わたくしとあの人の幸せな結婚生活に向けて
わたくしが初めてあの男に会ったのは、12歳の誕生日パーティーの日でした。
たくさん呼んだお友だちもみんな帰ってしまって少し寂しく思っていたわたくしは、ぽつんと残っていたその男の子と、その子によく似た男の人を見て少し不思議だったのを覚えているわ。
「ねえアンジェラ、少しお話があるのよ。聞いてくれる?お父様とお母様で前から考えていたんだけれどね、そろそろあなたにも婚約者がいた方がいいんじゃないかって」
そう言ってお母様に紹介されたのが彼、
グスタフ・ヘルダーリン。同い年の男の子。
こんやくしゃ。婚約者?わたくし、この子と結婚するのかしら。
初めて会った婚約者は彼の父親の隣に立って、じっとわたくしを見つめていました。お母様が前に見せてくれた宝石みたいにキラキラして、素敵な瞳だとおもってしまったの。深いみどりいろ。わたくし、みどりって好きよ。それだけでなんだか、このよく知らない男の子のことをこれから好きになれるような気がしたわ。
まあ、それから彼とは交流を重ねて、どんな人なのか少しずつ知っていったけれど。
あの人、本当に、全く、会話をする気が、ないのかしら!!!
わたくしがどんなに頑張って話題を見つけても、「そうですね」だとか、「ええ」だとかそんな返事ばかり!会話を繋げる気がないのだわ。
いつも黙ったままだし、一緒にいてもまるで楽しそうじゃない。わたくしはお話しするのが好きだけれど、一人で一方的に喋っているのは会話とは呼べないと思うの。
わたくしも彼も、もう数ヶ月で高等部を卒業するし、そうなれば結婚まですぐそこでしょう。
不安でたまりません、わたくしはあの男と幸せな結婚生活を送れるのかしら?
それに彼は卒業後すぐに騎士団へ入ると聞いているけれど、本当はそれも心配ですわ。
彼の家系、ヘルダーリン伯爵家は代々軍人で、嫡男の彼もそうなるのは当たり前、そんなことは分かっています。それでも、もし戦争なんて起きてしまったら彼は、わたくしをおいてどこかへ行ってしまうのでしょう。
家でただ心配しながら無事を祈る生活なんて、わたくしに耐えられるか分かりませんわ。
「……で、アンジェラ様は結局その婚約者殿のことはどう思ってるんです?」
わたくしの愚痴を黙って聞いていた友人のヒルデガルトが突然そんなことを言った。
「?どう、とは何ですの。べつに、わたくしがどう思っていようと、結婚はすでに決まっていますのよ」
ヒルデガルドったら変なことを言いますわね。
「決まってるかもしれないですけど、アンジェラ様の気持ちはまた別の問題でしょう?そういえば今日は件の婚約者殿とデートなんじゃないですか?朝からなんかそわそわしてたし」
「そわそわしてません!それに、で、デートじゃありませんわ、これは義務ですの!定期的に会えと言われているから、だから、それだけですわ!……あの人はわたくしに会いたくて誘っているのではありませんもの」
無口な婚約者と、中庭の小さなテーブルに座り二人で紅茶を嗜む。なんだかヒルデガルドの言っていたことを思い出した。
どう思ってるんです?
そういえば、この人はわたくしのことをどう思っているのかしら。静かに遠くを眺めている婚約者をじっと見つめてみる。
「アンジェラ様」
「は、はい!」
なっ、何かしら、急にこっちを向かないでくださる!?見つめていたのがお気に召さなかったのかしら、でもグスタフだってわたくしのこといつも黙ってじっと見ているわ、だからわたくしだってたまには、
「卒業パーティーのエスコートですが、私でよろしいでしょうか」
「へ?あ、は、はい……」
そうだ、卒業パーティー。すっかり忘れていました。男女で組んで入場するのが通例となっていて、婚約者がいる者は相手と、というのが一般的ですの。ヒルデガルトが相手探しに奔走していたのを思い出しますわ。わたくしにはこの人がいるから探す必要もありませんでしたけれど。
あら?どうしてわざわざ確認なんてとるのかしら、あなたがいるのだからあなたがペアに決まっていると思っていたのだけれど。
「踊るのは初めの一曲だけで結構です、あとは自由にして構いませんよ」
いつもみたいに、淡々と。突き放すみたいに。あなた今どこみてるの、あなたが見ているのはわたくしじゃないわね。
「どうしてそんなことおっしゃるの、わたくしとは踊りたくないのかしら」
「……そんなことは。私はただ、あなたにも交友関係があるだろうと、」
「もう、知りません、分かりましたわ。あなたとは一曲しか踊りません、わたくし今日はこれで失礼しますわ」
折角今日はいつもより話してくださって楽しかったのに、誘っていただいて嬉しかったのに。
あの人にとってわたくしはやっぱり、親に押し付けられた婚約者で、一緒にいるのも結婚するのも義務でしかないのだわ。
とうとう卒業パーティー当日。あの日からなんとなく顔を合わせづらくて避けていたから、グスタフに会うのは久しぶりになってしまいましたわ。
こんなことで大丈夫かしら、わたくしたち本当に結婚するんですわよね。だめよ、わたくしがしっかりしなくては。
ああ、髪型崩れてないかしら、あの人が大人びているからわたくしも合わせてシックな装いにしているけれど、すこし背伸びしすぎたような気がしてきましたわ。それに、いくら合わせてもあの人とは一曲しか踊らないんですもの、些細なことかしら。
「アンジェラ様」
「!あら、ごめんなさい、気がつきませんでしたわ、着いていたならおっしゃってくださいな」
どうしてこの男は礼装がこんなに似合うのかしら。いつもカッチリした服を着ているけれど、本当に様になっていて、見慣れているはずなのに胸が高鳴ってしまう、前髪を上げているのも素敵だわ、わたくしの好きなみどりいろがよく見える。
好き、好き?いえ、それは瞳が、それだけ。
「アンジェラ様」
「は、はい!」
呼びかけてきたのにまたじっと黙ってわたくしを見つめている。ど、な、なにかしら、何かおかしいのかしら。えっ、どうして今手を握ってきたの!!両手でわたくしの手を、ギュッと!!
「……アンジェラと呼んでも?」
「構いませんわ……」
握られた手が気になってそれどころじゃありませんわよ、どうしてくれるんです。
「では、入場しましょう」
前で握っていた手がすっとほどかれて、正しいエスコートの姿勢になった。あっ、ほどくんですのね、いや別にわたくしは構いませんけれど、もう少し握っていて欲しいとか、大きくてドキドキしたとかそんなこともありませんけれど。
一曲目が静かに始まった。そういえば、この人は踊れるのでしょうか。いつも鍛錬ばかりしていて、音楽や踊りに触れる機会なんてあったのかしら。
そんなことを少し思ったけれど、じきに全く無用の心配であったと気づきましたわ。完璧に踊れている、それどころかわたくしより余程余裕がありますわよ。なぜかしら、体を動かすことが得意だからかしら。
グスタフが上手だからわたくしもゆったりと身を預けることができて、一曲目のダンスはつつがなく終わった。終わってしまいましたわ。
終わってしまったら、もう離れなくては。
かなしい。どうして婚約者と連れ立ってきているのに、側にいてくれないのかしら。わたくしの交友関係って、なんですの。
ああだめよアンジェラ、今日はパーティーなのだから落ち込んではだめ、笑顔をつくるのよ。
「アンジェラ、少し外に出ませんか?」
な、なんですの急に、あっまた手を握るんだから、わたくしをどうしたいのかしら!
いつもの無表情で、わたくしを見つめている。
「はい……」
わたくしの顔はもう真っ赤になってしまったと思う。近い、近いですわよ、今日もうずっと近いです!
暗くなった中庭へ、手を引かれながら進んだ。会場の明かりと騒がしさが少し減って、ここはこの人みたいに静かな場所ね、なんて思った。
ベンチに並んで腰掛けるけれど、やっぱりグスタフは黙っている。もう、本当になんなのかしら。何を考えてますの。
「……すみませんアンジェラ、連れ出したりなんかしてしまって。ご友人と約束があったでしょう」
「約束なんてしていませんわ。あなたがわたくしとは一曲しか踊らないなんておっしゃるから、わたくしもう帰ろうかと思っていました」
口に出して初めて気がついたわ、そうか、わたくしったらこの人以外と踊りたくなかったのね。
「そうですか」
「ええ、そうですわよ」
なんだか腹が立ってきましたわ、どうしてこの男は私の気持ちを分かってくれないのかしら、わたくしたち結婚するんですのよ、理解してらっしゃる?
「今日のあなたはとても綺麗だ。いや、いつも綺麗ですが、すみません、私は言葉がまずいので難しいな」
「へぁ」
きれい?綺麗って言いましたの、いまあなたわたくしのこと綺麗って。
「本当は、こんな風に連れ出すつもりはありませんでした。あなたと踊りたい男なんて山ほどいますから。卒業すればもう結婚、ということになりますし、あなたも好いた男と思い出を作りたいでしょうと思って」
今日はずいぶんとおしゃべりね、たぶん出会ってから今までで一番話してますわ。そして何を言っているのかしらこの男は。でも低くて落ち着いていて、やっぱりあなたは声も素敵ね、普段からもっと話してくださればいいのに。
「でも、ホールで私を待っているあなたを見て、他の男と踊らせたりするもんか、と思ってしまいまして。すみません、勝手ですね。己の狭量が嫌になります。そんなに素敵なんだから、見せたい方もいるでしょう、少ししたら戻りましょうか。……今日は話しすぎました」
グスタフはちょっとだけ顔を顰めて、いつもの無表情に戻った。薄々感じてはいたけれど、この冷たい顔はデフォルトなのね、楽しくないとかつまんないとか、そんなことではないのよきっと。
それで、それで。
「あのね、ひとつ聞いてもいいかしら」
「なんでしょう」
「わ、わたくしのことお好きかしら?結婚、についてどう思ってらっしゃるの……?」
少し目を丸くしてわたくしをじっと見つめる。ああ、その表情は初めて見ましたわ。
聞いてみたけれど、実は返答は分かっていますの、先ほどからなんとなく。今までちっとも気がつきませんでしたわ、だって全くそんなそぶり見せないんですもの!
「愛していますよ、あなたとの結婚は私の人生で最大の幸運だと思っています」
「ほぁ……」
お、思っていたより強めの言葉が出てきて、今度はわたくしがなにも言えなくなってしまう。今まで、全然そんなこと言わなかったのに!喋ったと思ったらこんなの、ずるいわ、ずるい!
「私は上手く話せないし、一緒に居てもつまらないでしょう、よく言われるんです。きっとあなたを退屈させてしまう。だからせめてこの卒業パーティーぐらいは楽しんできてください。嫌かも知れませんが、卒業後は私と結婚しなくてはいけませんから、別の男と踊る最後の機会ですよ」
「踊りませんわ」
「……?」
「あなた以外とは踊りませんわ。つまらないなんて、そんなことありません。あなたの代わりにわたくしが沢山話しますもの。踊りたい別の男なんていません、わたくしが結婚するのもしたいのもあなたですのよ」
もう、どうしてまたそんな驚いたような顔をしてますの。
「だいたい、ひどいわ、婚約者がいるのに別々で過ごせなんて、上手くいっていないみたいじゃない。わたくし、怒ってますのよ」
「す、すみません……」
「許しません」
なんだか本当に腹が立って仕方がありません、わたくしを愛していると言ったくせに、わたくしとの結婚が嬉しいくせに、どうして別の男と踊らせようとするのかしら、あなた以外はいりませんわよ。
ツンと反対方向を向いていると、後ろからおろおろした空気を感じた。
ふん、もっと困ればよいのですわ、ああでも待って、困っている顔見たい……振り向こうかしら……
すっと目の前に手のひらが伸びてきて、そのまま頬を優しく包まれた。な、なんですの急に!
「アンジェラ、アンジー、機嫌を直してください。こっちを向いて、ほら」
「っ、ずるいですわ!あなたって人は、もう!」
本当にずるい、もう何も言えないじゃない。
「っふ、ははっ。すみません」
笑った……笑ってる顔がかわいい……
もうだめ、認めるしかありませんわね、わたくしはこの人を好き。
「仕方ありませんわね、会場に戻りましょう。でもわたくしはあなたとしか踊りませんわ、わたくしが疲れるまで付き合っていただきます」
「……本当に?気をつかわなくても、相手の男を殴ったりしませんが」
「くどいですわよ、好いている殿方なんてあなた以外いません、ほらエスコートしてくださる?」
手を差し出すと、またびっくりした顔をされる。今日何回その顔するんですの。
流れに乗って動きながら、目の前の男の顔を見上げる。わたくし、この人と結婚するんだわ。少し前まで不安だったのが嘘みたい。
きっと口数は少ないままでしょうし、うんとかええとかしか言わないかもしれないけれど、それでもきっと大丈夫ね。
楽しくなってニコッと笑いかけたら、いつもの無表情で見つめ返された。
ちょっと口角が上がっているような気がして、分かりにくい人ねと思う。
もうすぐ卒業パーティーは終わるし、わたくしたちの学生生活も終わるけれど、もう何があっても大丈夫よ、だってわたくしにはこの人がいるもの!




