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3. 真由美の記憶 後編

予期しない出来事は、忘れかけたときに起こるもの。

だから、真由美も「シュウギョウゴ ロビーデマツ タチバナマサト」とポケベルにメッセージが表示されたとき、どうして橘さんが自分の番号を知っているのかと驚いたが、しばらくして飲み会の日のことを思い出した。


終業後、真由美がロビーに行くと既に雅人が待っていた。

「すみません、お待たせしました。」

「大丈夫、僕も今来たところだよ。場所を移動して話そうか。」

雅人と話すことなどあっただろうかと美月は思ったが、断る理由もないため雅人の後に付いて行った。


雅人が案内したのは隠れ家風のお洒落なレストランだった。料理を食べながら他愛のない世間話や、社内での出来事を話す。雅人は終始、緊張しているようだった。

しかし、食後のコーヒーの段になっても、雅人から話を切り出す様子はない。真由美は思い切って切り出してみた。

「あの、橘さん、お話というのは―」

雅人は少し俯きながら話し始めた。

「自分で言うのも恥ずかしいけど、僕は昔から女性たちにアプローチされることが多かった。彼女たちは僕に気に入ってもらおうと(こび)を売ってきたけど、結局は僕の学歴や肩書きしか見てなくて、うんざりしてたんだ。でも、佐藤さんはこの前の飲み会で、僕のことを考えて自分のために買ったものをくれて、僕に気兼ねさせないように冗談まで言ってくれた。そんなことをしてくれた女性は初めてだった。あの時、君といると素の自分でいられると思ったんだ。」

雅人は一旦言葉を区切り、言った。

「佐藤さん、一目惚れしました。僕と付き合ってくれませんか。もちろん、佐藤さんに彼氏がいなければだけど。」

真由美は驚いて目をみはった。青天の霹靂(へきれき)とはまさにこのことだ。真由美には現在付き合っている男性はいない。単純に考えれば、雅人と恋人になれるなんて信じられないような幸運だ。しかし、全社員の憧れと言っても過言ではない雅人から告白されて、普通にしていろというのは無理な話だろう。

「返事はすぐにじゃなくていい。一週間後に聞かせてくれないかな。」

そう言って、雅人はさりげなく伝票を手にして店を後にした。


それから一週間、真由美は悩みに悩んだ。仕事で普段ならしないようなケアレスミスをして、上司や先輩に体調が悪いのか心配されたほどだ。雅人は自分をからかっているのではないか。そう思う時もあったが、自分の目を見て告白してくれたときの雅人の真剣な眼差しは嘘とは思えなかった。何より、雅人の誠実な人柄は飲み会やレストランでの件で身を持って体験していた。真由美は承諾の返事をしようと心を決めた。


一週間後、同じレストランで再び2人は向かい合った。

「佐藤さん、さっそくだけど返事を聞かせてくれないかな。」

先週とは打って変わって、待ちきれないと言って様子で雅人が切り出した。

「はい。雅人さん、彼女にしてください。よろしくお願いします。」

真由美がそういうと、雅人は心からの笑顔を見せた。


それから、交際を始めて2年の歳月が過ぎ、2人は「雅人」「真由美」と呼び合うまでに仲を深めていった。週末にショッピングをしたり映画鑑賞をした後、初めて行ったレストランで食事をするのがルーティンだった。


ある週末、2人はいつものようにデートをしていた。待ち合わせ場所に来た雅人は何か伝えたいことがある様子だった。この頃になると、真由美は自分から切り出さない限り雅人は話さないと分かっていたので、食事の時に切り出してみた。

「雅人、何か話したいことがあるんじゃないの?」

雅人は苦笑して真由美に隠し事はできないなとつぶやいた後、真剣な表情になった。

「実は、ドイツ赴任の内示が出たんだ。正式な発表はまだだけど、ほぼ確定だと言っていい。期間は分からないけど、年単位になる予定だ。」

そう言って、雅人は小さな箱を取り出して開けた。

「一緒に付いてきて僕を支えてくれないかな。僕と結婚してほしい。」

真由美は言葉を失った。もちろんプロポーズは嬉しい。雅人と一緒にドイツに行きたい。でも、現実はどうだろうか。雅人はともかく、真由美はドイツ語はおろか、英語すら読めないし話せない。買い物1つにしても雅人のサポートが必要になる。雅人を支えるどころか、支えてもらう立場になるのは火を見るより明らかだった。しかも、雅人はこれまで以上に多忙な生活になるだろう。雅人の負担になりたくない。そう思った真由美は、混乱した頭を必死に回転させながら言葉を発した。

「雅人、実は私も話があるの。他に好きな人ができた。だから雅人のプロポーズは受けられない。本当にごめんなさい。今までありがとう。」

そう一息に話すと、真由美は足早に店を出た。


帰宅してから、真由美は一晩中泣き明かした。そして翌日、雅人への思いを断ち切るために退職届を出した。上司は急な申し出に驚き、何か会社で嫌な目に合ったのか、力になれることがあったら言って欲しいと心配してくれた。上司の優しさに真由美はうしろめたさを感じながらも、一身上の都合だと貫き通すしかなかった。


退職してしばらくしてから、真由美はたびたび急な吐き気を感じるようになった。そういえば、最近生理が来ていない。恐る恐る妊娠検査薬を試すと、陽性だった。真由美に迷いはなかった。雅人との子供を下すなんて選択肢はない。母が自分を育ててくれたように、寂しい思いをさせてしまうかもしれないかもしれないけれど、何としてもお腹の子を育てて見せると、真由美はシングルマザーになる決意をした。

次回は現代に戻ります。

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