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二度目の夜明けを <最終章開幕>  作者: ret_riever
2章 均等の裏側 *第16話~第30話

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灰色の報告

ルッツ17歳。裁定院での業務の中で、不穏な情報の断片を掴む。

均等裁定院の警護任務は、退屈な仕事だった。


 判定室の前に立ち、出入りする裁定官と市民を確認する。異常がなければ何もしない。八時間の勤務のうち、実際に体を動かすのは巡回の時だけだ。


 だが俺にとって、この退屈は好都合だった。


 立っているだけの時間を、観察に使える。


 裁定院の内部は、表向きは整然とした行政機関だ。書類が決められた手順で処理され、判定結果が淡々と通知される。新式魔法の教育配分、職業適性の判定、居住地の割り当て。共和国市民の人生を左右する決定が、この建物の中で毎日下されている。


 俺が観察しているのは、書類の流れだ。


 判定室から出てくる裁定官が抱える書類束。その表紙に記されたカテゴリ番号。送り先の部署名。封印の色。些細な情報だが、積み重ねれば全体の構造が見えてくる。


 最初の一週間で分かったことがある。裁定院の書類には三段階の機密レベルがある。


 白い封印は一般文書。教育配分の通知、市民への連絡、定型の行政処理。


 青い封印は管理文書。裁定基準の改訂、部門間の連絡、人事関連。俺のような警護兵には閲覧権限がない。


 赤い封印は機密文書。何が書かれているかは分からない。ただ、赤い封印の書類を運ぶのは特定の裁定官だけで、その裁定官はヴェルナーの執務室に直接出入りしている。


 赤い封印の書類が増えている。


 着任した頃は一日に二、三通だった。辺境から戻った今週は、五通以上が毎日運ばれている。


 何かが動いている。


          ◇


 転機は五日目に訪れた。


 判定室の前で立哨していると、裁定官の一人が書類を落とした。


 若い男だった。二十代の半ば。眼鏡をかけた神経質そうな顔。名はフーゴ。ヴェルナーの直属ではないが、赤い封印の書類を頻繁に扱う部署にいる。


 書類が廊下に散らばった。フーゴは慌てて拾い集めている。


「お手伝いします」


 俺は自然に膝を折り、書類を拾い上げた。


 一瞬だ。視線が紙面を走ったのは、一秒にも満たない時間だった。


 だがそれで十分だった。


 表紙には「西方配備計画 第三次修正案」と記されていた。その下に、リストが見えた。箇条書きの断片。


 ——第七補給廠:冬季用装備三千組

 ——第四連隊:十月末までに西方前線へ移動完了

 ——魔導砲(・・・)部隊:エルステモルゲン駐屯地より転属


 フーゴが書類をひったくるように受け取った。


「あ、ありがとう。すまない」


「いえ、お気をつけて」


 フーゴは小走りに去っていった。


 俺は立哨の位置に戻り、何事もなかったかのように正面を見据えた。


 心臓が速く打っていた。


 冬季用装備三千組。十月末までの移動完了。魔導砲部隊の転属。


 これは防衛計画の書類ではない。


 防衛なら、装備は前線に備蓄するものだ。わざわざ首都から「移動」させる必要はない。前線に新たな装備を「送り込む」という行為は、今ある装備では足りないことを意味する。


 つまり、今まで前線にいなかった規模の兵力を、これから西方に展開しようとしている。


 侵攻だ。


 まだ確定ではない。断片的な情報で結論を急ぐのは危険だ。だが辺境で聞いた噂——西方への兵力集中——と、この書類の断片は、同じ絵柄の別のピースだ。


 ヴェルトハーフェン王国への軍事行動。その準備が、この建物の中で粛々と進められている。


          ◇


 勤務が終わった後、裁定院の記録室に足を向けた。


 記録室は判定結果の保管場所で、一般文書であれば警護兵にも閲覧が許されている。表向きは業務の参考資料を確認するという名目だ。


 探したのは、過去半年間の物資移動の記録だった。裁定院は魔法教育の配分だけでなく、国家予算の配分にも関与している。教育予算と軍事予算の調整は裁定院の管轄だ。


 書架の間を歩き、帳簿を引き出した。


 教育予算の推移。半年前と比較して、全体額は変わっていない。だが内訳が変わっている。


 基礎魔法教育への配分が八パーセント減。高等魔法教育への配分が三パーセント減。


 削られた分はどこに行ったか。軍事訓練予算が十一パーセント増。


 数字は嘘をつかない。辻褄が合う。


 教育を削って軍事に回している。それも、一般の基礎教育から優先的に削っている。高等教育の削減が少ないのは、元勲会の子弟が通う学院の予算は守られているからだ。


 削られるのはいつも、声の小さい者の分だ。


 前世の会社でも同じだった。経営が苦しくなると、まずパートの時給が凍結され、福利厚生が削られ、末端の人員が減らされる。上層部の報酬は最後まで手つかず。構造は同じだ。


 帳簿を棚に戻し、記録室を出た。


          ◇


 その夜、隔離区に向かった。


 壁の穴は、まだ辛うじて通れた。十七歳の体では肩が擦れるが、横向きになれば抜けられる。


 レナは待っていた。壁の内側、いつもの路地の角に立っている。


 四年前と同じ場所。だがレナの姿は変わっていた。銀色の髪は背中の半ばまで伸び、顔立ちはすっかり大人びている。薄い紫の瞳だけが変わらない。闇の中でも、あの目だけは光って見える。


「辺境から戻ったの」


「ああ。一週間前に」


「怪我は」


「ない」


「そう」


 レナの声は平坦だった。だが、俺の全身を一瞥した目の動きに、確認の意図がこもっている。怪我がないことを、自分の目で確かめた。


「隔離区の様子はどうだ」


「悪くなった」


 レナが歩き出した。俺は隣に並ぶ。


 通りを歩くと、以前よりも暗かった。街灯が消えている。


「灯油の配給が減った。先月から半分になったの」


「半分?」


「理由は知らない。ただ通達が来ただけ。『国家的な資源調整のため、一時的に配給量を削減する』と」


 国家的な資源調整。裁定院で見た書類の内容と符合する。物資が軍事に回されている。その皺寄せが、最も弱い場所に来ている。


「食料は」


「パンの配給も減った。週に三回だったのが二回になった。乾燥豆は二ヶ月前からない」


 レナの声に怒りはなかった。報告している。事実を、淡々と。


 だがその淡々さが、逆に重い。怒る気力すら削がれるほど、これが日常になっている。


「子供たちは」


「痩せてきた子が増えた。特に小さい子。祖母が自分の分を分けているけど、限界がある」


 ヘルミーネが自分の食事を子供たちに分けている。元公爵夫人が、飢えた子供たちのために自分の皿を差し出している。


 それを美談にしてはいけない。


 そうせざるを得ない状況が異常なのだ。


「レナ。配給が減った理由、心当たりはあるか」


「予算が軍事に回されている。祖母はそう言っていた。壁の外で何かが起きようとしている、と」


「ヘルミーネさんの推測か」


「推測というより、経験よ。祖母は旧王国時代に二度の戦争を経験している。戦争の前は、いつも末端の配給が先に削られると」


 経験に基づく分析。ヘルミーネは旧体制の崩壊を内側から見た人物だ。権力が何かを準備する時、最初に何が犠牲になるか。その構造を身をもって知っている。


「ルッツ。裁定院で何か見たの」


 レナは正面を向いたまま訊いた。


「断片だけだ。西方への兵力移動。物資の集積。教育予算から軍事予算への流用。一つ一つは小さいが、全体を並べると一つの方向を指している」


「戦争?」


「分からない。だが、その可能性は高い」


 沈黙が落ちた。


 暗い通りを歩き続けた。灯油が切れた街灯の下を通り過ぎる。影しかない道を、二人で歩く。


「もし戦争になったら」レナが言った。「この区画はどうなると思う」


 答えは分かっていた。だが口にするのは重い。


「配給はさらに減る。監視は強まる。最悪の場合、旧貴族が『潜在的な敵』として、もっと厳しい扱いを受ける可能性がある」


「外に敵を作れば、内の締め付けが正当化される」


「そうだ」


 レナは立ち止まった。


 振り向いた。月光が薄い紫の瞳を照らしている。


「ルッツ。あなたは裁定院の中にいる。あなたしか見えないものがある。だから、見続けて」


「ああ。そのつもりだ」


「それと」


「何だ」


「無理はしないで。あなたがいなくなったら、この壁の中と外を繋ぐ人間がいなくなる」


 感情の薄いレナが、そういう言い方をするのは珍しかった。


「大丈夫だ。前の人生で学んだことがある。限界の手前で休むこと。限界を超えたら、体は動かなくなる」


「前の人生で死んだ人間の台詞とは思えないけど」


「だからこそ、学んだんだよ」


 レナが微かに口の端を上げた。笑みとは呼べない、ほんの僅かな変化だった。だが俺には見えた。


          ◇


 壁の穴をくぐって、こちら側に戻った。


 夜の首都を歩く。石畳は月光に濡れている。


 頭の中で、今日集めた情報を並べ直した。


 西方配備計画。物資の移動。兵員の再配置。教育予算の軍事転用。辺境の兵力削減。隔離区への配給削減。


 すべてが一つの方向を指している。共和国は、ヴェルトハーフェン王国に対して何かを仕掛けようとしている。


 まだ証拠は足りない。断片を結ぶ線が見えていない。


 だが線を引くのに必要なのは、もう一つか二つのピースだ。


 明日も裁定院で立哨する。退屈な仕事だ。だが退屈の中にこそ、見逃されやすい真実が転がっている。


 前世のコンビニ夜勤で学んだ。一番大事な情報は、一番退屈な時間に手に入る。深夜三時の監視カメラが映す万引きの瞬間。誰も見ていないと思っている時に、人は本性を見せる。


 裁定院もそうだ。警護兵は壁の一部だと思われている。見ていないと思われている。


 だが俺は見ている。

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