表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の夜明けを <第2章スタート>  作者: ret_riever
1章 革命の残り香 *1話〜15話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/21

紋のない少女

ルッツ8歳・秋。壁の近くで、ある少女と出会います。

それは、壁の近くを通りかかった日のことだった。


 八歳の秋。放課後、エミルたちとの遊びを終えて帰る途中、普段は通らない裏路地に入った。理由はない。強いて言えば、夕焼けが綺麗だったから少し遠回りをしたくなった。


 前世では、遠回りをする余裕がなかった。シフトとシフトの間、一分でも惜しんで移動していた。だからこの体になってからは、無駄な寄り道をする贅沢を密かに楽しんでいる。


 裏路地を二つ曲がったところで、声が聞こえた。


「旧い血め!」


「壁から出てくるな!」


「貴族のなれの果てが!」


 子供の声だ。複数。罵声と、それに混じって何かが倒れる音。


 角を曲がると、光景が目に入った。


 少女が一人、地面に押し倒されていた。


 銀色の髪。壁の隙間から見た、あの少女だ。


 取り囲んでいるのは四人の少年たち。俺と同い年か、一つ上くらい。全員がこちら側の子供で、服も靴もきちんとしている。


 少女の服は違った。繕いだらけの薄い上着、擦り切れた靴。壁の向こう側の人間だと、一目で分かる格好だ。


 少年の一人が少女の腕を掴んでいた。


「隔離区から出てきたんだろ。監視兵に突き出してやる」


 少女は無言だった。暴れもしない。ただ、まっすぐに少年を睨みつけている。


 その目に、怯えはなかった。


 怒りすらも薄い。ただ、冷たい軽蔑があった。こんなことは慣れている、と言わんばかりの目。


 俺は立ち止まった。


 前世の俺なら、たぶん通り過ぎていた。


 コンビニのレジに立っているとき、店の前で酔っ払いに絡まれている女性を見たことがある。通報するべきだと思った。だがレジを離れられなかった。店長に怒られる。シフトを減らされる。今月の家賃が払えなくなる。そうやって自分に言い訳をして、目を逸らした。


 今は違う。


 レジの向こう側ではない。シフトも家賃もない。何より、俺は八歳の子供だ。子供が子供の喧嘩に口を出しても、失うものは何もない。


 前世で失った選択肢が、今の俺にはある。


「おい」


 声をかけた。四人が振り返る。


「何だよ、お前」


 リーダー格らしい少年が、顎を上げた。


 ここで殴り合いをするのは下策だ。四対一では勝てないし、仮に勝っても問題になる。前世のサービス業で学んだことがある。トラブルは力で解決するな。場の空気を変えろ。


「その子、隔離区から出てきたんだろ? それなら監視詰所に連れていくべきじゃないか。お前たちが私刑をやったら、お前たちが怒られる」


 少年たちの顔に、戸惑いが走った。


 正義感で止めようとしたのではなく、合理的な指摘をした。「お前たちが損をする」という言い方。これがサービス業で培った場の収め方だ。相手の感情ではなく、利害に訴える。


「別に私刑なんか……」


「腕を掴んで地面に押し倒してるだろ。監視兵に見られたら、問題を起こしたのはお前たちの方だと思われる」


 リーダーの少年の目が泳いだ。こいつは根っからの悪党じゃない。集団になって気が大きくなっただけの、普通の子供だ。「怒られる」という現実を突きつければ、引く。


「それに」


 俺は少し声を落とした。


「俺、ルッツ・エーベルハルトなんだけど」


 名前を出すのは本意ではなかった。だが効果は確実だ。


 四人の顔色が変わった。ルッツ・エーベルハルト。英雄ヒルデの息子。この街で最も有名な姓。


「エーベルハルト……」


「母さんの名前がついた学校に通ってるだろ。同じ学校だと思うけど」


 少年たちは顔を見合わせた。英雄の息子に逆らうつもりはない。こういう権威主義的な反応は、前世の日本でもこの国でも変わらない。


「……行こうぜ」


 リーダーが仲間に声をかけ、四人は足早に去っていった。


 残されたのは、俺と少女の二人だ。


          ◇


 少女は自力で立ち上がった。俺が手を貸す前に。


 膝が汚れている。肘に擦り傷がある。だが気にした様子もなく、服の土を払っている。


「大丈夫か」


 俺が声をかけると、少女はこちらを見た。


 近くで見ると、壁の隙間から覗いたときよりも幼い印象だった。俺と同い年くらいか。銀色の髪は陽の光を受けて白に近い色をしていて、瞳は薄い紫だ。


 整った顔立ちだった。前世の基準で言えば、確かに「高貴な血筋」を思わせる造形をしている。それがこの世界では罪になるのだから、理不尽なものだ。


「同情なら要らない」


 少女が言った。


 声は低く、硬い。年齢にそぐわない重さがある。


「同情じゃない」


「じゃあ何。英雄の息子が、貴族の子供を助けたって武勇伝にでもするの」


 棘のある言い方だ。だがその棘は、俺に向けられたものではない。これまでの人生で、壁のこちら側の人間から受けてきた全てに対する棘だ。


「ただ、あいつらがうるさかっただけだ」


 本心だった。正義感で動いたわけじゃない。見て見ぬふりができなかっただけだ。前世の俺に対する、俺自身のけじめだ。


 少女は黙って俺を見ていた。嘘を探すような目だった。


「……変なの」


 しばらくして、少女がぽつりと言った。軽蔑でも感謝でもない、ただの感想だった。


「壁のこっち側の人間に、お前みたいなのがいるとは思わなかった」


「お前みたいなの、って?」


「こっちの目を見る人間」


 少女はそう言って、俺から視線を外した。壁の方を見ている。帰る道を確認しているのだろう。


「隔離区から出てきたのか。見つかったらまずいんじゃないのか」


「壁の下に穴がある。子供なら通れる。たまに抜け出して、こっちの空気を吸いに来る」


 淡々とした口調だった。脱出が日常の一部になっている。


「名前は?」


 訊いたのは、自然な流れだったと思う。


 少女は少し間を置いた。名前を教えるかどうか、計りにかけているようだった。


「レナ」


 短く答えた。


「レナ・アウアーバッハ」


 アウアーバッハ。どこかで聞いた名だ。歴史の教科書か、家にある書物か。記憶を辿る前に、レナが先に言った。


「元公爵家。処刑された祖父の姓。要するに、この国で一番嫌われる姓よ」


 その声に悲嘆はなかった。事実を述べているだけの、乾いた声だった。


「俺はルッツ」


「知ってる。さっき自分で言ってたでしょ」


 少女の口元が、ほんの僅かに動いた。笑ったのかもしれない。


「英雄の息子と、処刑された公爵の孫。変な組み合わせね」


「変かもな」


 レナは壁の方に歩き出した。数歩行ってから、振り返った。


「ルッツ。さっきのことは、誰にも言わないで。壁から出てきたことがばれたら、祖母に迷惑がかかる」


「言わない」


 レナは頷いた。それから、もう振り返らずに裏路地を歩いていった。壁の陰に消えるまで、背筋はまっすぐだった。


          ◇


 帰り道、夕焼けの色が変わっていた。橙から赤紫へ。夜が近い。


 頭の中で、エミルとレナの顔が並んだ。


 エミルは革命の子だ。革命を誇り、共和国を信じ、明日を疑わない。太陽のように明るい。


 レナは壁の向こうの子だ。革命に奪われ、共和国に閉じ込められ、明日に期待しない。だが折れていない。


 二人の間に、灰色の壁がある。


 俺は壁のこちら側にいる。英雄の息子として、恵まれた側にいる。


 だが前世の俺は、壁の向こう側にいた。社会の底辺で、見て見ぬふりをされる側にいた。


 どちら側の気持ちも分かる。どちらも間違っていない。どちらも、ただ生まれた場所が違っただけだ。


 この壁を壊すべきなのか。壊せるのか。壊した後に何が起こるのか。


 八歳の俺に、答えはなかった。


 ただ、一つだけ決めたことがある。


 あの少女に、また会いに行こう。


 壁のこちら側から覗くのではなく、向こう側の目線で話を聞こう。


 前世で、俺はいつも壁の向こう側の声を聞こうとしなかった。聞く余裕がなかったと言い訳をしていた。


 今度は、聞く。


 それが俺にできる、最初の一歩だと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ