二つの道
ルッツ15歳。進路選択の時期を迎えます。
十五歳。この国では、進路を選ぶ年だ。
国民学校の最終学年。卒業後の道は大きく二つに分かれる。一般職――官僚、商人、職人として社会を支える道。もう一つは軍務――共和国軍に入り、この国を守る道。
どちらを選ぶかは、本人の希望と均等裁定院の判定によって決まる。
判定の日が来た。
◇
均等裁定院の出張所は、国民学校の隣にある石造りの建物だった。
一人ずつ呼ばれ、個室で裁定官と面談する。順番を待つ間、同級生たちは緊張した顔で並んでいた。この面談の結果が、今後の人生を左右する。
エミルが隣にいた。あの教室での会話以来、ぎこちなさは消えていない。だが完全に切れたわけでもない。こういう場では、自然と隣に来る。
「緊張するな」
エミルが言った。声には、いつもの明るさが戻りかけている。
「お前は?」
「軍だよ。最初から決めてる。父ちゃんと同じ道だ」
迷いがない。エミルにとって、進路は選択ではなく確認だ。生まれた時から決まっていた道を、改めて歩き出すだけ。
「ルッツは?」
「考え中」
「上級魔法学院だろ。お前の成績なら推薦もらえるぞ。英雄の息子だし」
英雄の息子。その肩書きが、ここでも効く。
「エーベルハルト、ルッツ」
名前が呼ばれた。立ち上がり、個室に入った。
◇
裁定官は四十代の女性だった。書類の束を前に、穏やかだが隙のない目をしている。
「ルッツ・エーベルハルト君。母君はヒルデ・エーベルハルト。革命功労者第一等」
「はい」
「成績は優秀。魔法適性は中の上。特に術式構築の理解度が高い。上級魔法学院への推薦要件を満たしています」
予想通りだ。母の名と成績を合わせれば、上級学院の推薦は自動的に出る。学院を出れば、官僚か学者か、いずれにしても体制の中枢に近い場所に座れる。
安全で、快適で、何も変えられない道だ。
「希望進路は?」
「軍務を希望します」
裁定官の眉が動いた。
「軍務。上級学院ではなく?」
「はい」
「理由を聞いてもいいですか」
「母が軍人でした。その道を歩きたいと思います」
嘘ではない。だが全部でもない。
本当の理由は別にある。体制の中枢を知るためだ。官僚になれば書類の裏側は見えるが、現場は見えない。軍に入れば、この国が何をしているのか、最前線で見ることができる。
外から壁を叩いても壊れない。中に入って、構造を知る必要がある。
裁定官は書類に何かを書き込んだ。
「ヒルデ・エーベルハルトの遺志を継ぐ。立派な志ですね。軍務課程への配属を推薦します」
「ありがとうございます」
これで決まった。
部屋を出ると、エミルが待っていた。
「どうだった?」
「軍。一緒だ」
エミルの顔が輝いた。
「よし! 一緒だな!」
あの日以来、初めて見るエミルの全開の笑顔だった。進路が同じだということが、二人の間の薄い膜を少しだけ溶かしたらしい。
だがこの笑顔の裏で、俺は別のことを考えていた。
軍に入れば、体制の歯車になる。歯車として回りながら、内側から構造を学ぶ。前世のコンビニで、棚の裏に何があるか知るために在庫管理を覚えたのと同じだ。
体制の在庫管理。何が棚に並んでいて、何がバックヤードに隠されているか。
それを知るための、俺の選択だ。
◇
その日の夕方、壁の近くでレナに会った。
「軍に入ることにした」
レナの表情が凍った。
「軍に入るの」
「ああ」
「あの人たちの手先になるつもり?」
レナの声に、久しぶりに棘があった。出会った頃の、硬い声。
無理もない。レナにとって共和国軍は、壁を作り、隔離区を監視し、自由を奪っている組織だ。その軍に俺が入ると言えば、裏切りに聞こえるだろう。
「手先にはならない」
「じゃあ何のために」
「外から壁を叩いても壊れない。中に入って、構造を知る必要がある」
レナは黙った。俺の目を見ている。嘘を探す目だ。五年前と同じ。だが五年前と違うのは、探した結果を信じるかどうかの判断が、以前より早くなっていることだ。
「……本気で言ってるのね」
「本気だ」
「馬鹿みたい。中に入ったら、染まるかもしれないのに」
「染まらない」
「どうして言い切れるの」
「前世で、一回染まって死んだからだ」
口が滑った。前世のことは、誰にも話していない。
レナが目を丸くした。
「前世って何?」
「冗談だ」
「嘘。今のは本気の目だった」
鋭い。この少女は、嘘を見抜く目を持っている。五年間、壁のこちら側の人間を警戒し続けてきた目だ。
「いつか話す。今はまだ、言葉にできない」
レナは数秒、俺を見つめた。それから視線を外した。
「いつか、ね」
「ああ」
「その『いつか』が来なかったら、私が怒る。覚えておいて」
怒ると言いながら、声は少しだけ柔らかかった。
レナが壁の方に歩き出した。数歩進んで、足を止めた。
「ルッツ」
「何だ」
「軍に入っても、ここには来て」
振り返らずに言った。
「来るよ」
レナは頷いて、壁の陰に消えた。
◇
家に帰ると、父が書斎にいた。
「軍務を選んだ」
父の手が止まった。ペンを持つ指が、わずかに白くなった。
「……そうか」
それだけだった。反対も賛成もしなかった。
だが椅子から立ち上がる時、父の目が暖炉の上の肖像画に向いた。
母の絵。赤い髪、金色の瞳。
父はあの絵に向かって、何かを呟いた。聞き取れなかった。聞き取れなくてよかったのかもしれない。
二つの道。
エミルと同じ道を歩くことを選んだ。だが目指す場所は違う。
レナの道と交わる未来を、まだ信じている。だがその交差点がどこにあるのか、今の俺には見えない。
見えないまま、歩き出す。
前の人生では、道が見えないことを言い訳にして立ち止まった。
今度は違う。見えなくても歩く。歩きながら道を探す。
それが二度目の人生で学んだ、たった一つのことだった。




