旧式の完成形だ。旧式の枠内では無敵に近い。だが旧式の枠の「外」は——


 灰織を展開した。ただし今度は攻撃ではない。自分の体の周囲にだけ、極めて薄く。微粒子の幕を纏う。


 同時に、新式の迅駆(じんく)で前に出た。


 ディートリヒが焔織で迎撃した。火線が八本、俺に向かって伸びる。


 その火線の中に——飛び込んだ。


 常識外の行動だ。旧式の使い手は、相手が距離を取ることを前提に術式を組む。精密な遠距離制御こそが旧式の真髄だ。だからこそ、至近距離に飛び込む馬鹿は想定していない。


 火線が体を焼いた。灰織の微粒子が一部を吸収したが、全部は防げない。右肩、胸、太腿に焼灼の痛みが走った。


 だが——届いた。


 ディートリヒの懐に入った。


 至近距離。風刃(ふうじん)を、握り拳の距離から放った。ディートリヒの鉄帳(フォアハング)が発動したが、この距離では完全な展開が間に合わない。風刃が障壁の端をかすめ、ディートリヒの左頬を切った。


 一筋の血が、灰色の髪の男の頬を伝った。


「——ほう」


 ディートリヒの声に、初めて感情が混じった。


 次の瞬間、ディートリヒの右手が俺の胸に押し当てられた。


 雷響(ドナー)


 零距離の衝撃波が、体の内側を打った。


 世界が白くなった。


          ◇


 気づいた時、石畳の上に倒れていた。


 体が動かない。呼吸が苦しい。胸の奥で何かが壊れたような鈍い痛みがある。肋骨が折れたかもしれない。


 視界の端で、レナが何か叫んでいた。カスパーが起き上がろうとしている。辺境組のヴィクトルが俺の前に立ちはだかって、ディートリヒと対峙していた。


「退け。お前に用はない」


 ディートリヒの冷たい声。


「退かねえよ」


 ヴィクトルの声は震えていたが、足は動いていなかった。三十代の元農夫。辺境から、第三の旗を信じて来た男。


 ディートリヒが右手を上げた。


「——やめろ」


 俺の声は掠れていた。体を起こそうとしたが、腕が折れるような痛みで崩れた。


 ディートリヒが俺を見下ろした。


「死にたいのか」


「死なない。まだやることがある」


「強がりか。その傷で立てまい」


「立てなくても、まだ負けてない」


 ディートリヒの目が一瞬、揺れた。何かを思い出したような——あるいは、誰かの面影を見たような。


 遠くで轟音が響いた。体制軍の増援が来ているのか。ディートリヒが視線をそちらに向けた。


「今日は見逃してやる。紅の黎明の息子。お前はまだ若い。若さゆえの蛮勇は嫌いではない」


 ディートリヒが踵を返した。


「だが次は——容赦しない」


 長い外套の裾を翻して、ディートリヒが広場の北に消えていった。護衛の兵士たちが後に続く。


 俺は石畳の上から、男の背中を見ていた。


 圧倒的だった。かすり傷一つ——いや、頬の一筋の切り傷だけだ。それが俺の全力の成果だ。


 レナが駆け寄ってきた。


「動かないで。出血がひどいわ」


 レナの手が、俺の脇腹を押さえた。旧式の治癒の基礎——暁謡(モルゲン)の断片を使って、応急処置を始めてくれている。


 視界が暗くなりかけていた。


「ルッツ。意識を保って」


「……ヴィクトル」


「ここにいるよ」


 震えた声が近くで聞こえた。


「ありがとう」


「礼を言うな。旗の下にいるんだ、俺は」


 旗の下に。


 体が冷えていく。出血のせいだ。レナの手が温かい。


 そのまま意識が遠くなった。


 最後に見たのは、朝の空だった。灰色の煙と、赤い光と、その向こうに覗く青い空。


          ◇


 担架の上で揺られながら、断片的に意識が戻った。


 カスパーとベルトルトが担架を担いでいる。路地を早足で移動している。レナが隣を歩きながら、俺の脇腹を押さえ続けている。


 ヴィクトルが後方を警戒している。


「……どこへ」


「南の安全圏よ。フランツと合流する」


 レナの声は冷静だが、指先が震えていた。


 意識が再び途切れかけた時、遠くから声が聞こえた。


 ベルトルトの声だった。


「追手だ。体制軍の偵察隊、四人」


 担架が止まった。


「ルッツは動かせない。ここで食い止める」


 リーゼの声だ。


「俺も残る」


 ヴィクトルだ。


「二人で四人は——」


「三人だ。俺も残る」


 知らない声だった。辺境組のもう一人。名前を——聞いていなかった。


 駄目だ。待ってくれ。


 声が出なかった。体が動かなかった。


 担架が再び動き出した。カスパーとベルトルトが走り始めた。


 背後で、戦闘の音が聞こえた。火弾(かだん)の破裂音。風刃(ふうじん)が空気を切る音。人の叫び声。


 そして——静かになった。


 意識が落ちる直前、カスパーの声が聞こえた。震えた、小さな声。


「……一人、やられた」


 名前を聞く前に、闇に沈んだ。

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