1. 母からの手紙
それからのことを美月はあまり覚えていない。各方面への連絡や手続き、葬儀の準備など、悲しむ暇もないほどやることは山積みだった。気が付いたときには、喪主として真由美の葬儀を行い、参列者に頭を下げていた。
真由美の職場に生前のお礼と荷物の引き取りに行ったとき、同僚が「真由美さん、最近手足が痺れるって言っていたから心配してたのよ。まさかこんなことになるなんて…」と話しているのを聞き、同居していたのに母の不調に気付けないとは、何て親不孝者なんだろうと、美月は自分を呪わずにはいられなかった。
美月が家に帰って遺品を整理していると、1通の封筒を見つけた。封筒には、手紙と、若い頃の真由美と見知らぬ男性が仲睦まじく笑い合っている写真が入っていた。男性の輪郭や口元は、はっとするほど美月に似ていた。美月は心臓が激しく鼓動するのを感じながら、手紙を開いた。手紙は見慣れた真由美の字で書かれており、その内容は、写真を見ていた美月にとってある程度予想通りのものだった。
『美月へ
いつか直接伝えようと思いますが、私にもしものことがあった時のために手紙を書きます。
写真の男性は橘雅人さんといいます。あなたのお父さんです。
お母さんは高校を卒業した後、海外にも支店があるような大きな製薬会社に就職したことは美月にも話したことがあると思います。雅人さんはその会社で、花形の営業部のエースでした。誰にでも分け隔てなく優しい雅人さんには、たくさんの女性社員がアプローチしていました。でも、飲み会で助けてもらったことがきっかけで、雅人さんと私はお付き合いすることになりました。雅人さんが、君といると素の自分でいられると言って、私を選んでくれたときは、一生分の幸運を使ったと思った。
でも、お付き合いを始めて2年くらい経ったときに、雅人さんにドイツ赴任の辞令が出ました。雅人さんは一緒にドイツに来て欲しい、結婚しようってプロポーズしてくれた。本当に嬉しかった。でも、私はドイツ語はおろか英語すら話せない。知らない土地で仕事なんて、ただでさえ大変なのに、これ以上雅人さんの負担になりたくありませんでした。だから、他に好きな人が出来たと嘘をついて雅人さんと別れました。雅人さんへの思いを断ち切るために、仕事も辞めました。
それからすぐに、美月がお腹にいることが分かりました。雅人さんとの子を下ろすなんて考えられなかった。私はシングルマザーになる決意をしました。
付き合っていた頃の雅人さんの住所を書いておきます。今もそこに住んでいるか分からないけれど、美月がお父さんに会いたいと思うなら訪ねてみてください。』
手紙を読み終わった美月は、一気に息を吐き出した。生まれてから一度も会ったことのない父がどんな人か、興味がない訳がない。しかし、手紙によると雅人は美月の存在を知らない。今更会いに行ったところで雅人を戸惑わせるだけかもしれないし、手紙にも書いてある通り、20年以上経った今も同じ住所に住んでいる可能性は低い。
それでも、2人は結婚まで考えるような深い仲だった。雅人にドイツ赴任の辞令が下らなければ、順調に交際を続け、結婚していただろう。真由美の娘として、雅人に真由美の死を伝えるべきだと思った美月は、ダメ元で雅人に会いに行くことにした。
次回は雅人と真由美の過去を書きます。