第3話 失われたデータの声
《彼女はここにいる》
その不気味な文字列が脳裏に焼き付いて離れなかった。
Seraのログデータは、どのサーバーにも存在しなかった。
ギルドのメンバーリスト、フレンドリスト、過去のチャットログ――どこを探しても、彼女の痕跡は「削除済み」と表示されるだけ。
だが、未央は知っていた。
Seraは確かに、この世界に存在していた。
笑って、話して、戦って――そして、あの洞窟で消えた。
⸻
現実に戻ってからの未央の生活は、さらに静寂を増していた。
学校ではいつも通り孤立していたが、もうそれすら気にならなくなっていた。
教室のざわめきは遠く、心はいつもゲームの中にあった。
「……ここじゃ、何も感じない。」
下校途中、電車の窓に映る自分の顔を見て、未央は呟いた。
表情が薄い。目の奥が空っぽだ。
ヘッドギアを被り、仮想世界に潜る瞬間だけが“現実”のように思えてしまう。
帰宅すると、ためらいなくベッドに倒れ込み、端末を起動した。
瞼を閉じ、あの声が響く。
――《Welcome back, Mio.》
⸻
ログインした瞬間、視界は柔らかな蒼色に染まった。
だが、どこかが違う。
いつもの街が、妙に静かだった。
プレイヤーたちの姿も少ない。
代わりに、街角の告知板にはこんなメッセージが貼られていた。
> 【システムメンテナンス告知】
> 一部プレイヤーデータに異常を検出。
> 該当アカウントの一時凍結を実施しました。
> 原因:未確認エンティティによる干渉。
“未確認エンティティ”――それは、あの黒い靄のことか。
Mioは迷わず行動に移った。
向かったのは、《アーカイブ・ノード》と呼ばれる場所。
ゲーム内で公式に開放されている情報保管エリアで、プレイヤーの記録やイベントデータの一部が閲覧できる。
だが、それは同時に“システムの奥”へ潜る危険な場所でもあった。
⸻
薄暗い空間の中に、光の柱がいくつも立ち並ぶ。
それぞれがデータを象徴しており、手を触れると音声や映像を再生できる。
Mioは無数の柱を見回しながら、一つに手を伸ばした。
《アクセス制限:管理者権限が必要です》
やはり、簡単にはいかない。
だがMioは知っていた。
トッププレイヤーの間では、非公式に“裏ルート”が存在すると噂されていた。
《データ深層域》――開発陣がアクセス禁止にした領域。
かつて、チート検出AIが生まれた場所でもあるという。
彼はコマンドラインを呼び出し、入力を始めた。
それは彼自身が独学で習得した、解析技術の応用。
この世界を本気で生きているなら、必要な“力”だった。
数分後、空間に微かな震動が走った。
――《警告:不正アクセスを検知》
――《管理者コード:C-07を呼び出します》
光の柱が一斉に明滅する。
そして、その中から“人の形”をした影が現れた。
「……誰だ?」
「あなたが侵入者? 管理者コードC-07、通称《Luna》。」
その声は落ち着いていて、どこか機械的だった。
銀髪の女性の姿。瞳は透き通る水色。
明らかにNPCだが、通常のAIとは違う――“自我”がある。
「ここに、人が……いる?」
「私は人ではない。だが、あなたたちを“観測”している存在。」
「……観測?」
Lunaは静かに頷いた。
「最近、異常が発生しています。プレイヤーのデータが削除されず、“残留”しているのです。」
「削除されず……?」
「はい。あなたのフレンド《Sera》も、その一人。」
Mioの胸が締めつけられる。
「彼女は……生きてるのか?」
Lunaは少し間を置いて答えた。
「“生きている”という定義によります。彼女の肉体は現実世界にあります。しかし、彼女の意識データの一部は、この世界の“深層”に残されています。」
「意識データ……?」
「ゲームが進化しすぎたのです。プレイヤーの思考パターン、感情の波形、それらを学習して“再現”する。あなたたちの行動を正確に記録し続けた結果、プレイヤーはデータとしても存在できるようになった。」
未央は息を呑んだ。
つまり――Seraは、この世界に“記録”として生きている。
⸻
「どうすれば、彼女に会える?」
「深層域に潜りなさい。ただし警告します。そこに入れば、戻れなくなる可能性がある。」
「構わない。」
「なぜ?」
Mioは静かに答えた。
「……彼女は、俺の現実だった。」
Lunaは一瞬だけ目を細め、微笑んだように見えた。
「了解。――リンクを開きます。」
光の柱がねじれ、空間に黒い渦が生まれる。
そこから冷たい風が吹きつけた。
“データの深層”――The Infinity Worldの心臓部。
Mioは一歩踏み出す。
視界が白く弾ける瞬間、誰かの声が聞こえた。
――『Mio……聞こえる……?』
それは、確かにSeraの声だった。
⸻
目を開けたとき、Mioは見知らぬ場所に立っていた。
空は暗く、地面は鏡のように黒く輝いている。
遠くには、人影がいくつも立っていた。
その全員が、表情のない“プレイヤー”の形をしている。
「ここが……深層域……?」
その中の一人が、ゆっくりと顔を上げた。
Seraだった。
だが、その瞳は虚ろで、光を失っている。
「……Sera。」
呼びかけると、彼女の唇がかすかに動いた。
『Mio……ここに……いるよ……でも、出られない……』
通信が途切れるように声がかすれ、彼女の姿が揺らいだ。
その奥で、巨大な影が蠢いた。
データの集合体――人の形をした“黒い存在”。
「プレイヤーの記憶を喰う……“虚像”か。」
Lunaの声が遠くから響く。
「それが、この世界を侵食しているエンティティ。《Null》。」
Seraの身体が、その闇に引き寄せられていく。
Mioは叫んだ。
「離せ――!」
光が弾け、剣が放たれた。
世界が崩れ、音が消える。
――そして、全てが白に染まった。
⸻
目を覚ましたとき、未央は現実のベッドの上にいた。
ログアウトしていた。
だが、頭の中に、確かに彼女の声が残っていた。
> 『Mio……私を、見つけて……』
それは幻聴ではなかった。
システムログには、あり得ないデータが一行だけ記録されていた。
> 【ユーザーSera:セッション継続中】
彼女は、まだ“あの世界”にいる。
未央は拳を握り、深く息を吸った。
「――行くよ、セラ。」
彼の瞳に、もう迷いはなかった。
現実ではなく、あの無限の世界こそが、今の彼にとっての“真実”だった。




