均等裁定院の内側
第2章開幕です。
ルッツ16歳。訓練所卒業後、均等裁定院の警護任務に就く。
均等裁定院の本庁舎は、首都エルステモルゲンの中心部にあった。
革命記念広場から東に三筋。灰色の石材で組まれた三階建ての建物は、壮麗でも粗末でもない。「均等」を掲げる機関にふさわしい、節度のある外観だった。
だがその節度が、最初の違和感だった。
首都のどの官庁も、多かれ少なかれ革命の色を纏っている。深紅の旗、金の太陽紋、革命英雄の肖像画。共和国の権威を誇示する装飾が壁を飾るのが普通だ。
均等裁定院には、それがない。
正面玄関にも廊下にも、旗は掲げられていない。壁は白く塗られ、窓は大きく、光がよく入る。清潔で、整然としていて、公正さそのもののような空間だった。
これは意図的だ。前世の感覚が告げていた。病院や裁判所が清潔であるのと同じ理由だ。権威ではなく「正しさ」で人を黙らせる。旗で威圧するより、白い壁で納得させる方が、ずっと巧みだ。
◇
配属初日、俺は警護班長のクルト・ノイマンに引き合わされた。
三十代半ばの男で、右腕に革命戦争の火傷痕がある。短く刈った赤毛と、職務以外には関心がなさそうな硬い表情。
「エーベルハルトか。院長推薦の新兵だな」
「はい。よろしくお願いします」
「お前の仕事は簡単だ。裁定官の執務室と面談室の周辺を巡回し、不審者を排除する。来訪者の本人確認と誘導。書類の運搬。以上だ」
「了解しました」
「一つだけ言っておく。警護の人間は、裁定の内容に口を出さない。見たこと聞いたことを外に漏らさない。院長推薦だろうが新兵だろうが、規則は同じだ」
「承知しています」
クルトは俺を一瞥して、それ以上は何も言わなかった。歓迎も拒絶もない、乾いた対応だった。
ヴェルナーが推薦した人間を、現場がどう受け止めているか。クルトの態度はその答えだった。警戒はしているが、逆らいもしない。院長の判断に疑問を挟む余地はないのだ。
◇
警護任務は、退屈な仕事だった。
廊下に立ち、人の出入りを見張り、面談室のドアの前で待機する。体を動かす場面はほとんどない。訓練所の過酷さに比べれば、肉体的には遥かに楽だ。
だが俺にとって、この退屈には価値があった。
均等裁定院の実務が、目の前で動いているのだ。
最初の三日間は、ただ観察に徹した。口を開かず、表情を変えず、壁の一部のように立ちながら、流れてくる情報を頭に刻んだ。
均等裁定院の業務は、大きく分けて三つだった。
一つ目は「教育配分」。子供たちの魔法教育のレベルを判定し、どの学院に進ませるかを決める。基礎教育、中等教育、高等魔法学院。この振り分けが子供の将来を決定する。
二つ目は「適性判定」。魔法の適性検査を行い、各人が学ぶべき系統を判断する。火、水、地、風。あるいは強化系、構造系。一見すると合理的な仕組みだ。
三つ目は「家庭面談」。裁定官が各家庭と面談し、子供の教育環境を確認する。
手続きは整然としていた。書類は統一規格で、面談の手順もマニュアル化されている。裁定官たちは礼儀正しく、来訪者に対して丁寧に対応していた。
表向きは、完璧に公正な機関だった。
◇
異変に気づいたのは、四日目だった。
面談室の前で警護に立っていた時のことだ。午前中に三組の家庭が面談を受けた。
一組目。工房の職人の家庭。父親と十歳の息子。裁定官は穏やかに質問し、息子の魔法適性を確認した。結果は中等教育。基礎よりは上だが、高等ではない。
二組目。元革命兵士の家庭。母親と十一歳の娘。娘の適性は一組目の息子と同程度に見えた。しかし結果は高等魔法学院への推薦。
三組目。革命後に移住してきた家庭。両親と九歳の息子。息子は面談中に簡単な術式を見事に展開してみせた。明らかに才能がある。結果は基礎教育のみ。
一組目は妥当と言える。二組目と三組目が引っかかった。
二組目の娘は一組目の息子と同等の適性で、しかしより高い教育レベルに配分された。三組目の息子は明らかに才能があるにもかかわらず、最低レベルに分類された。
能力の差では説明がつかない。
では何が違う。
面談後、裁定官が書類を整理するのを、横目で観察した。文書棚に戻される書類の背表紙に、色分けされたタグが貼られている。赤、青、緑、灰色。
赤タグの書類が高等教育行き。青が中等。緑が基礎。灰色は保留。
その色分けの基準が、面談後ではなく面談前に決まっていることに気づくまで、さらに二日かかった。
◇
六日目の午後、書類運搬の任務中に確認した。
面談室に運び入れる書類の束。各家庭の資料がまとめられたファイルの、最終ページに一枚の紙が挟まれていた。
「家庭貢献度評価票」。
その紙には、家庭ごとの数値が記されていた。「革命参加歴」「元勲会への寄付実績」「地域革命祭への参加回数」「共和国軍への志願者数」。
これらの数値を合算した「総合貢献度スコア」が、ファイルの最上部に記載されている。
そしてそのスコアの横に、色が書かれていた。赤、青、緑、灰色。
面談は形式だ。
裁定官が子供の適性を見る前に、教育レベルはすでに決まっている。家庭の忠誠度が、子供の未来を分配している。
能力ではなく、忠誠。実力ではなく、出自。
母さんの日記に書かれていたことが、目の前にあった。
「統制する者が決まった時点で、均等は死ぬ」。
革命は、魔法が血統に宿るという嘘を打ち砕いた。だが新しい国は、血統の代わりに忠誠を物差しにしただけだった。
定規の目盛りが変わっても、誰かが測る側に立ち、誰かが測られる側に立つ。その構造は何も変わっていない。
◇
八日目の夜。宿舎の自室で、天井を見つめた。
前世の記憶が甦る。
俺が前世で勤めていた配送会社。「能力主義」を掲げていた。実力があれば誰でも昇進できると、入社説明会で言われた。
嘘だった。
昇進するのは、社長の同級生の息子か、部長のゴルフ仲間の娘だった。俺のような縁もなく後ろ盾もない人間は、どれだけ荷物を運んでも、時給が十円上がるだけだった。
看板は「能力主義」。実態は「縁故主義」。
均等裁定院と同じだ。看板は「均等」。実態は「忠誠による選別」。
世界が変わっても、人間がやることは変わらない。立派な理念を掲げ、その裏で別の基準を走らせる。そして裏の基準に気づいた人間は、黙るか、排除されるかの二択を迫られる。
俺は今、三番目の選択肢を探している。
黙らず、排除もされず、内側から構造を理解する。
危険な綱渡りだ。ヴェルナーの目は節穴ではない。俺が何かに気づいたことを悟られたら、この場所にはいられなくなる。
だから表情を消す。感情を殺す。前世のコンビニ勤務で培った「理不尽を受け流す技術」を、今は別の目的で使う。
あの頃は、ただ耐えるための技術だった。
今は、戦うための技術だ。
◇
十日目。ヴェルナーが俺を呼んだ。
院長の執務室。窓から午後の光が差し込む、広い部屋だった。壁に棚が並び、書類と革表紙の分厚い記録簿がぎっしりと詰まっている。
ヴェルナーは机の向こうに座っていた。灰色の外套を脱ぎ、白いシャツの袖を捲っている。
「どうだ。裁定院の仕事は見えてきたか」
「はい。まだ末端ですが、流れは掴めてきました」
「どう思う」
試されている。
この男は常に試している。言葉の選び方、目の動き、間の取り方。すべてが試験だ。
「公正な仕組みだと思います。手続きが統一されていて、裁定官の判断にブレが少ない。教育配分を個人の恣意に任せず、基準を設けて運用しているのは合理的です」
嘘だ。だが、この男に対して真実を言うのは愚策だ。
ヴェルナーの目が、ほんの一瞬、細くなった。微笑のようにも、失望のようにも見える表情だった。
「そうか。——ヒルデの息子にしては、おとなしい感想だな」
心臓が跳ねた。だが表情には出さない。
「母は母、俺は俺です」
「それはそうだ。親と子は別の人間だ」
ヴェルナーは椅子の背にもたれた。天井を見上げて、独り言のように言った。
「ヒルデなら、もっと辛辣なことを言っただろうな。あいつはいつもそうだった。目に映るものを、そのまま口にする女だった」
沈黙が落ちた。
ヴェルナーが母を語る声には、いつも二つの層がある。敬意と、何か別のもの。後悔なのか、恐れなのか、あるいは——。
「まあいい。焦ることはない。この場所は、時間をかけて見るべきものだ」
ヴェルナーが手を振った。退出の合図だ。
「もう少し中を見てから、改めて感想を聞かせてくれ」
「はい」
部屋を出た。
廊下を歩きながら、ヴェルナーの最後の言葉を噛み砕いた。
「もう少し中を見てから」。
気づいてほしいのか。
あるいは——気づくかどうかを、試しているのか。
この男の意図を読むのは、前世の上司の腹を探るよりもずっと難しい。嘘をつく時も本当のことを言う時も、同じ温度の声を出す。どの言葉が罠で、どの言葉が本心なのか。もしかしたら、本人にすら区別がついていないのかもしれない。
均等裁定院の白い壁。清潔で、整然として、公正に見える。
だがその白さの裏に、色分けされたタグがある。
赤。青。緑。灰色。
子供たちの未来を分配する四つの色。その色を決めているのは能力ではなく、親が体制にどれだけ忠誠を示したか。
母さん。あなたが書いた通りだ。
「統制する者が決まった時点で、均等は死ぬ」。
均等は、この建物の白い壁の奥で、とうの昔に死んでいた。




