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二度目の夜明けを <最終章開幕>  作者: ret_riever
3章 旗の色が変わる時 *31話〜45話

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友の旗

ルッツ18歳。エミルの選択を知る。

先に聞いたのは名前ではなく、数字だった。


 裁定院の書庫で資料整理をしている時、隣の通路で警護班の同僚二人が話しているのが聞こえた。


「黎明作戦の先鋒、八十名だってな」


「少数精鋭か。鉄鷲から何名出るんだ」


「十二名。志願者が多すぎて選抜したらしい」


 指先が止まった。持っていた紙束の角が、微かに震えた。


 黎明作戦。あの文書。母の異名を冠した侵攻計画。ヴェルナーからの参加打診を、俺はまだ引き延ばしている。


 同僚たちの会話は続く。


「鉄鷲の連中は血の気が多いからな。先陣を切りたがる」


「お前、知ってるか。リヒターも志願したらしいぞ」


 心臓が、一拍止まった。


「リヒター? あの火系統の。若いのに凄い奴だな」


「ああ。先鋒の中でも最年少だとよ。志願理由が『革命の理念を守るため』だってさ。上も気に入ったんだろう」


 二人が笑いながら通路を曲がっていった。


 書庫に静寂が戻った。


 紙束を棚に戻す手が、まだ震えていた。


 エミル。


 お前が、先鋒に。


          ◇


 その夜、裁定院の裏門を出たところで、エミルが待っていた。


 壁に背を預けて立っている。軍服の上に厚手の外套を羽織り、腕を組んでいる。吐く息が白い。秋が深まり、夜気に冬の匂いが混じり始めている。


 俺を見て、手を上げた。


「よう」


 いつもの声。いつもの仕草。だが俺には、その「いつも通り」の裏にあるものが透けて見えた。


 待っていたのだ。話をしに来たのだ。


「久しぶりだな」


「ああ。三週間ぶりか」


 模擬戦以来だ。あの日以来、エミルとは顔を合わせていなかった。互いに避けていたのか、単にすれ違っていたのか。たぶん、両方だ。


「飯、まだか?」


「まだだ」


「じゃあ行こうぜ。奢る」


 エミルの声に軽さがあった。だがその軽さは意識して作られたものだと、俺には分かる。前世のコンビニで、退職を決めた同僚がやけに明るくなるのを何度も見た。覚悟を決めた人間は、逆に軽くなる。


          ◇


 官庁街から少し外れた場所にある酒場に入った。


 木のテーブルに向かい合って座る。黒パンと肉の煮込み。安い麦酒。前に来た時と同じ店だが、前に来た時とは何もかも違う。


 エミルが麦酒を一口飲んで、テーブルに杯を置いた。


「聞いたか」


 単刀直入だった。この男は、回りくどいことが苦手だ。


「先鋒に志願したって話か」


「ああ。正式に決まった。来週、西方の集結地点に移動する」


 来週。


 そんなに早いのか。


「鉄鷲の中でも選ばれた十二人。光栄だよ。こういう時のために鍛えてきたんだからな」


 エミルの目が、あの模擬戦の時とは違っていた。あの時の硬い光ではない。もっと穏やかで、もっと確かな光。自分の選んだ道を信じている目だ。


「なぜ志願した」


 聞かずにはいられなかった。


「なぜって」


 エミルが肩をすくめた。


「共和国を守るためだよ。西のヴェルトハーフェンは不安定だ。放っておけば向こうからこっちに手を伸ばしてくる。だったら、先にこちらから安定を届ける。母さんたちがこの国でやったように、向こうの民にも均等な魔法教育を広げる。それが革命の次の段階だ」


 革命の次の段階。


 その言葉を聞いた瞬間、体の内側が冷えた。


 エミルの言葉は、黎明作戦の文書に書かれていた「作戦目的」の一番目そのものだった。「革命の理念の大陸的拡大」。美しい言葉だ。だが俺は知っている。三番目の「戦略的資源の確保」が本当の狙いだということを。


 エミルは本気でそれを信じている。あるいは——信じようとしている。


「安定を届ける、か」


「何だよ、その言い方」


「いや——」


 言いかけて、止めた。だが一度開きかけた口は、もう閉じられなかった。


「エミル。あの作戦は侵攻だ」


 エミルの手が杯の上で止まった。


「安定を届けるんじゃない。隣国に軍を送り込んで、土地と資源を奪うんだ。そのための名目として、革命の理念が利用されてるだけだ」


 エミルの目から穏やかさが消えた。


「お前、何を言ってるんだ」


「事実を言ってる」


「事実? お前がどこでその『事実』を知ったんだ。裁定院の書庫で何を読んでるんだ」


 鋭い質問だった。この男は馬鹿ではない。俺が体制の内部情報に触れていることを、直感で嗅ぎ取っている。


「どこで知ったかは関係ない。問題は内容だ。あの戦争で死ぬのは、お前みたいな前線の兵士だぞ。元勲会の連中は首都の安全な場所で地図を眺めてるだけだ」


「前線に出ることの何が問題なんだ。兵士は戦うために存在する。それが嫌なら軍に入るな」


「そうじゃない。戦う理由の話をしてるんだ。守るための戦いと、奪うための戦いは違う」


「奪うなんて言い方をするな」


 エミルの声が低くなった。周囲の客が一瞬こちらを見て、すぐに目を逸らした。


「ルッツ。お前に一つ聞く」


「何だ」


「お前にそれを言う資格があるのか」


 静かな声だった。怒鳴るよりも静かな声の方が、時に深く刺さる。


「旧い血と通じて、旧式魔法(アルテ)を使って、体制の内部情報を覗き見して。お前こそ革命を裏切ってるだろう」


 息が詰まった。


 裏切り。


 その言葉が喉に引っかかった。


「俺が聞いたのは戦争の正当性の話だ」


「正当性? この国は革命で生まれた。旧体制を倒して、均等な社会を作った。その理念を広げることのどこが不正なんだ」


「理念を広げるために他国を侵略するのが正しいのか」


「侵略じゃない。解放だ」


 解放。


 前世の記憶が閃いた。歴史の中で「解放」と呼ばれた戦争がどれだけあったか。そのすべてが、解放される側にとっては侵略だった。


「解放される側はそう思わないだろうな」


「解放される側が旧体制の中で苦しんでるんだぞ。ヴェルトハーフェンの平民は、今も貴族に魔法教育を独占されてる。俺たちがあの壁を壊してやるんだ」


 壁。


 皮肉な言葉だった。この国の中にも壁がある。隔離区の壁を。エミルはその壁の存在を知っていながら——いや、知っているからこそ、外の壁を壊すことに意味を見出そうとしているのか。


 あるいは、中の壁を見ないために。


「エミル」


「何だ」


「革命の理念を裏切ってるのは——この国そのものだ」


 口にした瞬間、空気が変わった。


 エミルの目が見開かれた。怒りではなかった。驚きでもなかった。予感が現実になった時の、あの凍りつくような表情だった。


 前の食堂で俺に「お前の道と俺の道が重なるところが、どんどん減ってる」と言った時、エミルはこの瞬間を予感していたのだ。


 俺がいつか、こう言うことを。


「……もう一回言ってみろ」


「革命の理念は正しかった。だがこの国は、その理念を歪めた。均等を謳いながら忠誠で選別し、解放を謳いながら旧貴族を囲い込み、平和を謳いながら侵略を始めようとしてる。母さんが命を懸けたのは、こんな国のためじゃない」


 最後の一言が、テーブルの上の麦酒を揺らした。


 エミルは黙っていた。


 五秒。十秒。木の杯を握る指の関節が白くなっていた。


「お前は」


 声が掠れていた。


「お前は、この国を否定するのか」


「国を否定してるんじゃない。この国のやり方を否定してるんだ」


「同じことだ」


 エミルの手が杯を離した。テーブルの上に、両手を平らに置いた。


「ルッツ。俺は七歳の時からお前を知ってる。お前が人と違う目で世界を見てることも知ってる。お前が裁定院の中で何かを探してることも、たぶん旧い血の誰かから旧式魔法(アルテ)を学んだことも、全部——全部わかってて、黙ってた」


 声が震えていなかった。感情を、意志の力で押し込めている。


「黙ってたのは、お前が友人だからだ。密告なんかしたくなかったからだ」


「エミル」


「でもな、ルッツ。友人だから何でも許せるわけじゃない」


 エミルが立ち上がった。


 椅子が床を擦る音が、酒場に響いた。


「お前がこの国を否定するなら、俺はお前を——」


 言いかけて、唇を噛んだ。


 その先の言葉を飲み込んだ。


 代わりに、外套のポケットから硬貨を出し、テーブルに置いた。飯代だ。奢ると言っていた。


「来週、発つ」


 背を向けた。


「エミル」


 呼び止めた。だが続く言葉が見つからなかった。


 止めてくれ、とは言えない。お前が正しい、とも言えない。


 エミルは振り返らなかった。


 酒場の扉が開き、夜の冷気が流れ込んできた。エミルの背中が、四角い光の中に一瞬だけ浮かんで、消えた。


 扉が閉まった。


 テーブルの上に、半分残った麦酒と、エミルが置いた硬貨が残っていた。


 硬貨の表面に、共和国の紋章が刻まれていた。交差する二本の剣の上に昇る太陽。革命の旗の意匠。


 その紋章を見つめながら、俺は動けなかった。

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