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二度目の夜明けを <完結済み>  作者: Studio SASAME
2章 均等の裏側 *第16話~第30話

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二つの師・後

ルッツ17歳。混成型魔法の修練と、隠棲した元将軍の噂。

混成(ミッテ)が、輪郭を持ち始めた。


 それは二ヶ月間の夜間訓練の末に、ようやく掴んだ感覚だった。


 隔離区の裏手にある空き地。瓦礫と雑草に覆われた、誰も来ない場所。ここが俺の秘密の訓練場だった。


 掌に魔力を集める。新式魔法(ノイエ)の速度で圧縮する。同時に、旧式魔法(アルテ)の制御法で形を整える。


 二つの工程を並列で走らせる。


 ヴェルナーから学んだ並列処理の技術が、ここで活きた。新式と旧式を同時に扱うために必要だったのは、脳の中に二つの回路を走らせる能力だった。


 火球が掌の上で形成された。


 新式のように速い。だが旧式のように精密に制御されている。散逸がほぼゼロで、形が安定している。


 放った。


 十メートル先の瓦礫の壁に命中した。焼き込みは深く、弾着は正確だった。


 成功だ。


 だが、次の一発は暴発した。


 圧縮と制御のタイミングが僅かにずれ、掌の上で火球が弾けた。熱が手のひらを焼く。咄嗟に魔力を散らして、大事には至らなかったが、皮膚が赤く腫れた。


「くそ」


 小さく毒づいた。


 十発撃って、六発成功。四発失敗。成功率は六割。


 訓練所時代の三割からは上がった。だが実戦で使うには足りない。実戦では失敗が許されない。暴発すれば自分の手が吹き飛ぶ。六割の成功率は、四割の確率で自爆するということだ。


「安定しないわね」


 レナが瓦礫の上に座り、俺の訓練を見ていた。膝を抱え、月明かりの中で銀色の髪が淡く光っている。


「並列処理の精度が足りない。二つの回路が干渉し合う瞬間がある。そこでずれが生じる」


「新式と旧式の術式構造が、根本的に違うからよ。同じ脳の中で二つの文法を同時に走らせれば、どうしても衝突する」


「分かってる。だが解決法が見えない」


「無理に混ぜようとしているからじゃない? 混ぜるんじゃなくて、繋ぐの。別々のものを一つにするんじゃなくて、別々のまま橋を架ける」


 レナの比喩は、いつも的確だった。


 混ぜるのではなく、繋ぐ。油と水を乳化させるのではなく、油と水を別の容器に入れたまま、パイプで繋ぐ。


 それはつまり、新式と旧式を融合させるのではなく、切り替えるということだ。


 同時に走らせるのではなく、瞬時に切り替える。新式の速度で展開し、旧式の精密さで制御し、再び新式の速度で放出する。三つの段階をそれぞれ最適な流派で処理する。


「切り替えの速度が問題になる」


「でも、同時に走らせるよりは安定するはず」


 理論的にはそうだ。試してみる価値がある。


 掌に魔力を集めた。新式の速度で圧縮。ここで切り替える。旧式の制御に移行し、形を整える。もう一度切り替えて、新式の速度で放出。


 火球が飛んだ。


 瓦礫に命中。焼き込みは先ほどと同等。だが暴発しなかった。


「もう一発」


 同じ手順を繰り返した。成功。もう一発。成功。さらに一発。


 五発連続で成功した。


「切り替え方式の方が安定する」


「ただし」レナが立ち上がった。「速度は落ちている。切り替えのたびに一瞬のラグがある。並列と比べると、展開速度で劣る」


「代わりに安定性が上がる。実戦では安定性の方が重要だ」


「その判断は正しいと思う。でも、速度を犠牲にするなら、新式の使い手に先手を取られる局面が出てくる」


 レナの指摘も正しかった。純粋な速度勝負では、新式の専門家に劣る。精密さでは、旧式の専門家に劣る。混成型は「どちらにも勝てない」代わりに「どちらにも負けにくい」中間地帯を取る戦い方だ。


 器用貧乏と呼ばれるかもしれない。だが器用貧乏には器用貧乏の強みがある。


 前世で学んだ。コンビニも倉庫も配達もこなせる人間は、一つの職場では専門家に劣る。だが何でもできるからこそ、どんな状況にも対応できる。専門家が力を発揮できない局面で、器用貧乏が生き残る。


 混成型も同じだ。


 新式と旧式の専門家が想定している戦い方から外れた動きをすれば、相手の経験則が通用しなくなる。予測不能性。それが混成型の最大の武器だ。


 だが今はまだ、武器と呼べるほどの完成度ではない。


 成功率六割から八割に上がったが、実戦レベルの九割五分にはまだ遠い。


 時間が要る。


          ◇


 翌日の午後。ヴェルナーの執務室で、新式の並列処理の訓練を受けていた。


 火弾と鉄身(てっしん)の同時展開。攻撃と防御の並列。これは七割の安定率に達していた。


「順調だな。もう少しで安定領域に入る」


 ヴェルナーが頷いた。


「ルッツ。お前に一つ話しておきたいことがある」


「何でしょうか」


「マグヌス・シュタインという名を知っているか」


 心臓が跳ねた。昨夜、ヘルミーネから聞いたばかりの名前だ。だが表情には出さない。


「革命史の授業で名前だけは。革命の将軍の一人だと」


「そうだ。マグヌスは革命の将軍だった。だが彼には、他の将軍にはない特異な経歴がある」


 ヴェルナーが窓辺に歩み寄った。いつもの癖だ。思索する時、この男は窓の外を見る。


「マグヌスは旧貴族だ。フォン・シュタイン家の嫡男。旧体制下では有力な魔導貴族の家系だった。彼は旧式魔法の正統な使い手だ。おそらく、今も生きている者の中では最も高い水準の旧式を持っている」


「旧貴族が革命に参加した?」


「唯一の人物だ。マグヌスは自らの出自を捨て、革命に加わった。動機は……まあ、複雑だったようだ。旧体制への幻滅、平民への罪悪感、あるいは単に時代の流れを読んだのか。本人に聞いたことはない」


 ヴェルナーの声に、微かな感情の揺れがあった。苦い思い出を語っている時の質感だ。


「革命戦争では、マグヌスの貢献は大きかった。旧式の知識を革命軍に提供し、貴族軍の戦術を解析した。彼がいなければ、最後の砦は落とせなかったかもしれない。ヒルデの正面突破と、マグヌスの戦術分析。その二つが揃って、初めて勝てた」


「母とマグヌス将軍は、協力関係にあったんですか」


「ああ。ヒルデはマグヌスを信頼していた。革命軍の中で、旧貴族のマグヌスを信頼した数少ない人間の一人だ」


 ヴェルナーが振り返った。


「だが革命後、マグヌスは軍を退いた。突然にな。理由は語らなかった。ただ『もう十分だ』とだけ言い残して、消えた」


「今はどこに」


「どこかの山奥で隠棲しているらしい。辺境のどこか。正確な場所は知らない。知ろうとも思わなかった」


 ヴェルナーの目が曇った。


「マグヌスか。あの男は……革命を信じていたが、革命の後を信じなかった。革命は正しかったが、その先にある国作りには関わりたくないと、そう判断した」


「それは批判ですか」


「批判か……いや。羨望かもしれんな」


 ヴェルナーが小さく笑った。苦い笑みだった。


「あの男は戦いを終えて、山に入った。私は戦いの後も、この椅子に座り続けた。どちらが正しかったのか。今でも分からん」


 珍しい言葉だった。ヴェルナーが自分の選択への迷いを口にしたのは、初めてだ。


 だがすぐに、表情が戻った。裁定院長の顔に。


「くだらん昔話だ。忘れてくれ。続きをやろう。次は火弾と風刃(ふうじん)の並列だ。属性の異なる術式を同時に走らせる訓練に入る」


「はい」


 ヴェルナーの語ったマグヌス像を、頭の中で整理した。


 旧貴族の出身。旧式の正統な使い手。革命に参加し、新式の戦術も知っている。つまり、両方の魔法を知る人物だ。


 ヘルミーネが言ったことと一致する。


 そして、ヴェルナーが語った「羨望」という言葉。あの男がマグヌスを羨んでいるということは、マグヌスが「正しい選択をした」とヴェルナー自身が半ば認めているということだ。


 権力の座に留まり続けた自分と、すべてを捨てて山に入った元戦友。その対比が、ヴェルナーの中に棘のように刺さっている。


 面白い情報だった。だがそれ以上に、マグヌスへの興味が膨らんだ。


 会いたい。両方の魔法を知る人間に。混成型の先駆者とも呼べる存在に。


 だが居場所が分からない。辺境の山奥のどこか。それだけでは探しようがない。


          ◇


 その夜、いつものように隔離区でレナと訓練をした後、ヘルミーネの部屋を訪ねた。


 蝋燭の灯りの中、ヘルミーネは刺繍をしていた。壁に掛かっているものと同じ、山と河の風景。糸は色褪せているが、手つきは正確だった。


「ヘルミーネさん。昼間、ヴェルナーからマグヌス・シュタインの話を聞きました」


 ヘルミーネの手が止まった。一瞬だけ。すぐに刺繍に戻ったが、その一瞬の停止を俺は見逃さなかった。


「そう。あの男が何と言っていた」


「革命の将軍だったこと。旧貴族でありながら革命に参加した唯一の人物であること。今はどこかの山奥に隠棲していること」


「その通りよ。それがどうかしたの」


「俺は、マグヌス将軍に会いたいと思っています。混成型を完成させるために、両方の魔法を知る人間の教えが必要です」


 ヘルミーネは刺繍の手を止め、俺を見た。薄い灰色の目。蝋燭の炎を映して、わずかに揺れている。


「マグヌスに会いたい。それは理解できるわ。でも、あの人は戦いを捨てた人間よ。教えを請いに行っても、応じるかどうか」


「それでも、試す価値はあると思います」


「若いわね」


 ヘルミーネが微笑んだ。だがその微笑みの奥に、何か別の感情が見えた。懐かしさか。痛みか。


「ヘルミーネさん」


「何かしら」


「昨夜、マグヌスの名前を口にした時、何か言いかけましたね。『マグヌスは、あの人だけは』と。その先を聞いてもいいですか」


 長い沈黙があった。


 蝋燭の炎が揺れ、影が壁を這った。


「マグヌスは」ヘルミーネがゆっくりと口を開いた。「私の知人だったの」


「知人?」


「フォン・シュタイン家と、フォン・アウアーバッハ家は、旧体制の時代に交流があった。社交の場で何度も顔を合わせた。マグヌスはまだ若い男だった。私より十ほど年下でね」


 レナは黙って聞いていた。祖母が旧時代の話をするのは珍しいことではないが、個人的な記憶を語るのは稀なようだった。


「マグヌスは変わった若者だった。貴族の社交に馴染まず、いつも庭の端で一人でいた。私は声をかけたことがある。『退屈なの?』と。あの人は『退屈ではない。怒っているのだ』と答えた」


「何に怒っていたんですか」


「自分が貴族であること。生まれながらに特権を持ち、他の人間がそれを持たないこと。あの人は自分の出自そのものに怒っていた」


 自分の出自への怒り。それが革命への参加に繋がったのか。


「革命が始まった時、マグヌスは真っ先に家を出た。家族は彼を裏切り者と呼んだ。だけど——」


 ヘルミーネが刺繍の針を置いた。


「あの人だけは、裏切ったのではなかったと思う。あの人は最初から、貴族の側にいなかった。体が貴族の家にあっただけで、心はずっと壁の向こう側にあった」


 壁の向こう側。今は旧貴族が閉じ込められている壁。だがかつては、平民が排除されていた壁。


 どちらの側にも属さない人間。


 マグヌス・シュタインは、ある意味で俺の先達なのかもしれない。


「ヘルミーネさん。マグヌスの居場所に、心当たりはありませんか」


 ヘルミーネは答えなかった。しばらく黙って蝋燭の炎を見つめていた。


 やがて、口を開いた。


「知らないと言えば嘘になるわ」


 レナが息を飲んだ。


「祖母様。まさか——」


「五年前に、一度だけ伝書が来たの。差出人は書かれていなかった。でも筆跡で分かった。マグヌスの字よ」


「何と書かれていたんですか」


「一行だけ。『庭の花はまだ咲いているか』」


 庭の花。アウアーバッハ家の庭。ヘルミーネが公爵夫人として手入れしていた庭だろう。今は壁の中に閉じ込められ、荒れ果てているはずだ。


「伝書の出所を辿ったの。行商人の手から手へと渡ってきたものだったけれど、出発地点はフェアラント辺境領の西端。グレンツベルクという小さな山村だったわ」


 グレンツベルク。辺境の西端。


「五年前の情報だから、今もそこにいるかは分からない。でも、マグヌスは一度根を下ろしたら動かない人間よ。気に入った場所があれば、そこに留まり続ける」


「ありがとうございます、ヘルミーネさん」


「礼には及ばないわ。ただ——」


 ヘルミーネの目が真っ直ぐに俺を見た。


「もしマグヌスに会えたら、伝えてちょうだい。『庭の花は枯れたが、根は生きている』と」


 根は生きている。


 旧貴族の文化も、旧式魔法の知識も、隔離区の中で枯れかけているが、まだ死んではいない。ヘルミーネの言葉には、そういう意味が込められていた。


「必ず伝えます」


「ありがとう。さあ、もう遅いわ。帰りなさい」


          ◇


 壁の穴をくぐり、首都の夜に戻った。


 レナが穴のこちら側で待っていた。いつもは壁の内側で別れるのだが、今夜は外まで来ていた。


「ルッツ」


「何だ」


「マグヌスに会いに行くつもり?」


「いずれは。だが今すぐには動けない。裁定院の業務から離れれば怪しまれる。それに、辺境までの旅は時間がかかる」


「そうね。焦らないで」


「ああ」


「でも、いつか行くなら——」


 レナが言いかけて、止まった。


「何だ」


「何でもない。おやすみ」


 レナは壁の穴に身を滑り込ませて、闇の中に消えた。


 何を言おうとしたのだろう。


 分からなかった。だがレナが言葉を飲み込む時は、たいてい、口にすると自分が傷つくことだ。


 宿舎に戻りながら、今日の収穫を整理した。


 混成型の成功率が切り替え方式で八割に到達。まだ実戦レベルではないが、方向性は見えた。


 マグヌス・シュタインの居場所の手がかり。グレンツベルク。五年前の情報だが、探す起点にはなる。


 ヴェルナーのマグヌスへの「羨望」。体制の中にいる男の、かすかな揺らぎ。


 ヘルミーネの伝言。「根は生きている」。


 パズルのピースが増えている。絵柄はまだ見えないが、ピースの山は確実に大きくなっている。


 寝台に横になり、天井を見つめた。


 二人の師。ヴェルナーとレナ。体制の論理と被抑圧者の知恵。新式の合理性と旧式の深み。


 二つの世界から学び、どちらにも属さない第三の道を探る。


 前世では一つの居場所すらなかった。今世では二つの居場所があり、どちらにも完全には属していない。


 それは孤独だ。だが、前世の孤独とは質が違う。前世の孤独は「どこにも居場所がない」空虚だった。今世の孤独は「二つの世界を繋ごうとしている」途上の孤独だ。


 前に進んでいる孤独は、立ち止まっている孤独よりも、ずっとましだ。


 目を閉じた。明日もヴェルナーの指導がある。明後日の夜にはレナとの訓練がある。


 二つの言語を学び続ける。いつか、その二つを繋ぐ橋が見える日まで。


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