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二度目の夜明けを <完結済み>  作者: Studio SASAME
2章 均等の裏側 *第16話~第30話

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二つの師・前

ルッツ17歳。ヴェルナーとレナ、二人の師から異なる魔法を学ぶ日々。

ヴェルナー・グラーンは、教師としては極めて優秀だった。


 それが厄介だった。


 辺境から戻って二週間。警護任務の合間に、ヴェルナーは俺を執務室に呼び、新式魔法(ノイエ)の高度な理論を教え始めた。


「ルッツ。火弾(かだん)の術式展開を分解してみろ」


「はい。第一段階、魔力の圧縮。第二段階、属性変換。第三段階、形状固定。第四段階、加速と放出」


「正しい。だが遅い。実戦で四段階を意識していたら、敵の術が先に届く」


 ヴェルナーが掌を上げた。


 一瞬で火球が生まれた。俺の目では、段階の区切りが見えなかった。圧縮、変換、固定、放出の四工程が、一つの動作に圧縮されている。


「術式の並列処理だ。四段階を順番にこなすのではなく、同時に走らせる。脳の中に四つの回路を作り、同時に火を入れる」


「並列処理……」


「新式の真価はここにある。旧式のように一つ一つの工程を丁寧に積み上げる必要がない。並列で走らせることで、速度を落とさず複雑な術式を展開できる」


 ヴェルナーが指を振ると、火球が三つに分裂した。三つの火球が独立して軌道を変え、執務室の中を滑るように飛び回る。そして一斉に消えた。


「これが連火弾(れんかだん)の本来の形だ。訓練所で教わったのは順次発射だろう。本来は同時生成、独立制御。一つの意志で複数の術式を同時に走らせる」


 圧倒的だった。


 訓練所で学んだ連火弾は、火弾を一発ずつ続けて撃つだけだった。ヴェルナーのそれは、三発を同時に生成し、それぞれを別の軌道で操っている。


 これが新式魔法の極致か。


「術式の並列処理は、脳への負荷が大きい。同時に走らせる回路が増えるほど、集中力の消耗も増す。三つが現実的な上限だ。私の場合は五つまで可能だが、それは三十年の鍛錬の結果であって、才能ではない」


「努力で届く範囲なんですか」


「届く。ただし、時間がかかる。お前の年齢なら、まず二つの並列から始めろ。火弾を撃ちながら鉄身(てっしん)を維持する。攻撃と防御の同時展開だ」


 ヴェルナーが椅子に座り直した。教える時の彼は、裁定院長としての冷たさが薄れる。代わりに、知識を伝える喜びのようなものが顔に浮かぶ。


「お前の母は、並列三つを戦場で自在に使いこなしていた。攻撃と防御と移動。三つを同時に回す戦い方は、革命軍の中でも彼女だけだった」


「母が」


「ヒルデは新式の天才だった。理論を教えたのは私だが、実戦での応用は彼女の方が遥かに上だった。私は理論家だが、ヒルデは実践者だった。その違いだ」


 ヴェルナーの目が遠くなった。過去を見ている。


「お前にはヒルデの直感がある。だが直感だけでは不安定だ。理論を土台にすれば、直感はもっと精確になる。それを教えてやりたい」


 純粋な教育者の顔だった。


 この男が、隔離区の配給を削り、教育を忠誠度で選別し、おそらくは侵攻計画を進めている同じ人間だとは、この瞬間だけを切り取れば信じられない。


 だがそれこそが、ヴェルナー・グラーンの最も危険な点だった。


 善意と打算が共存している。知性と支配欲が同居している。教え子を育てる喜びと、教え子を駒にする計算が、矛盾なく一人の人間の中に収まっている。


 「ただの悪人」なら、警戒するのは簡単だ。だがヴェルナーは「善い面も持つ支配者」だ。善い面に触れるたびに、憎しみが鈍る。それが、取り込まれるということだ。


 気をつけろ。グスタフ教官の言葉が蘇る。


「ありがとうございます、院長。精進します」


「ヴェルナーでいい。二人の時は」


「では、ヴェルナーさん」


 ヴェルナーが微笑んだ。その笑顔を、俺は記憶の引き出しの「危険」の欄に収めた。


          ◇


 夜。隔離区の奥、ヘルミーネの家の裏手にある小さな中庭。


 月明かりの下で、レナが俺の前に立っていた。


「今日教えるのは、旧式魔法(アルテ)の構造魔法の一つ。晶鏡(シュピーゲル)


「晶鏡」


「対象の魔法構造を解析し、映し出す分析術よ。攻撃でも防御でもない。純粋な情報収集の魔法」


 レナが両手を前に翳した。薄い光の膜が掌の間に広がる。水面のように揺らめく光だった。新式の術式展開とはまるで違う。力ではなく、繊細さで紡がれている。


「私に向かって火弾を撃って。弱くていいから」


 俺は掌に小さな火球を作り、レナに向けて放った。


 火球がレナの掌の光膜に触れた瞬間、光膜が変化した。火球の内部構造が、光の線で描き出される。魔力の圧縮率、属性変換の層構造、放出時の加速パターン。すべてが一目で分かる形で可視化されていた。


「これが晶鏡。相手の術式を分析して、構造を見る。弱点がどこにあるか、どの層が薄いか、どこを突けば崩れるか。それが分かる」


 驚いた。新式にはこの種の術式がない。新式は「撃つ」ことと「防ぐ」ことに特化している。相手の魔法を分析するという発想自体が、新式の設計思想にはない。


「旧式の貴族たちは、戦闘の前に相手の術式を読み合った。力押しではなく、構造を理解して弱点を突く。それが旧式の戦い方よ」


「チェスだな」


「チェス?」


「……似たような遊びが、昔あった。力比べじゃなくて、読み合いで勝負する遊び」


 レナは首を傾げたが、追及しなかった。この子は、俺の言葉の裏にある「何か」を感じ取っていながら、深くは踏み込まない。


「晶鏡の問題は、展開に時間がかかること。旧式の術式構築は精密だけれど、その分、速度が犠牲になる。実戦で悠長に分析している暇はない」


「だから旧式の戦闘は、事前の準備と情報収集が重要だったのか」


「そう。戦う前に勝負が決まっている。それが旧式の理想よ」


 レナは光膜を消した。


「あなたは新式の速度を持っている。もし晶鏡を新式の速度で展開できたら……」


「実戦中に相手の術式を分析できる」


「理論上は。でも、旧式の術式構造を新式の速度で展開するのは——」


「矛盾する操作だ。分かってる」


 分かっている。新式と旧式は、設計思想が根本的に違う。新式は速度のために精密さを犠牲にし、旧式は精密さのために速度を犠牲にしている。両方を同時に求めるのは、油と水を混ぜるようなものだ。


 だが油と水も、乳化剤があれば混ざる。


 問題は、その乳化剤が何かということだ。


「練習させてくれ」


「最初は術式の構造を覚えるところから。晶鏡は新式と違って、手順を省略できない。一つ一つの工程を正確に積み上げる必要がある」


 レナが術式の構造を口頭で説明し始めた。旧式の術式は口伝が基本だ。書物に残されていない知識が、声から声へと受け継がれる。


 レナの声は静かで明瞭だった。教える時の彼女は、普段の寡黙さが嘘のように流暢になる。知識を持ち、それを伝える能力がある。隔離区でなければ、学者にでも教師にでもなれたはずだ。


 その可能性を、体制が奪っている。


 だが今は、怒りを燃やす時間ではない。学ぶ時間だ。


「もう一度、最初から」


「いいわ。第一層の展開から——」


          ◇


 日中はヴェルナーから新式の高度な理論を学び、夜はレナから旧式の深層技術を学ぶ。


 二人の師。体制の内と外。表と裏。


 ヴェルナーの教えは合理的で体系的だ。術式の構造を数式のように分解し、効率の良い展開方法を論理的に導き出す。新式魔法がなぜ速いのか、その理論的根拠を彼は正確に説明できる。


 レナの教えは直感的で有機的だ。術式の構造を「感じる」ことを重視する。魔力の流れを水の流れに喩え、制御を「対話」と表現する。旧式魔法がなぜ精密なのか、その答えは理論ではなく、体で覚えるものだとレナは言う。


 対照的な二つの教え。


 だがどちらも、魔法の本質に触れている。


 ヴェルナーが教える「並列処理」は、脳の回路を複数同時に走らせる技術だ。これは速度の問題に対する、新式なりの最適解だ。


 レナが教える「晶鏡」は、相手の魔法構造を読み解く技術だ。これは情報の問題に対する、旧式なりの最適解だ。


 速度と情報。この二つを同時に手にすれば、戦闘における優位は格段に増す。


 問題は、この二つが別の言語で書かれているということだ。新式の術式構造と旧式の術式構造は、同じ「魔法」でありながら、文法が違う。


 二つの文法を同時に扱う頭が必要だ。


 前世で、二つの掛け持ちバイトのシフトを頭の中で同時に管理していた経験が、妙に役に立つ。コンビニのシフト表と倉庫のシフト表。曜日が違い、時間帯が違い、ルールが違う。両方を同時に把握して、隙間を見つけて休む。


 魔法の二つの体系を頭の中で並走させるのは、それに近い。


 ただし失敗した時の代償が、シフトの調整ミスとは比較にならない。暴発すれば、自分の手が吹き飛ぶ。


          ◇


 三週間が経った。


 ヴェルナーの指導で、並列処理の基礎が身についてきた。火弾を撃ちながら鉄身を維持することが、七割の確率でできるようになった。


「筋がいい。この調子なら、半年後には三つの並列が可能になるかもしれん」


 ヴェルナーの評価は率直だった。


「お前は理論の吸収が早い。だが実践が追いついていない。頭で分かったことを体に落とし込む段階だ。これは反復しかない」


「はい」


「焦るなよ。ヒルデも、最初から天才だったわけではない。彼女が並列三つを安定させたのは、二十二歳の時だ」


 母が二十二歳で到達した境地。あと五年で追いつけるかどうか。


 だが俺には、母にはなかったものがある。旧式の知識だ。


 新式の並列処理と旧式の晶鏡。この二つを組み合わせた時、何が起きるか。


 戦闘中に相手の術式を分析しながら、同時に攻撃を展開する。攻撃と分析の並列。新式の速度で旧式の分析を走らせる。


 理論上は可能なはずだ。だがまだ、その統合の方法が見えない。


          ◇


 ある夜、レナの家で晶鏡の訓練をしていた時、ヘルミーネが部屋に入ってきた。


 いつものように背筋を伸ばし、静かな足取りで。だが今夜は、杖をついていた。以前はなかったものだ。


「おや。まだ訓練中かい」


「祖母様。お休みになっていてください」


「年寄りは夜が早いのよ。目が覚めてしまった」


 ヘルミーネは椅子に座り、俺たちの訓練を眺めた。


 俺は晶鏡の展開を練習していた。光膜を掌の間に生成するところまではできるが、解析の精度が低い。レナのように術式の層構造を詳細に映し出すには程遠い。


「ぼんやりした鏡ね」ヘルミーネが言った。「水たまりに映る顔みたい」


「まだ始めて三週間なので」


「三週間で光膜まで出せるなら、上出来よ。レナは半年かかった」


「祖母様」レナの声が低くなった。「余計なことを」


「事実でしょう。あなたは理論派だから、頭で理解してから体に落とすのに時間がかかった。この子は逆ね。体が先に動く」


 ヘルミーネの観察は正確だった。俺が旧式の術式を比較的早く体得できるのは、前世の肉体労働で鍛えた「体で覚える」能力のおかげだ。理論を後から追いかける学び方。


「ルッツ」


「はい」


「あなた、裁定院で新式の訓練も受けているのね」


「はい。ヴェルナー院長から直接指導を」


「ヴェルナー・グラーン」


 ヘルミーネの声に、微かな硬さが混じった。名前を口にすること自体が、何かの感情を刺激している。


「あの男は優秀よ。革命の前から知っている。まだ若い青年だった頃にね。理想に燃えていた。本気で世界を変えようとしていた」


「ヘルミーネさんは、革命前のヴェルナーを知っているんですか」


「知っている。あの男の父親は、うちの屋敷の庭師だった」


 初めて聞く情報だった。ヴェルナーの父がアウアーバッハ家の庭師。


「賢い子供だった。庭の片隅で本を読んでいるのを、よく見かけた。貴族の子供たちが遊んでいる横で、一人で本を読んでいた。あの子の目には、怒りがあったわ。自分には学ぶ権利がないということへの、静かな怒りが」


 ヴェルナーが革命に参加した動機が、少し見えた。学ぶ権利の不平等。それを是正するための革命。その理想が、裁定院という選別装置に変質した皮肉。


「人は変わるわ」ヘルミーネが言った。「権力は人を変える。あの庭師の息子が、今は裁定院長として人の人生を振り分けている。あの子が憎んでいたことを、自分がやっている」


「ご本人は、そのことに気づいていると思いますか」


「気づいているわよ。だから厄介なの。気づいていて、それでも『これが最善だ』と信じている。自覚のある過ちほど、修正が難しいものはない」


 重い言葉だった。


 自覚のある過ち。ヴェルナーは自分がかつての貴族と同じ構造を作っていることを、おそらく理解している。理解した上で、「だがこれは必要悪だ」と結論づけている。


 その「必要悪」の論理を崩すのは、外側からの批判では不可能だ。内側から、論理そのものの矛盾を突かなければならない。


「ヘルミーネさん。一つ訊いてもいいですか」


「何かしら」


「旧式と新式の両方を使える人間は、今この国にいますか」


 ヘルミーネの目が、一瞬だけ鋭くなった。


「なぜ聞くの」


「俺が目指しているのは、その統合だからです。新式の速度と旧式の精密さを一つにする。でも独学には限界がある。もし経験者がいるなら、教えを請いたい」


 ヘルミーネはしばらく黙った。レナも黙っていた。


 暗い部屋の中で、蝋燭の炎だけが揺れていた。


「一人だけ」


 ヘルミーネが口を開いた。


「一人だけ、両方を知る人間がいた。マグヌス・シュタイン」


 名前だけは聞いたことがあった。革命史の授業で。革命の将軍の一人。だが詳しいことは教えられなかった。


「マグヌスは旧貴族の家に生まれた。だが革命に参加した。旧貴族でありながら革命の側に立った、唯一の人物よ」


「今はどこに」


「分からない。革命が終わった後、軍を退いた。山の奥に消えたと聞いているけれど、それも十年以上前の話」


 ヘルミーネの声には、かすかな感慨が混じっていた。


「マグヌスは、あの人だけは——」


 言いかけて、口をつぐんだ。


「祖母様?」


「いいえ。何でもないわ。年寄りの独り言よ」


 ヘルミーネは杖をついて立ち上がった。


「ルッツ。今日はもう遅い。続きは明日にしなさい」


「はい。ありがとうございました」


 ヘルミーネが奥の部屋に戻っていった。


 レナと二人、中庭に残された。


「祖母が、マグヌスの名前をあんなふうに口にしたのは初めて」


「どういう意味だ」


「分からない。でも、何か個人的な記憶があるみたい。革命前の話だと思うけれど」


 マグヌス・シュタイン。旧貴族で革命に参加した唯一の人物。両方の魔法を知る人間。


 会いたい。だが居場所が分からない。


 辺境の山奥のどこかにいるらしい。広すぎる。手がかりが少なすぎる。


「今は目の前のことに集中しよう。晶鏡の精度を上げる。並列処理を安定させる。そこから先は、その時に考える」


「そうね」


 レナが頷いた。


 月が雲に隠れた。中庭が闇に沈む。


 闇の中で、俺は掌に薄い光膜を展開した。まだぼんやりとした、水たまりのような鏡。


 これを磨き上げる。


 時間はかかる。だが、前に進んでいる。

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