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二度目の夜明けを <完結済み>  作者: Studio SASAME
最終章 二度目の夜明けを *46話〜60話

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46/60

壁の外へ

ルッツ19歳。蜂起が始まる。隔離区の壁を越えて、外の世界に声を上げる。

鐘が鳴った。


 だが、いつもの六つの鐘ではなかった。三つ。短く、鋭く、三つ。


 警報の鐘だ。


 地下室で眠っていた全員が飛び起きた。レナが蝋燭に火を点ける。揺れる灯りの中、九つの顔に緊張が走った。


「始まったか」


 フランツが壁に耳を当てた。地上の音が石を伝わって、微かに届く。


 怒号。金属がぶつかる音。そして——魔法の炸裂する衝撃。腹の奥に響く、低い振動。


「蜂起だ。ディートリヒが動いた」


 フランツの声は冷静だったが、壁に当てた手が白くなっていた。


 俺は立ち上がった。頭の中が一気に覚醒する。眠気はない。前世でコンビニの深夜勤務を三連続でこなした時より、はるかに明瞭だ。命がかかると、人間の脳は余計なものを全部削ぎ落とす。


「予定通りに動く。フランツ、東区画の住民の避難状況は」


「昨夜のうちに連絡は回した。三十二人。うち子供が八人、歩行が困難な老人が三人」


「テレーゼ、マリア。その三人の老人を地下に降ろすのを手伝ってくれ」


「分かった」


「カスパー、ヨハン。排水路の出口を確認して、外に出られる状態かどうか見てこい。体制側が封鎖していたら別の道を探す」


 カスパーが頷いて、ヨハンと共に走り出した。


「ペーター、クラウス。監視塔の動きを見張ってくれ。兵士が隔離区の中に入ってくるなら、早めに知りたい」


 二人が階段を駆け上がった。


 残ったのは俺と、フランツと、レナ。


          ◇


 地上に出ると、隔離区の空が赤く染まっていた。


 夜明けの色ではない。火の色だ。南西の方角——隔離区の壁の外側で、何かが燃えている。黒い煙が朝の空に立ち昇り、低い雲に混じっていく。


「市街地で戦闘が起きている」


 レナが壁際の路地から外を窺った。監視塔の上では、兵士たちが慌ただしく動いている。いつもの四人ではなく、六人に増えていた。双眼鏡が壁の外——市街地の方角を向いている。


「蜂起は隔離区の外で始まったのか」


「そうみたいね。ディートリヒの主力は隔離区の外にいる。旧貴族に同情的な商人や、辺境から集まった兵士たち。隔離区の中の人間は、後から合流する手筈だったのだと思う」


 フランツが低い声で言った。


「隔離区内でも動きがある。西区画で旗が上がった。ディートリヒの旗だ。若い連中が十人ほど、武装して壁を越えようとしている」


「壁を越えられるのか」


「南西の壁に、崩れかけている場所がある。あそこを突破するつもりだろう。だが——」


 フランツが言葉を切った。


「体制側が黙って通すとは思えない」


 その言葉を証明するように、南西の方角から烈火衝(れっかしょう)の炸裂音が響いた。壁の内側が赤い光で照らされた。悲鳴が続いた。


 ディートリヒに呼応して壁を越えようとした若者たちが、体制側の守備兵に叩かれたのだ。


 レナの顔が強張った。


「あの子たちの中に、知っている顔がいる」


「レナ。今は——」


「分かっているわ」


 レナが唇を噛んだ。紫の瞳に涙はなかった。だが、奥歯を噛み締める音が聞こえた。


          ◇


 地下に戻った。


 避難は進んでいた。テレーゼとマリアが老人三人を背負うようにして降ろしてきた。フランツが連絡を回した三十二人のうち、二十七人が地下倉庫に集まっていた。残りの五人は、西区画の蜂起に合流したか、あるいは逃げ遅れたか。


 子供たちが泣いていた。母親が抱き締めて口を塞いでいる。声を出すな、見つかるから。壁の中で十五年間繰り返されてきた言葉が、今日も繰り返されている。


 カスパーとヨハンが戻ってきた。


「排水路は通れる。出口は壁の南側、外堀の手前。体制側の兵士は南西に集中しているから、南側は手薄だ」


「今のうちだな」


 俺は避難民の方を見た。怯えた目が二十七対、蝋燭の灯りの中で俺を見返した。


「ここにいれば安全か」フランツが訊いた。


「蜂起が隔離区の中にまで広がれば、地下も危ない。だが地上よりはましだ。食料と水はどれくらいある」


「三日分」テレーゼが答えた。


「十分だ。三日以内に決着がつかなければ——」


 言いかけて、止めた。三日以内に決着がつかなければ、という仮定の先に何があるかを、ここで口にすべきではない。怯えた人々の前で、最悪の可能性を語るのは指揮官の仕事ではない。


 ヘルミーネの言葉が甦った。旗の下にいる人間を、生かすこと。


「三日分あれば問題ない。それまでに、俺たちが状況を動かす」


 根拠のない言葉だった。だが、言い切った。前世のバイトリーダー時代に学んだことが一つある。不安な人間の前では、迷いを見せるな。


          ◇


 排水路を這って進んだ。


 先頭は俺。続いてレナ、フランツ、カスパー、ヨハン。五人で壁の外に出る。テレーゼ、マリア、ペーター、クラウスの四人は地下に残り、避難民を守る。


 排水路は暗く、狭く、臭かった。膝まで泥水に浸かりながら、低い天井に頭をぶつけないよう身を屈めて進む。レナが手書きの地図を頼りに分岐を指示した。


「次を右。その先に、外堀への出口がある」


 出口は鉄格子で塞がれていた。だが錆びきった鉄は脆く、カスパーが鉄身(てっしん)で強化した拳で二度殴ると、留め金が砕けた。


 外の光が差し込んだ。


 壁の外。


 生まれて初めて、隔離区の壁の外に立つ者が二人いた。カスパーとヨハン。二人とも、朝の光に目を細めた。


「これが——壁の外か」


 カスパーが呟いた。声が震えていた。怒りではない。感動でもない。もっと生々しい、名前のつかない感情だった。


 壁の外の世界は、壁の中と同じ空の下にある。同じ風が吹いている。だが、空間が違う。壁に囲まれていない空間の広さが、体で感じられる。


 俺も、前世で初めて東京を出た時の感覚を思い出した。高い建物のない田舎道で、空が広いことに驚いた。閉じ込められていたのは自分の方だったと気づいた瞬間。


「感傷に浸るのは後だ」


 フランツが低い声で遮った。正しい。今は時間がない。


          ◇


 壁の外に出てから、南東の市街地へ向かった。


 蜂起の主戦場は南西だ。ディートリヒの勢力と体制の守備隊がぶつかっている方角。俺たちはそこを避けた。戦場の真ん中に突っ込む力はない。


 目指したのは、市街地の東側にある革命広場だ。革命記念碑がある広場。母の名が刻まれた碑の前。あそこなら、声が届く。


 市街地は混乱していた。


 店は軒並み閉まり、通りに人影は少ない。だが窓の隙間から覗く目がある。住民たちは家の中に閉じこもり、外の異変を窺っている。


 巡回の兵士が一組、通りの向こうを走って行った。南西の方角——蜂起の鎮圧に向かうのだろう。俺たちには目もくれなかった。汚れた格好の若者五人を、避難民だと思ったのか。


 革命広場に着いた。


 広場は無人だった。いつもなら朝市が立つ時間だが、今日は誰もいない。中央の革命記念碑だけが、朝日の中に立っていた。


 碑文が見える。


『革命の英雄たちの名を、ここに刻む。彼らの血は、均等なる未来の礎となった』


 その下に並ぶ名前の、三番目。


『ヒルデ・エーベルハルト——紅の黎明』


 母の名前だ。


 前世のフリーターだった俺には、誰かに刻まれるような名前はなかった。死んでも誰にも覚えられない人生だった。


 この世界の母は、石に名前を刻まれた。英雄として。


 だがその名前は今、侵略戦争の旗印にされようとしている。黎明作戦(・・・・)。母の異名を冠した侵攻計画。


 碑の前に立った。


「ここでいい」


「何をするつもりだ」フランツが訊いた。


「声を上げる。体制にもディートリヒにも届く場所で」


「五人で? 聞く者がいるのか」


「いなくてもいい。旗を立てることに意味がある。最初は誰も見ていなくてもいい」


 カスパーが俺を見た。


「やれよ。俺たちはここにいる」


          ◇


 革命広場の中央に立った。


 魔力を練った。新式魔法(ノイエ)の基礎技術に、声を遠くに届ける風系(・・)の応用がある。拡声。訓練所で教わった通信術の変形だ。


 風が渦を巻いた。声が魔力に乗って、広場の外に——市街地に——広がっていく。


 深く息を吸った。


 そして、叫んだ。


「俺はルッツ・エーベルハルト。紅の黎明——ヒルデ・エーベルハルトの息子だ」


 声が市街地に反響した。石壁と石畳の間を跳ね返り、通りの奥まで届いていく。


「俺は共和国軍を離反した。均等裁定院にも、反革命勢力にも、与しない」


 窓の向こうで、影が動いた。隠れていた住民たちが、声の方角を見ている。


「母が命を懸けた革命は、今日この国を侵略戦争に駆り立てている。均等の名のもとに人を壁の中に閉じ込め、革命の名のもとに隣国を攻めようとしている。これが母の望んだ国か。これが革命の理念か」


 フランツが俺の横に立った。レナが反対側に立った。カスパーとヨハンが背後を固めた。


 五人。たった五人だ。体制の軍勢にもディートリヒの兵力にも、比較にならない。


 だが五人は、ゼロではない。


「均等裁定院を廃止しろ。隔離区を解放しろ。黎明作戦(・・・・)を中止しろ。母の名で侵略をするな」


 声が途切れた。息が切れたのではない。言うべきことを、言い切ったのだ。


 広場に沈黙が落ちた。


 だが沈黙は、空っぽではなかった。窓の隙間から覗く目がある。通りの角から身を乗り出す人影がある。声を聞いた者たちが、固まった表情で、革命広場の中央に立つ五人を見ていた。


「紅の黎明の、息子——?」


 誰かが呟いた。


 英雄の息子が、体制を離反した。


 その事実が、蜂起の混乱の中に投じられた小石のように、波紋を広げ始めていた。


          ◇


 反応は、思ったよりも早く来た。


 広場の北側の通りから、兵士が四人、駆けてきた。体制側の巡回部隊だ。若い兵士ばかりだった。二十代前半。俺と大して歳が変わらない。


「止まれ! 何者だ!」


 先頭の兵士が剣を抜いた。剣の刃に魔力が薄く纏わりついている。鉄身(てっしん)の基礎——近接戦闘の構え。


 俺は両手を広げた。武器は持っていない。


「ルッツ・エーベルハルトだ。脱走兵だ」


 四人の動きが止まった。


 名前が、足を止めさせた。エーベルハルト。紅の黎明の姓。この国の兵士で、その名を知らない者はいない。


「エーベルハルト……紅の黎明の」


「息子だ。そして今日、この国に問う。均等裁定院は革命の理念に反している。隔離区は人権の侵害だ。黎明作戦は侵略戦争だ」


 若い兵士たちの顔に、動揺が走った。


 俺の言葉が正しいかどうかを判断しているのではない。英雄の息子が、体制を真正面から否定しているという事実に、処理が追いついていないのだ。


「し、指揮官に連絡する。動くな!」


 先頭の兵士が叫んだ。だが声が震えていた。


 紅の黎明の息子を、斬れるか。


 その問いが、若い兵士の剣先を揺らしていた。


 フランツが俺の耳元で囁いた。


「時間がない。連絡が上に行けば、まともな部隊が来る」


「分かっている。だがこの四人には手を出さない」


「甘いことを——」


「甘くない。この四人に手を出せば、俺たちは『英雄の息子を語る暴徒』になる。手を出さないことが、旗を立てることだ」


 フランツが黙った。数秒の沈黙の後、鼻を鳴らした。


「参謀としては最悪の判断だが、旗持ちとしては正しいかもな」


 俺たちは広場から退いた。


 革命記念碑の前で声を上げ、体制の兵士に姿を見せ、そして誰も傷つけずに去った。


 それだけだ。


 それだけのことが——この日、首都中に広まった。


 紅の黎明の息子が、体制を離反した。


 均等裁定院の廃止を求めた。隔離区の解放を叫んだ。侵攻の中止を訴えた。


 蜂起の混乱の中で、第三の声が上がった。


 体制でもなく、反革命でもない、第三の旗が。

体調不良で更新遅くなりました。

最終章楽しんでもらえると嬉しいです。

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