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二度目の夜明けを <第2章スタート>  作者: ret_riever
1章 革命の残り香 *1話〜15話

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最初のひび

ルッツ14歳。エミルとの友情に、初めての亀裂が入ります。

それは放課後の教室だった。


 エミルが俺の前に立っていた。いつもの笑顔がなかった。


「ルッツ。訊きたいことがある」


 声が低い。エミルが声を落とすのは珍しい。大抵は教室の端にいても聞こえるような大声で話す男だ。


「何だ?」


「お前、旧い血と付き合ってるのか」


 空気が変わった。


 教室には他の生徒もいたが、エミルは意図的にこの場を選んだわけではないだろう。衝動的に口に出してしまったのだ。それが分かるくらいには、俺はこの友人を知っている。


「誰に聞いた」


「答えろよ。東区画の壁の近くで、お前を見たって奴がいる。何度も通ってるって」


 否定するか。


 一瞬だけ考えて、やめた。エミルに嘘をつくのは、この六年間の友情に対する冒涜だ。


「レナっていう子がいる。隔離区の子だ」


 エミルの顔が強張った。


「やっぱりか。ルッツ、それは危ないぞ。密告されたら、お前の立場が……」


「密告って、誰が誰に?」


「隔離区との接触は規則違反だ。均等裁定院に報告が行ったら、お前の評価が下がる。英雄の息子って立場があるだろ」


 エミルの目には、本気の心配があった。嫌悪ではない。友人を案じる、純粋な心配だ。それが分かるからこそ、余計に言葉を選ぶのが難しくなる。


「レナは敵じゃない。あの壁の向こうにいるのは、ただの子供だ」


「そりゃ子供かもしれないけど……でも、連中は革命を覆そうとしてる。大人たちがそう言ってる」


 連中。


 その言葉が、俺の中の何かに触れた。


「エミル」


「何だよ」


「会ったこともない人間を『連中』と呼ぶのは、あの貴族たちが平民を『下民』と呼んだのと何が違う?」


 エミルの表情が凍った。


 言い過ぎたかもしれない。だが引っ込められなかった。前世の俺なら黙っていた。波風を立てず、適当に流して、何も変わらない関係を維持していた。今はそうしたくなかった。


「俺は……」


 エミルが口を開きかけて、閉じた。もう一度開いて、また閉じた。


 言葉を探している。反論したいが、的確な反論が見つからない。図星を突かれた人間の反応だ。


 長い沈黙が落ちた。


 六年間の友情の中で、初めての沈黙だった。


 エミルとの間に言葉が途切れたことは一度もなかった。いつもエミルが話し、俺が聞き、時々俺が口を挟み、エミルが笑う。その繰り返しで六年が過ぎた。


 今、その流れが止まった。


「……俺は、お前のことが心配なんだ」


 ようやくエミルが言った。声から怒りは消えていた。代わりに、困惑と、傷ついた響きがあった。


「分かってる」


「分かってるなら」


「エミル。お前は正しいことを言ってる。規則上は、隔離区との接触は違反だ。俺の立場に良くないのもその通りだ」


「だったら」


「だけど、規則が正しいとは限らない」


 また沈黙。


 エミルは俺を見ていた。その目は、初めて出会った日の目とは違っていた。七歳の時、「お前の母さんは最高の英雄だ」と輝いていた目。あの曇りのない目に、初めて翳りが差している。


「お前は変わったな、ルッツ」


「変わったかもしれない」


「昔はもっと……普通だったのに」


 普通。エミルにとっての「普通」は、共和国を信じ、革命を誇り、規則に従って生きることだ。それが「普通」であることが、この国の教育の成果であり、問題でもある。


「エミル。一つだけ約束してくれ」


「何だよ」


「レナのことは、誰にも言わないでくれ」


 エミルは黙った。


 これは大きな頼みだった。規則違反を知りながら報告しないことは、エミル自身も共犯にする。正義感の強いエミルにとって、それがどれほどの負荷か、俺には分かっていた。


「……言わない」


 長い間を置いて、エミルが言った。


「お前は俺の友達だ。友達を密告するような真似はしない」


「ありがとう」


「でも、ルッツ」


 エミルの声が硬くなった。


「正直、お前が何を考えてるのか分からなくなった。俺は共和国を守りたい。お前はどうなんだ」


 答えなかった。答えられなかった。


 俺が守りたいのは共和国ではない。かといって、壊したいわけでもない。この国の中にある良い部分は守りたいし、悪い部分は変えたい。だがそんな中途半端な答えは、エミルの問いに対する回答にはならない。


「考えさせてくれ」


「……ああ」


 エミルは鞄を手に取り、教室を出て行った。


 振り返らなかった。


          ◇


 帰り道、一人で歩いた。


 いつもはエミルと並んで帰る道を、今日は一人で。


 エミルは密告しない。それは信じている。あいつは卑怯な人間ではない。友情を裏切る人間ではない。


 だが、友情にひびが入った。


 六年間、積み上げてきたものに、細い亀裂が走った。今はまだ表面だけかもしれない。だがこの亀裂は、これから広がるだろう。


 俺とエミルは、見ている世界が違い始めている。


 エミルは壁のこちら側だけを見て、こちら側を守ろうとしている。俺は壁の両側を見て、壁そのものを問題だと思っている。


 同じ景色を見ていた二人が、違う方を向き始めた。


 前世には友人がいなかった。だから友人との対立の痛みも知らなかった。


 今、初めて知った。


 友人に嘘をつくのは辛い。だが友人に本当のことを言って、友人を傷つけるのは、もっと辛い。


「連中」という言葉。エミルは悪意で使ったのではない。この国の教育が、あの言葉を自然に口にさせている。エミルは被害者でもある。


 だからこそ、余計に苦い。


 家の前に着いた。門の上に、深紅の旗が夕風に揺れている。


 母さん。


 あなたの革命が作ったこの国で、俺は今日、友達を一人失いかけた。


 完全には失っていない。まだ戻れるかもしれない。だが、前と同じ関係には、もう戻れない。


 これが、何かを変えようとすることの代償なのだと、十四歳の俺は学んだ。

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