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二度目の夜明けを <最終章開幕>  作者: ret_riever
最終章 二度目の夜明けを *46話〜60話

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49/60

灰塵の三角

ルッツ19歳。三つの旗が、初めてぶつかる。

轟音で目が覚めた。


 地下室の天井から砂が降ってきた。蝋燭が倒れ、闇が一瞬で広がる。誰かが叫んでいる。フランツの声だ。


「来たぞ! 全員起きろ!」


 体が動いていた。マグヌスに叩き込まれた反射が、意識よりも先に筋肉を動かしている。地面に転がしていた革袋を掴み、階段を駆け上がった。


 地上に出た瞬間、目を疑った。


 隔離区の東の壁が崩れていた。


 高さ五メートルの石壁に大穴が開き、朝日の光が隔離区の路地を射している。壁の外側に、人影が見えた。軍服ではない。革鎧と長剣。そして——手に纏った魔力の光が、旧式のものだった。


「ディートリヒの兵か」


 レナが隣に来ていた。寝起きとは思えない、澄んだ声だった。


「蜂起が始まったわ」


 壁の穴から、反革命軍の兵士が隔離区に雪崩れ込んでくる。十人、二十人。数え切れない。革鎧の胸に、白い鷹の紋章が描かれている。


 同時に、反対方向——西側の監視塔から、鐘が狂ったように鳴り始めた。体制軍の警報だ。


 隔離区が、二つの軍に挟まれた。


          ◇


 路地を走った。


 フランツが先頭で、カスパーとヨハンが後ろについている。レナは俺の隣を走っている。テレーゼとマリアは先に地下の避難路に向かい、非戦闘員の誘導を始めている。ペーターとクラウスは監視塔の巡回兵の動きを偵察に出ている。


 フランツが短い報告を入れてきた。


「東の壁を破ったのはディートリヒの先遣隊だ。本隊はまだ市街の北側にいるらしい。西からは体制軍の鎮圧部隊が隔離区に向かっている」


「挟撃される」


「ああ。体制軍はディートリヒを潰すために来る。隔離区は戦場になる」


 走りながら、頭の中で状況を整理した。前世のフリーター時代に身につけた癖だ。混乱した時ほど、情報を箇条書きにする。


 一、ディートリヒの反革命軍が東から隔離区に侵入。

 二、体制軍が西から鎮圧に向かっている。

 三、俺たちの第三勢力は、その間にいる。

 四、避難民の誘導は始まっている。地下の排水路を通じて南へ。

 五、俺たちが今やるべきことは——


「ルッツ。正面」


 レナの声で思考が断ち切られた。


 路地の先に、三人の兵士が立っていた。白い鷹の紋章。ディートリヒの兵だ。


 三人の目が俺たちを捉えた。先頭の男が剣を構えた。


「共和国の兵か?」


「違う」


 俺は両手を開いて見せた。武器は持っていない。だが魔素は体内で循環させている。マグヌスに教わった混成(ミッテ)の待機状態——旧式魔法(アルテ)の精密な魔力制御を、新式魔法(ノイエ)の速度で切り替えられる準備。


「共和国の脱走兵だ。体制とは敵対している」


「脱走兵?」先頭の男が眉を寄せた。「なら、ディートリヒ様の旗の下に来い。旧体制の血を持つ者たちも一緒だろう。我々は解放者だ」


「断る」


 空気が変わった。


 男の目が細くなった。後ろの二人が剣を抜いた。


「断る、だと。お前の名は」


「ルッツ・エーベルハルト」


 男の顔から血の気が引いた。名前の力だ。紅の黎明の息子。革命の英雄の遺児。ディートリヒの反革命軍にとって、その名は敵の象徴そのものだ。


「裏切り者の息子か」


 男が焔織(フラム)を発動した。


 複数の火線が手から伸び、俺の体を包囲するように広がる。旧式魔法(アルテ)特有の精密な火術。美しく、無駄がなく——だが読める。


 晶鏡(シュピーゲル)の原理。マグヌスに教わった構造解析の基礎を、新式の速度で走らせる。焔織の術式構造が「見えた」。火線は六本。制御点は三つ。術者の右手が主導。左手が補助。二つの手の間の魔力のやりとりに、微かな遅延がある。


 そこが綻びだ。


 鏡刃(かがみば)


 構造解析で見つけた綻び——左手の制御が右手に一瞬遅れる隙間に、風刃(ふうじん)を叩き込んだ。


 圧縮した空気の刃が、焔織の制御線を断ち切った。六本の火線が制御を失い、空中で散った。火の粉が夜明けの光の中を舞い、路地の壁に当たって消えた。


「な——」


 男が驚愕した顔を見せた一瞬に、迅駆(じんく)で距離を詰めた。鉄身(てっしん)で硬化させた右拳を、男の鳩尾に叩き込む。


 男が膝をついた。残り二人が反応する前に、灰織(はいおり)を展開した。


 地系の微粒子を火系の残熱で帯電させ、散弾状に放射する。煙幕と攻撃を兼ねた、俺だけの術。灰色の霧が路地に充満し、二人の視界を奪った。その隙に全員で脇の小路に転がり込んだ。


「走れ!」


 息を切らしながら走った。背後で反革命軍の怒声が聞こえたが、追ってくる気配はない。灰織の微粒子が残留し、追跡を妨害している。


 フランツが横目で俺を見た。


「あの魔法、実戦で初めて見た」


「初めて使った」


「嘘だろ。綺麗に決まってたぞ」


「綺麗かどうかは分からない。だが——」


 手を見た。指先が微かに震えている。戦闘の後の反動だ。マグヌスの修行中には何度も模擬戦をしたが、殺意を持った相手への実戦は次元が違う。


「動いてくれた。それだけで、今は十分だ」


          ◇


 隔離区の中央広場で、さらに大きな戦闘が始まっていた。


 路地の隙間から覗いた光景に、息を呑んだ。


 体制軍の鎮圧部隊が西門から突入し、ディートリヒの先遣隊と正面からぶつかっている。火弾(かだん)焔織(フラム)が交差し、地壁(ちへき)鉄帳(フォアハング)が衝突する。新式と旧式の激突。速度と精密さの戦い。


 その間に、住民が逃げ惑っていた。


 老人が路地の隅でうずくまっている。子供が泣き叫びながら母親を探している。怪我をした男が壁にもたれて血を流している。


 戦場になった隔離区の中で、戦うことも逃げることもできない人々。


「テレーゼたちの誘導は」


「南の排水路から避難を始めている。だが全員は間に合わない。まだ三十人以上が地上にいる」


 フランツの声は冷静だが、拳が白くなるほど握り締められていた。


 判断しなければならない。


 この広場を抜けなければ、南の排水路には行けない。だが広場は今、二つの軍の交戦地帯だ。


「迂回は」


「東も西も塞がれている。通れるのは広場を突っ切るか、北の建物群の屋根伝いかだ」


 カスパーが提案した。


「屋根を行こう。広場に出たら的だ」


「屋根は反革命軍の射手が張ってるかもしれない」


「広場よりマシだ」


 俺は広場を再び覗いた。


 体制軍の鎮圧部隊の中に、見覚えのある制服があった。均等裁定院の治安部隊。黒い外套に銀の徽章。あの制服をまとった人間の行動原理を、俺は内側から知っている。


 彼らの目的はディートリヒ軍の排除だ。だが——隔離区の住民を保護する気はない。ヴェルナーの論理では、隔離区の住民は「潜在的な反革命勢力」だ。ディートリヒと一緒に制圧される側だ。


「全員を守れない」


 口に出した。フランツが振り向いた。


「だが、手の届く範囲は守る。カスパー、屋根伝いに北側に回ってくれ。広場の東端に残っている住民を南の排水路に誘導する。フランツは俺と一緒に広場の端を走る。注意を引く」


「注意を引く? 両方の軍から?」


「ああ。脱走兵ルッツ・エーベルハルトが第三の旗を掲げたことは、まだどちらにも届いていないかもしれない。だが——」


 息を吸った。


「今日、届ける」


 フランツが一瞬、目を閉じた。


「付き合うよ。死ぬなよ」


「死なない。旗持ちが先に死んだら格好がつかないんだろ」


 フランツが鼻を鳴らした。笑いなのか呆れなのか、分からない音だった。


          ◇


 広場の東端を走った。


 灰織を薄く展開しながら走った。煙幕というほどではないが、体の輪郭をぼやけさせる程度の微粒子の幕。完全な不可視ではないが、遠距離からの狙撃精度を落とす効果はある。


 マグヌスの修行で学んだことの一つ——魔法は派手に使うものではなく、必要な分だけ使うものだ。旧式の省魔力の思想。それを新式の速度で回す。


 体制軍の兵士が一人、こちらに気づいた。


「そこの者、止まれ!」


 止まらなかった。迅駆(じんく)で加速する。兵士が火弾(かだん)を放ったが、灰織の微粒子が火弾の軌道をわずかにずらした。地系の微粒子は火系の魔力を吸収する性質がある。完全な防御ではないが、直撃を逸らすには十分だ。


 広場の端を走り抜けながら、残留していた住民に声をかけた。


「南に走れ! 排水路の入口に案内がいる!」


 老人が呆然と俺を見ている。子供を抱いた女が、涙の跡がある顔で俺を見ている。


「走れ!」


 もう一度叫んだ。今度は動いた。老人がよろめきながら立ち上がり、女が子供を抱え直して走り出した。


 その間にも、体制軍とディートリヒ軍の交戦は続いている。火弾と焔織の光が広場を照らし、夜明けの空を赤く染めている。


 体制軍の別の兵士が俺を捉えた。今度は二人だ。


「脱走兵か! 投降しろ!」


 投降すれば軍法会議。脱走兵の処罰は重い。だがそれ以前に、投降する気がない。


 二人が同時に火弾(かだん)を放った。正面から二発。新式の教科書通りの連携射撃。


 鏡刃の応用。二つの火弾の術式構造を同時に読んだ。右の火弾は魔力の圧縮が甘い。左の火弾は軌道が直線的すぎる。


 右に半歩ずれて左の火弾を避け、右の火弾には灰織の微粒子を集中させて威力を減衰させた。残った衝撃を鉄身で受ける。体が軋んだが、倒れない。


 反撃。風刃を二つ、低い角度で放った。兵士の足元の石畳を砕き、体勢を崩す。殺さない。殺す必要はない。


 二人が転び、体勢を立て直す前に走り抜けた。


 フランツが後ろから続いた。


「お前の戦い方、変だぞ。殺さないのか」


「殺す意味がない。時間を稼げればいい」


「甘いな」


「甘くていい。今は」


 広場を抜けた。南の路地に入る。排水路の入口が見える。テレーゼが住民を誘導しているのが見えた。何人かが既に地下に入っている。


 カスパーが屋根伝いに東から回り込み、さらに十数人の住民を連れてきていた。


 全員ではない。全員は救えなかった。だが——


 排水路の入口で、一度だけ振り返った。


 広場では、体制軍と反革命軍の戦闘がまだ続いていた。朝日が戦場を照らしている。煙と塵と魔力の残光が混ざり合い、灰色の光が隔離区を覆っている。


 この場所で生まれ、この場所で育った人間たちが、今日、壁の穴から逃げ出していく。


 旗を掲げた日の翌朝が、こうなるとは思わなかった。いや——覚悟はしていた。覚悟していたが、覚悟と現実は違う。


「ルッツ。行くぞ」


 フランツの声で前を向いた。


 地下に潜った。


 排水路の暗闇の中を、三十人以上の足音が反響していた。

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