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二度目の夜明けを <最終章開幕>  作者: ret_riever
最終章 二度目の夜明けを *46話〜60話

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47/60

蝋燭の灯りが照らす範囲

ルッツ19歳。第三の旗に、少しずつ人が集まり始める。

広場での宣言から二日が経った。


 俺たちは市街地の東端にある廃倉庫に拠点を構えていた。革命前は穀物商の倉庫だったらしく、石壁が厚く、地下室もある。ディートリヒの蜂起と体制側の鎮圧で市街地の西側が戦場と化している今、東端のこの一帯はまだ比較的静かだった。


 だが、静かなだけだ。安全ではない。


「現状を整理する」


 地下室のテーブルに、フランツが描いた市街地の略図を広げた。炭で描かれた粗い地図だが、要所は押さえている。


「ディートリヒの主力は南西から市街地に侵入している。推定兵力は三百から四百。旧貴族の私兵に加えて、辺境から合流した傭兵崩れが混じっている。体制側の首都守備隊は約二千。ただし西方への侵攻部隊——黎明作戦(・・・・)の本隊に精鋭を割いているから、残っているのは二線級の兵と新兵が中心だ」


 フランツの分析は正確だった。この男が隔離区の壁の中で培った情報収集能力は、軍の参謀にも引けを取らない。壁の中で生き延びるためには、外の世界の動きを常に把握しておく必要があったのだろう。


「で、俺たちは何人だ」


 カスパーが訊いた。答えは分かっている。分かっていて訊いている。


「九人。地下に残した四人を含めて」


 九人と、二千と、四百。


 数字だけを見れば、話にならない。


「だが」


 フランツが地図の東端を指した。


「昨日、動きがあった」


          ◇


 最初にやって来たのは、体制側の兵士だった。


 昨日の午後。廃倉庫の入り口に、若い兵士が三人、立っていた。武装はしていたが、剣は鞘に収まったままだった。


 カスパーが臨戦態勢を取ったが、俺が手で制した。


「戦いに来たのか」


「いや」


 先頭の兵士が言った。二十歳前後。額に汗が浮いている。緊張している。だが目は逸らしていない。


「あんたの話を聞いた。広場での。均等裁定院の廃止と、隔離区の解放。あれは——本気か」


「本気だ」


「紅の黎明の息子だというのも」


「ヒルデ・エーベルハルトの息子。ルッツ・エーベルハルト。共和国軍第三連隊所属——だったが、今は脱走兵だ」


 三人の兵士が顔を見合わせた。


「俺たちは——」先頭の兵士が言葉を探した。「俺たちは、この戦いが正しいのか分からなくなった」


「どの戦いだ」


「全部だ。ディートリヒの蜂起を鎮圧しろと言われて戦っている。だが俺たちが守っているものは何だ。均等裁定院か。隔離区か。あんな仕組みを守るために、命を懸けているのか」


 若い兵士の声が震えていた。怒りではない。迷いだ。


「入隊した時は、革命の理念を守るのだと思っていた。母さんも父さんもそう言っていた。だが実際に戦場に立ってみたら、俺たちが鎮圧しているのは——壁の中に閉じ込められていた人間が、出ようとしているだけじゃないか」


 俺はこの兵士を見た。


 エミルと重なった。エミルも最初は同じことを信じていた。革命の理念。共和国の正義。だがエミルは信じ続ける道を選び、この兵士は疑う道を選んだ。


 どちらが正しいという話ではない。どちらも、自分の目で見たものに正直な人間だ。


「名前は」


「ヘルマン。ヘルマン・ベッカー。こいつらはオットーとゲルト」


「ヘルマン。俺は指導者じゃない。理想の国を作ると約束もできない。ただ、今のままではいけないと思っている。それだけだ」


「それだけでいい」


 ヘルマンが言った。


「大層な約束をする人間は、もう信じられない。ヴェルナーの演説も、ディートリヒの声明も、立派なことを言いすぎている。あんたは立派なことを言わなかった。ただ『間違っている』と言った。それが信じられた」


 フランツが横で腕を組んでいた。表情は読めないが、目の奥に何かが動いていた。


 三人の兵士が、俺たちの側に加わった。


 九人が、十二人になった。


          ◇


 二人目の合流は、予想していなかった方角から来た。


 その日の夜。見張りに立っていたヨハンが、東の方角から近づく人影を報告した。


「五人。武装はしていない。松明を一本持っている」


 松明を掲げているのは、隠れる意思がないということだ。


 俺とフランツが外に出た。カスパーとヘルマンが後方で待機した。


 近づいてきたのは、辺境民だった。


 粗末な革の上着。日焼けした顔。手に農具を持っている者がいる。斧を持っている者もいる。武器ではなく、生活の道具としての斧だ。


「あんたが、紅の黎明の息子か」


 先頭の中年の男が訊いた。四十代半ば。がっしりした体格。農民か木こりか。


「そうだ」


「辺境から来た。フェアラント辺境領の東端、グレンツベルクの近くの集落からだ」


 グレンツベルク。マグヌスが隠棲している山の近くだ。


「あんたの話は、辺境まで届いている。商人が運んできた。紅の黎明の息子が、体制を離反して隔離区の解放を訴えたと」


「二日前の話がもう辺境に」


「商人の足は速い。特に、こういう話は速く走る」


 男が松明を地面に突き立てた。五人の辺境民が、炎の灯りの中に照らされた。


「俺たちは辺境民だ。共和国の端っこで暮らしている。革命の恩恵も、均等裁定院の教育も、俺たちのところには届いたことがない。税だけは取りに来るがな」


 苦笑のような、諦めのような表情だった。


「ディートリヒが蜂起したと聞いた時、何人かは合流しようとした。だがディートリヒの軍は旧貴族の軍だ。俺たちは貴族でも革命の功労者でもない。ただの農民だ。どっちが勝っても、俺たちの暮らしは変わらない——そう思っていた」


「そう思っていた、ということは」


「あんたの話を聞いて、少し変わった。均等裁定院の廃止。隔離区の解放。あんたが言ったのはそれだけだ。貴族の復権でも、革命の輸出でもない。ただ、今の間違いを正せと。——それなら、俺たちにも関係がある」


 辺境民は体制からもディートリヒからも疎外されている。どちらにも属せない人間。


 俺たちと、同じだ。


「人数は」


「今ここにいるのは五人。だが集落に戻れば、あと十人は集められる。武装はない。魔法もろくに使えない。だが、山歩きと力仕事なら負けない」


 十二人が、十七人になった。いや、辺境の十人を合わせれば二十七人か。


 まだ少ない。圧倒的に少ない。


 だが——増えている。


          ◇


 夜が更けた。


 地下室で、レナと二人になった。


 フランツは見張りの割り当てを調整しに行った。隔離区出身の五人と、体制離脱の三人と、辺境民の五人。出自の違う三つのグループを、摩擦なく運用するための段取り。フランツの得意分野だ。


 レナが壁にもたれて座っていた。蝋燭が一本。灯りは小さい。


「増えているわね」


「ああ」


「でも、まだ足りない」


「足りないのは分かっている。数で体制やディートリヒに並ぶのは無理だ。最初から、そういう戦い方じゃない」


「じゃあ、どういう戦い方なの」


「選択肢を作る戦い方だ」


 レナが顔を上げた。


「体制かディートリヒかの二択しかない状況では、どちらかを選ぶしかない。だが三つ目の選択肢があれば——どちらにも与したくない人間が、行く場所ができる。ヘルマンたちがそうだ。辺境の人たちもそうだ。旗が立っていれば、そこに人が集まる」


「旗が立っていれば、ね。でも旗は的にもなる。祖母様の言葉を忘れないで」


「忘れていない」


 レナが蝋燭の炎を見つめた。紫の瞳に、小さな火が映っている。


「ルッツ。今日、体制から来た三人の兵士の中に——私と同い年くらいの子がいたわね。ゲルトという子」


「ああ」


「あの子の目を見た。あの子は怯えていた。戦場が怖いんじゃない。自分が信じていたものが崩れるのが怖いのよ。——私はその気持ちが分かる」


「レナも?」


「壁の中にいた頃、私は体制を憎んでいた。でも時々思ったの。もしかしたら、体制が言うように、旧貴族には罪があるのかもしれない、と。祖母様は革命が起きた責任の一端は貴族にもあると言っていたし。自分が信じている『私たちは被害者だ』という前提が、もし間違っていたらと思うと——怖かった」


 レナが珍しく、長く話した。


「ゲルトも同じよ。自分が守ってきたものが間違いだったかもしれないと認めるのは、自分の人生を否定することに近い。あなたの父上も、そうだったのでしょう」


 父の顔が浮かんだ。酒に沈んだ目。「こんなはずじゃなかった」という口癖。知っていて黙り続けた人生。


「だからこそ——あなたの言葉は大切なの。『間違っている』と言い切ることは、聞いた人間に『自分もそう思っていた』と認める許可を与えるから」


 許可。


 前世では考えたこともない概念だった。社会の底辺にいた俺に、誰かに許可を与える力があるとは思ってもいなかった。


 だが今は——母の名前がある。紅の黎明の息子という看板がある。その看板を使って、声を上げた。


 看板の力ではない。看板が注目を集め、そして中身の言葉が人を動かす。看板と中身の両方が揃って、初めて旗になる。


「ルッツ。一つお願いがあるの」


「何だ」


「指揮を任せて」


 予想していなかった言葉だった。


「指揮?」


「人の配置、補給の管理、連絡の段取り。フランツも優秀だけれど、壁の外の地理に詳しくない。私は祖母様から旧公爵領の地図をすべて教わっている。首都の裏道も、辺境への連絡路も。それを使えるのは私だけよ」


「レナ。俺は君を——」


「守ろうとしないで。それは約束したでしょう」


 紫の瞳が、蝋燭の灯りの中でまっすぐ俺を見ていた。


「私は旗の下にいるの。でも旗を見上げているだけじゃない。旗の下で働く。それが私の歩き方よ」


 前世の俺なら、この場面で格好いいことを言おうとしただろう。そして何も言えずに黙っただろう。


 今の俺も、格好いいことは言えなかった。


 だが黙る代わりに、頷いた。


「頼む」


 レナが微かに笑った。蝋燭の灯りに照らされた横顔が、一瞬だけ柔らかくなった。


          ◇


 翌朝。


 レナが動き始めた。


 まず、辺境民の五人に集落との連絡路を確認させた。首都の東門から辺境への間道は三つあるが、そのうち一つは体制側の検問がない山道だ。レナはその道の存在を、ヘルミーネから教わった古い地図で知っていた。


 次に、ヘルマンたち元体制兵三人から、守備隊の内部情報を聞き出した。巡回の時間帯、兵士の配置、指揮系統。ヘルマンは守備隊の末端にいた人間だが、末端だからこそ知っている情報がある。どの部隊が蜂起の鎮圧に出ていて、どの部隊が首都に残っているか。


 レナの指示は的確だった。無駄がない。隔離区の壁の中で十九年間生き延びるために研ぎ澄まされた判断力が、壁の外でも機能している。


 フランツが俺の横に来て、小声で言った。


「あの娘、もしかして俺より使えるぞ」


「知ってた」


「ふん。なら最初から言え」


 十七人の小さな勢力が、少しずつ形を成し始めていた。


 隔離区出身の五人が中核。体制離脱の三人が軍事面の助言。辺境民の五人が補給と連絡。そしてレナが全体の調整。フランツが情報の分析。


 指揮官は——俺だ。


 指揮官という肩書が、こんなに重いとは思わなかった。前世のバイトリーダーは、せいぜい三人のシフトを回す程度の責任だった。今は十七人の命がかかっている。


 だが前世と共通していることが一つある。


 場を読む。人を見る。誰が何を考えているかを察して、適切な位置に配置する。コンビニの夜勤シフトで学んだ技術が、形を変えてここで活きている。


 ヘルマンは責任感が強いが判断が遅い。見張りに向いている。オットーは口数が少ないが手先が器用だ。物資の管理を任せた。ゲルトは一番若くて一番怯えている。カスパーと組ませた。カスパーの率直さが、ゲルトの不安を和らげるだろう。


 辺境民のリーダー格の中年男——名はアルノルトと言った——には、集落との連絡と物資の調達を頼んだ。辺境の食料は豊かではないが、体制側の補給線から外れている分、自給自足の知恵がある。


「で、これからどうする」


 フランツが地図を前に訊いた。


「待つ。今は動かない」


「待つ? 蜂起は進行中だぞ。ディートリヒと体制がぶつかっている間に動かなくてどうする」


「動くべき時はまだ来ていない。今は旗を立てたばかりだ。旗を見た人間が、ここに来るまでの時間がいる。焦って動けば、各個撃破される」


「それはそうだが——」


「もう一つ。体制もディートリヒも、今は互いに集中している。俺たちのことは、まだ脅威と見なしていない。脅威と見なされる前に、できるだけ態勢を整える」


 フランツが黙った。数秒の沈黙。


「筋は通っている。だが一つだけ聞く。どこまで待つ」


「体制かディートリヒのどちらかが、俺たちに接触してくるまでだ。取り込みか、恫喝か、どちらかの形で必ず来る。その時が、俺たちの立場を明確にする次の機会になる」


 フランツが口の端を歪めた。苦笑だ。


「前世では何をしていたんだ、お前は」


「コンビニの夜勤だ」


「何だそれは」


「夜通し店を開けて、誰が来ても対応する仕事だ」


「ふん。今と変わらんな」


 フランツが初めて笑った。


          ◇


 その日の夕方、もう一つの変化があった。


 隔離区の地下に残していたテレーゼから、伝令が来た。


「首都の中でも、体制側に疑問を持つ人間が増えている。特に若い兵士の間で。広場での宣言が口伝で広まっている」


 伝令を運んだのはペーターだった。排水路を使って隔離区と廃倉庫の間を往復したらしい。


「それだけじゃない。体制の支持者の中にも——革命の古参兵の中にも、声が出ている」


「どんな声だ」


「『紅の黎明の息子が言っていることは、元々の革命が目指したものじゃないか』と」


 俺の言葉ではない。母の名前の力だ。


 紅の黎明。この国で最も敬愛される英雄の異名。その英雄の息子が、体制の腐敗を告発している。この構図が持つ象徴的な重みは、千の論理よりも重い。


 人は論理では動かない。物語で動く。


 前世の三十一年間で、そのことだけは学んだ。正しいことを言っても伝わらない。だが「英雄の息子が立ち上がった」という物語は、人の心に刺さる。


 俺は物語を利用している。母の物語を。


 それが正しいことなのかは分からない。だが今は、使えるものはすべて使う。旗の下の人間を生かすために。


 蝋燭の灯りが照らす範囲は、まだ狭い。


 だが昨日より少しだけ、広がっている。

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