6.
この街の住人の間では、通称「学園」と呼ばれている。
その公式な名称は「カトリーナ学園」なのだそうだが、「カナちゃんの学校」と称されることも多い、この街の一般住民向けに開設されている初等教育機関。
そんな場所を今、俺は、訪れていた。
別に隠していた訳ではないのだが、実は、俺の文字を読み書き能力は、十分と言えない。
前世では普通に学校へも通って本人的には十二分に学習していたつもりなので全く素養がない訳ではないのだが、残念ながら、現状はキチンと読み書きが出来ていると主張するには不足が多い。
そう。大変遺憾なことに、この近辺で使われる言語や文字の体系が、前世知識のそれとは微妙にズレがあるのだ。
しかも。当然、片田舎の村で虐げられ貧しくその日暮らしをしていた人間に、読み書きを系統だてて学習する機会など与えられる筈も無かった、ので…。
ただ、まあ。日常生活で目にして意味を知る機会のある生活に根差した言葉に関連する文字については、ほぼほぼ、何とかなっていた。有難いことに、ある程度は前世の知識が活躍してくれた、ので。
とは言え。謎の変遷や絶妙な解釈違いで変質したかのような単語や言い回し等にも、結構な頻度で遭遇することも、情け容赦のない無情な現実として発生した。が、トライあんどエラーで四苦八苦しつつも推測と答え合わせを地道に繰り返し、何とか今までは対処できていたりする。
つまりは、まあ。最低限の読み書き程度ならば、特に苦も無く処理できるようには成っていた。
だから。この街の冒険者ギルドへの登録に際しては、規約の確認や同意書への署名など滞りなく対処していたので、普通に読み書き出来ると勝手に判定されたらしく、この店での採用が決定する時にも特段に読み書きに関する能力については確認されなかった。
のだが、しかし、だ。
商店での売買に関わるレベルの文字であればある程度まで読めはするものの、商品名やその説明書きに含まれる馴染みない見知らぬ単語ともなると...やはり、系統だてて文字を学習していないが為に覚束ない推測によって対処する事となり、ボロがでる。
お店の従業員の皆さまには、機転と根性と多少の幸運により何とか誤魔化せてはいたものの、頭脳明晰なゴスロリ魔術師であるエイプリルちゃんには、バレバレだったようだ。ははははは。
ちなみに。買い物レベルの計算については、数字さえ読めるようになれば、楽勝だった。前世で嫌という程に訓練された頭脳が、相応に機能したので…。
と、まあ、そんな訳で。
現在、俺は、「カナのパン屋さん」従業員特典を利用させて貰い、この「カトリーナ学園」の生徒になる事と相成って、この場所を訪れていたのであった。
であった、のだが…。
「すいませ~ん。どなたか、居られませんかぁ?」
学園の敷地を囲う塀が途切れている箇所、扉はないけど立派な門柱が二つ並び立っている場所で、俺は、声を張り上げていた。
校門らしき場所の傍には、本来は守衛さんが詰めているであろう立派な小屋もあるのだが、無人だったのだ。
しかも…。
建物や塀や門柱などは然程は古い訳でも無さそうなのだが、全体的に薄汚れていると言うか、偏ったある特定のカテゴリの部分でお手入れが行き届いていない感が半端ない、ような印象を受ける。
う~ん。
最初は外聞も相当に気にして費用を掛け張り切って作ったけど、出来上がった後には全く興味がなくなり放置されたまま、って感じだろうか?
いや、まあ。普段から使用しそうな個所は掃除もある程度は行き届いており、それなりには整えられている、ようにも見える。
けど、権威とか威厳といったモノを醸し出す飾り立てられた箇所とその近辺は放置されてる、ような…。
良く言えば、実用性を優先、って感じかな?
などなど、と。俺が、学園の建屋や設備を特に意味も無く観察していると、校舎らしき建物の裏手から、一人のご老人が現れた。
ノンビリと、まるで散歩を楽しんでいるかのように、こちらへと向かって悠然と歩いてくる。
「...」
待つこと、暫し。
「...」
そして。
ゆっくりと、時間をかけて俺の前まで近寄ってきたご老人が、ニッコリ笑いながらノンビリ話す。
「すまんなぁ。生徒以外が来ることも無いもんでなぁ」
「はぁ」
「で。何かありましたかな?」
「えっと。カイトと申します。本日から、こちらの学園で学ばせて頂くことになったのですが…」
「ほうほう」
「こちらの敷地内に入る許可を頂きたいと思いまして…」
「なるほど、成程」
「えっと…」
「遠慮せず、どうぞ、なんじゃなぁ」
首尾一貫してニコニコ笑顔のご老人が、うんうんと頷く。
何となく、ご老人の笑顔の質感が一気にパワーアップした、ような気もするが…。
「できた当初は色々と制約もあったもんじゃが、今は、ここへの出入りも自由になっとるのぉ」
「はぁ」
「行先は、聞いておらんのかね?」
「いえ。ルルちゃんからは、一番広い教室に行け、と聞いたのですが…」
「ふんふん」
「やっぱり、教室って、あの正面の建屋の中にある、のですよね?」
「そうじゃのぉ」
「そうですか…」
「うむうむ」
「はぁ。分かりました。取り敢えず、建物の中へ入らせて頂きます」
「どうぞ、どうぞ、じゃ」
「ありがとうございます」
どうやら、ここへの出入りには、特に許可など必要ないようだ。
俺は、にこやかに微笑む好々爺と化したご老人に一礼し、学園の敷地中へと足を踏み入れるのであった。
* * *
ご老人のお言葉に甘えて、キョロキョロしながらも、学園の敷地内へと踏み込んで校舎と思しき一番大きな建屋の中に入って行く。
そして。静かだが微かな緊張感が漂い人の気配が一番濃厚な部屋の方へと向かい、足を進める。
暫く歩くと、すぐ目の前に、その部屋の全景が見えてきた。
廊下側の窓も、校庭だと思われる空き地がある側の窓も、廊下側の部屋の前後にある二つの引き戸も、全てが全開された広めの部屋。
そんな、教室らしさを満載している部屋の前へと、辿り着いた。
俺は、その入り口から部屋の中の様子を窺おうとして...ばっちり、彼女と目が合った。
光沢あるルビー色の、癖のない真っ直ぐなサラサラ髪。
前はパッツン、後ろと左右は肩上でスッパリ揃えてカット。
綺麗な卵型の童顔に、ルビー色に輝く大きな瞳を煌々させた、天然っぽさと少し影ある表情を纏う、超絶美形の愛らしい女の子。
か、可愛い。
こんな可愛らしい子が、実在するんだなぁ…。
俺は、ホケっと唯々、教卓の前に立つ超絶美少女の姿を見詰め続けるのであった。




