初夜に夫が『聖女』の愛人の元へ行ったので離縁を決意しましたが、ベッドの下から王国最強の暗影騎士が現れて執着溺愛ざまぁされました
「……愛想が尽きた。お前のような冷たい女とは、これ以上一緒にいられない」
結婚して半年。
本来なら、甘い新婚生活を送るはずだった夫婦の寝室。
夫であるアルカイド様がこの部屋に足を踏み入れたのは、初夜以来――これが二度目でした。
麗しい王弟殿下として国民に愛される彼。
けれど、私に向けるその瞳は、氷のように冷え切っています。
「今夜も私はミレイユの元へ行く。彼女こそが私の真実の愛。聖女のような慈愛を持った女性だ」
アルカイド様は、吐き捨てるように告げました。
「お前のような、能面のような女とは違う」
言葉の一つひとつが、胸に突き刺さります。
ミレイユ様。
最近、アルカイド様が夢中になっている男爵令嬢です。
微弱な治癒魔法が使えるとかで、「聖女の再来」などと持て囃されている女性でした。
「……旦那様。私は、あなた様をお支えするために、この半年間懸命に……」
「黙れ。公爵家の権力だけが取り柄の女が」
私の言葉を遮り、彼は冷酷に宣告します。
「兄上にも話はつけてある。明日の朝、正式に離縁を申し入れるつもりだ」
「……っ」
「白い結婚なのだから、未練はあるまい? 明日、離縁状を用意しておくからサインしろ」
それだけ言い残すと、彼は踵を返しました。
バタン、と重たい扉が閉ざされる音。
広い寝室に、その音だけが虚しく響きます。
私は力が抜け、その場に崩れ落ちました。
豪華な天蓋付きのベッド。
けれど、このシーツが夫婦の体温で温められたことは、ただの一度もありません。
公爵家の娘として、完璧であれと育てられました。
感情を殺し、公務をこなし、領地経営を補佐し、彼が政務に集中できるようにと泥をかぶってきました。
愛人の噂が耳に入っても、正妻としての矜持を持って耐えてきました。
でも、全部無駄だったのです。
彼は私の中身なんて見ていなかった。
ただの「冷たい女」として、私を切り捨てたのです。
「……こんな結婚なら、最初からいらなかった」
涙が頬を伝い、シーツにシミを作ります。
誰にも聞かれないはずの、独り言でした。
明日には荷物をまとめて、実家に帰らなければなりません。
冷遇された出戻りの娘。
きっと、居場所なんてどこにもないでしょう。
「……あの方のいう通り、離縁しましょう」
そう呟いた、その時でした。
「同感ですね。そんな男は、今すぐ捨ててしまいましょう」
「え?」
どこからか、男の人の声が聞こえました。
部屋には私一人のはずです。
慌てて涙を拭い、キョロキョロと周囲を見渡します。
でも、誰もいません。
「ここです。下です」
「下?」
恐る恐る、視線を下げると。
ベッドの下の暗がりから、ぬっと「手」が出てきました。
「ひっ!?」
悲鳴を上げて飛び退く私。
すると、ベッドの下から黒衣を纏った男が、ズルズルと這い出てきたのです。
音もなく立ち上がったその男。
長身で、夜闇のような黒髪。
そして月光を反射する、涼やかな銀色の瞳。
不審者。
そう思って叫ぼうとした私の唇に、彼はスッと人差し指を当てました。
「しーっ。大声を出さないでください、リュミナ様。私は怪しい者ではありません」
「ベッドの下から出てきて、怪しくないわけがないでしょう!?」
「ごもっともです」
男は真顔で頷きました。
整った顔立ちをしているのに、言っていることと状況が異常すぎます。
「私はゼファル・ナイトフォール。国王陛下直属の『影』を務めている者です」
「ゼファル……? あの、王国最強と謳われる暗影騎士の?」
名前は聞いたことがありました。
表向きは王宮騎士団に所属していますが、実際には王家の汚れ仕事や重要人の護衛を一手に引き受ける、凄腕の騎士だと。
「なぜ、そのような方が私の寝室に?」
ゼファル様は片膝をつき、恭しく頭を垂れました。
「半年前にあなたがこの屋敷に来てから今日まで、ずっと護衛をしておりました。アルカイド殿下は政敵が多く、その伴侶であるあなたも狙われる可能性が高かったためです」
「ご、護衛……?」
「はい。陛下の勅命で24時間体制の警護をしておりました。主に天井裏か、このベッドの下に潜んで」
私は絶句しました。
つまり、この半年間。
私が一人で部屋にいる時も。
寝ている時も。
寂しさに耐えかねて、枕に顔を埋めて泣いていた時も。
彼は全部、見ていた(聞いていた)ということですか?
カァッ、と顔から火が出そうになります。
「……全部、知っていたのですね」
「はい。あなたが毎晩、日記にアルカイド殿下への気遣いを書き記していたことも。独り言で『もっと上手く笑えるようになりたい』と練習していたことも」
「~~っ!」
「そして今夜、理不尽に捨てられようとしていることも」
ゼファル様の銀色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜きました。
そこには、アルカイド様のような冷たさは微塵もありません。
むしろ、火傷しそうなほどの熱い光が宿っていました。
「リュミナ様。私は護衛として、あなたの涙をずっと聞いてきました。……正直に申し上げますと、限界です」
「限界?」
「はい。あのような見る目のない男のために、あなたがこれ以上傷つくのを見ていられません」
彼はスッと立ち上がり、窓の方へ歩き出します。
そして振り返り、私に手を差し伸べました。
「アルカイド殿下があなたを捨てるというなら、先にこちらから捨ててしまいましょう」
「え……」
「荷物をまとめる必要はありません。必要なものは全て私が用意しました。実家のフォルセイド公爵家とも話はついています。今夜、このまま逃げましょう」
「で、でも……いきなりそんな」
「あなたは、まだあの男に未練がありますか?」
私は言葉に詰まりました。
未練。
あるわけがありません。
半年の冷遇と、今夜の仕打ち。
私の心は完全に粉々になりました。
「……ありません。でも、私は離縁された身です。実家に迷惑をかけるわけには」
「迷惑などではありません。むしろ公爵家の方々は、あなたを不当に扱うアルカイド殿下に激怒しておられます。陛下もまた、事態を重く見ておいでです」
ゼファル様は一歩近づき、私の手を取りました。
その手は大きく、剣だこで硬かったけれど、驚くほど温かかったです。
「それに、もしあなたさえ良ければ……」
彼はわずかに視線を逸らし、頬を染めました。
「離縁が成立した後、私と婚姻を結ぶという選択肢もあります」
「は……?」
あまりの急展開に、思考が追いつきません。
私がポカンとしていると、彼は照れくさそうに続けます。
「……ベッドの下で、ずっとあなたの声を聞いていました。あなたの優しさも、強さも、弱さも、全て。護衛対象としてではなく、一人の女性として、あなたをお慕いしてしまったのです」
暗殺者ともあろう方が、まるで初心な少年のように告白してくるのです。
そのギャップに、私はまたしても言葉を失いました。
「答えは今すぐでなくて構いません。まずは、この鳥籠から出ましょう。……私に、あなたを連れ去らせてくれませんか?」
差し出された手。
アルカイド様からは、一度も差し伸べられなかった手。
私は涙を拭い、その手をしっかりと握り返しました。
「……連れて行ってください、ゼファル様」
彼は嬉しそうに目を細めると、軽々と私をお姫様抱っこしました。
「しっかり掴まっていてくださいね」
次の瞬間、私たちは夜の風に乗って、窓から飛び出しました。
◇ ◇ ◇
それから数日後。
王城の大広間は、異様な緊張感に包まれていました。
今日は国王陛下主催の夜会ですが、事前の通達により、重要な「沙汰」が言い渡される場となっていたのです。
壇上には国王陛下。
その下には、アルカイド様と、その腕にまとわりつくミレイユ様の姿がありました。
「兄王! なぜ私が断罪されねばならないのですか! 私は真実の愛を見つけただけです!」
アルカイド様が大声で叫んでいます。
その横でミレイユ様も「そうですぅ、私たちは愛し合ってるんですぅ」と甘ったるい声を上げていました。
国王陛下は冷ややかな目で二人を見下ろします。
「黙りなさい。そなたの行状については、全て報告が上がっている」
「報告? 何のことです! まさか、あの冷血な元妻が何か吹き込んだのでは……!」
「入室を許可する」
陛下の合図で、重い扉が開かれます。
私はゼファル様にエスコートされ、大広間へと足を踏み入れました。
数日前まで着ていた地味なドレスではありません。
公爵家が用意してくれた、最高級のシルクのドレス。
そして隣には、漆黒の礼服に身を包んだゼファル様。
周囲の貴族たちが、その美しさと威圧感にざわめきます。
「リュミナ……!? なぜお前がそこに! しかも、その男は……!」
アルカイド様が驚愕に目を見開きました。
私は深呼吸をして、毅然と顔を上げます。
もう、怯えるだけの私ではありません。
「お久しぶりです、アルカイド殿下。いえ、もう他人ですので『様』付けも不要ですね」
「貴様……!」
「アルカイド殿下」
ゼファル様が一歩前に出ました。
その声は低く、広間の空気を凍らせるほどの殺気を孕んでいます。
「私は国王陛下の命により、半年間リュミナ様の護衛兼監視任務についておりました。その中で確認された、殿下の数々の不正についてご報告いたします」
ゼファル様は懐から書類の束を取り出し、陛下に提出しました。
「これは……!?」
「殿下が領地経営費として計上していた予算の使い道です。実際には領地には一銭も使われず、全てそこのミレイユ嬢への贈り物や、豪遊費に消えていましたね」
会場がどよめきます。
アルカイド様は顔面蒼白になりました。
「で、でたらめだ! そんな証拠が……!」
「全て裏は取ってあります。私がこの目で見て、耳で聞いてきましたから。……あなたが寝室で『この国の税金は俺の財布だ』と豪語していた音声も、魔道具に記録してありますよ」
「な……っ!」
ゼファル様は冷酷に追い打ちをかけます。
「さらに、ミレイユ嬢。あなたが『聖女』を自称して寄付金を集め、それを私腹の肥やしにしていた件についても、神殿側から告発が届いています」
「えっ、そ、それは……アルカイド様が良いって言ったからぁ!」
ミレイユ様はさっとアルカイド様から離れました。
「私は悪くないですぅ! 王弟殿下に命令されただけなんです!」
「ミ、ミレイユ!? お前、何を言って……!」
「だってぇ、お金持ちの王子様だっていうから付き合ったのに、犯罪者になるなんて聞いてないし!」
醜いなすりつけ合い。
これが、彼が「真実の愛」と呼んだものの正体です。
私は憐れみすら感じながら、冷ややかにその様子を見つめました。
ダンッ、と国王陛下が杖を床に打ち鳴らします。
「もはや言い逃れはできん。アルカイド、そなたの王族籍を剥奪し、北の国境砦への追放を命じる。一生、極寒の地で反省するがよい」
「そ、そんな……兄上、お待ちください!」
「ミレイユ、そなたも詐欺罪および王族への不敬罪で拘束する」
「いやぁぁ! 離してぇ!」
衛兵たちが二人を取り押さえます。
引きずられていく最中、アルカイド様が私の方を見ました。
その目は、縋るような色をしていました。
「リュミナ! リュミナ、お前なら分かってくれるだろう!? 俺たちは夫婦じゃないか! 家のために、俺を助けてくれ!」
今さら。
本当によく、そんな言葉が出てくるものです。
私は扇で口元を隠し、静かに、けれどはっきりと告げました。
「その言葉を、半年間の一日でも聞きたかったですね」
「あっ……」
「さようなら、元旦那様」
アルカイド様の絶望に染まった顔が、扉の向こうに消えていきました。
◇ ◇ ◇
騒動が落ち着いたあと。
私は王城のバルコニーで、夜風に当たっていました。
長年の重荷が下りたような、不思議な爽快感がありました。
「リュミナ様」
背後から、優しい声がしました。
振り返ると、ゼファル様が心配そうな顔で立っています。
「大丈夫ですか? 少し、顔色が優れないようですが」
「いいえ、大丈夫です。ただ……本当に終わったんだな、と思って」
ゼファル様は私の隣に並び、手すりに手をつきました。
月明かりの下、彼の横顔はとても綺麗でした。
「陛下より、正式に許しが出ました。……その、私との婚姻について」
「はい」
「もちろん、あなたが望まないなら断っていただいて構いません。あなたは自由です。これからは、誰にも縛られず、好きなように生きて……」
私は彼の手の上に、自分の手を重ねました。
ゼファル様が驚いて私を見ます。
「私、公爵家の娘として計算高く育ちましたから、損得勘定が得意なんです」
「は、はあ……」
「王国最強の騎士様で、私のことを誰よりも理解してくれて、ピンチの時には必ず助けてくれる。こんな優良物件、逃す手はありませんよね?」
私が悪戯っぽく微笑むと、ゼファル様は一瞬ぽかんとして。
それから、破顔しました。
その笑顔は、今まで見たどの表情よりも魅力的でした。
「……後悔させません。あなたが泣くなら、その涙は嬉し涙だけにしてみせます」
「期待していますわ」
ゼファル様は私の手を引き寄せ、甲に口づけを落としました。
「今度こそ、ベッドの下からではなく、堂々とあなたの隣に立ちたい。……私の妻になってくれますか?」
「はい、喜んで」
私たちは月明かりの下、初めての口づけを交わしました。
◇ ◇ ◇
それからさらに数日後。
ゼファル様と私の新居での夜。
「……誰もいませんね」
私は寝室に入るなり、真っ先にベッドの下を覗き込みました。
埃一つない床が見えるだけです。
「リュミナ?」
着替えを終えたゼファル様が、不思議そうに私を見ています。
「ふふ、ちょっと確認を。今日は誰も潜んでいないみたいですから」
私が笑うと、ゼファル様は顔を赤くして、背後から私を抱きしめました。
彼の体温と、優しい香りが私を包み込みます。
「もう隠れる必要はありませんから」
耳元で囁かれる甘い声に、背筋がぞくぞくしました。
「これからは、ベッドの下ではなく、ベッドの上で。あなたの全部を私が守ります」
「……ゼファル様」
「愛しています、リュミナ」
彼の腕の中で振り返り、私は彼を見上げました。
そこにあるのは、もう冷たい氷の瞳ではありません。
私だけを映し、私だけを熱く求めてくれる、最愛の人の瞳でした。
「私も……愛しています」
ベッドの下で独り泣いていた夜はもう終わり。
これからは、この人の腕の中で笑う夜だけが、私の人生に続いていくのです。
そう確信して、私は幸せな眠りにつくのでした。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
ベッドの下に潜む騎士様の、ちょっと重めな執着溺愛×ざまぁ。
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