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二度目の夜明けを  作者: ret_riever
1章 革命の残り香 *1話〜15話

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3/11

共和国の子供たち

ルッツ7歳。国民学校に入学します。

七歳になった俺は、母の名前がついた学校に通い始めた。


 ヒルデ・エーベルハルト記念国民学校。石造りの校舎の正門に、その名が金文字で刻まれている。毎朝、母の名を見上げてからくぐる門。奇妙な気分だった。


 前世では大学を中退した。教室という場所に、良い記憶はない。講義についていけず、周囲と馴染めず、いつも端の席で縮こまっていた。


 だが今の俺は七歳だ。三十一年分の知識がある七歳。授業の内容は前世の小学校以下だし、人付き合いも三十年分の経験がある。


 楽勝だと思った。最初の三日間だけは。


          ◇


 国民学校の授業は、読み書き、算術、歴史、そして「共和国市民教育」の四つが柱だった。


 読み書きと算術は問題ない。この世界の言語はすでに習得しているし、数学の基礎は前世のものがそのまま使える。


 問題は、残りの二つだった。


 歴史の授業。教師は四十代の痩せた男で、元革命兵士だという。左腕に古い火傷の跡があり、それを誇らしげに見せながら語る。


「革命以前、この国は魔導貴族に支配されていた。彼らは『魔法は高貴な血にのみ宿る』と偽り、平民から魔法の権利を奪っていた」


 教室に並ぶ二十人ほどの子供たちが、真剣な目で聞いている。


「だが、真実は違った。魔法はすべての人間に宿る。貴族たちはそれを知りながら隠し、自分たちだけが特別な存在だと嘘をついていた」


 ここまでは、おそらく事実だ。家にある書物を読んで、その程度のことは把握している。


 問題はここからだった。


「貴族たちは平民を家畜のように扱った。逆らう者は見せしめに殺され、魔法の才能を持つ平民の子供は、生まれた時点で処分された」


 教師の声が熱を帯びる。


「だからこそ、革命は正しかった。我々の父母は命を懸けて立ち上がり、この不正義を打ち砕いた。そして今、この共和国がある。すべての国民が平等に魔法を学べる、この素晴らしい国が」


 子供たちの目が輝いている。正義の物語。悪い貴族を倒した英雄たち。単純で、分かりやすく、気持ちがいい。


 俺だけが、背筋に冷たいものを感じていた。


 ――これ、洗脳教育じゃないか。


 前世の日本にも似たようなものはあった。程度の差はあれ、どの国でも教育には国家の意思が反映される。だが、ここまで露骨なのは初めてだ。


 事実と嘘を混ぜている。貴族の支配が不当だったのは本当だろう。だが「すべての国民が平等に魔法を学べる」という部分は、本当だろうか。


 家にある母の日記を、俺はまだ読めていない。鍵がかかった引き出しの中にあることは知っている。だが五歳の時点では手が届かなかったし、七歳になっても父の目を盗んで開けるのは難しい。


 ただ、この街を歩いていて気づいたことはある。


 壁の向こう側。あの隔離区に住む人々の子供たちは、この学校にいない。


 「すべての国民が平等に」。


 あの壁の向こうにいる人間は、「国民」に含まれていないのだ。


 七歳の俺は、黙って教師の話を聞いていた。反論する立場にない。何かを変える力もない。


 ただ、覚えておこうと思った。何が事実で、何が飾りで、何が嘘なのか。


 前世では、そういうことに気づかないふりをして生きてきた。気づいても何もできないなら、気づかない方が楽だった。


 でも今は、まだ七歳だ。時間だけは、ある。


          ◇


「おい、お前がルッツ・エーベルハルトか!」


 昼休みの教室で、声をかけてきたのは、栗色の髪をした少年だった。


 第一印象は、うるさい。


 目が大きく、笑顔が眩しく、声が無駄にでかい。前世の感覚で言えば、体育会系の典型だ。教室の隅で弁当を食べていた俺のところに、まっすぐ歩いてきた。


「俺はエミル。エミル・リヒター。父ちゃんは共和国軍の中隊長だ!」


 自己紹介が名前と父親の肩書き。この国の子供にとって、親の経歴がそれだけ重要だということだろう。


「ルッツ・エーベルハルトだ」


「知ってる!」


 エミルが目を輝かせた。


「お前の母さん、ヒルデ・エーベルハルトだろ。『紅の黎明』! 革命最大の英雄だ! 父ちゃんがいつも話してくれるんだ。ヒルデ中佐の突撃がなかったら、最後の砦は落とせなかったって」


 母の二つ名まで知っている。軍人の家庭では、革命の英雄譚が日常的に語られているらしい。


「すげえよな。お前の母さんは最高の英雄だ。俺たちも大きくなったら、共和国を守るんだ!」


 エミルの目には、曇りがなかった。


 疑いも、皮肉も、諦めも、何もない。革命は正しかった、共和国は素晴らしい、英雄は偉大だ。そのすべてを、この少年は心の底から信じている。


 前世の俺なら、こういう手合いは苦手だった。眩しすぎて、近づくと自分の影が濃くなる。


 だが不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。


「ありがとう」


 素直にそう言えたのは、たぶん、こちらの体が七歳だからだ。三十一歳の体では言えなかったかもしれない。大人になると、素直さは錆びつく。


「なあ、ルッツ。一緒に飯食おうぜ。お前いつも一人だろ」


「目立つのが苦手なんだ」


「英雄の息子が何言ってんだよ」


 エミルは笑って、俺の隣に座った。許可を取る前に、もう座っている。こういう人間だ。


 それから、エミルは自分の家族のこと、好きな食べ物のこと、将来は軍に入って父親を超えるつもりだということ、次々と話し続けた。俺は相槌を打ちながら聞いていた。


 前世では、こんな相手はいなかった。


 友人、と呼べる存在が、三十一年の人生で一人もいなかった。学生時代は馴染めず、アルバイト先では人の入れ替わりが激しく、誰とも深い関係を作れなかった。作ろうとしなかった、というのが正しいかもしれない。


 エミルは違う。こちらが壁を作る前に踏み込んでくる。引っ込み思案の人間に対する最適解は、たぶんこれだ。選択肢を与えずに隣に座ること。


「なあルッツ、放課後、一緒に広場で遊ばないか? 軍の訓練ごっこしようぜ」


「訓練ごっこ?」


「木の枝で剣を作ってさ、革命軍と魔導貴族に分かれて戦うんだ。貴族役はだいたいフリッツがやらされるんだけど」


 七歳の遊びが「革命ごっこ」。この国の子供たちにとって、革命とは歴史ではなく、遊びの題材になるほど身近なものなのだ。


 そして「貴族役」は罰ゲームのように押し付けられる。負ける役、悪い役、倒される役。


 壁の向こう側にいる子供たちのことを、ふと思い出した。


 この教室にいる子供たちは知らないのだ。自分たちが「革命ごっこ」で遊んでいる間、本物の「貴族の子供」がすぐ近くの壁の向こうで、自由もなく暮らしていることを。


 知らないのか、知らされていないのか。


 たぶん、両方だ。


「――いいよ。行く」


 俺はエミルの誘いに頷いた。


 友人ができることが嬉しかった。三十六年分の人生で、初めての友人だ。


 その友人が信じているものに、俺が疑問を感じていることは、まだ言わないでおこうと思った。


 嘘ではない。ただ、まだ言わないだけだ。


 そう自分に言い聞かせながら、俺はエミルと並んで教室を出た。


 廊下の壁に、母の肖像画がまた一つ飾られていた。


 英雄は、ここでも俺を見ている。

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