第8話 真実は時に人を傷つける
「あれ…?ここはどこだろ」
ぼんやりとした様子であたりを見渡し、暗闇の中にディーやクロ、ヒューの姿を確認した彩香は、首をかしげる。
「ここはどこにも所属しない世界のはざま、地の果てだ」
「地の果て…。あははは、酔っぱらい過ぎちゃったかな~」
「そうだ。あなたは酔っぱらった挙句、マンホールの穴に落ちて死んでしまった」
「えっ?なにそれ、うける」
体もないのに、まだ酒に酔ったような彩香の口調にクロが呆れて言った。
「このおばさん、ちょっとめんどくさいにゃ」
つぶやきは小さい声だったが、彩香の耳にはばっちり聞こえていた。
「ちょっと、おばさんってもしかして私のこと言ってるの?!そこのチビか?くっそムカつく」
「おばさんにおばさんと言ってはいけにゃいにゃ?」
「真実は時に人を傷つけることもあるのだ」
「なんですって!?失礼な人たちね。だいたい、あんたたち、何者なのよ」
「我々は転生屋だ。あなたは不幸指数が高く、かつ善人指数が高いため、異世界転生の権利がある。転生を希望するか?」
「はぁ?転生?あははは、冗談でしょ」
彩香はケラケラと笑い出した。クロはフードの下で耳をペタンと閉じ、不快感になんとか耐えた。
「このおばさん、本当に善人指数が高いにゃ?」
「うーん、資料によるとそういうことになっているのだが。…それで、どうする?異世界転生を希望するか?」
「え、ちょま、これ本当なの?」
「本当だ」
彩香は急に能面のような表情になると、うつむいてぶつくさとなにか文句を言い出した。
「最後の最後まで何よ、私の人生って。マンホールに落ちて死んだ?ありえない。こんなくそみたいな世界、ぶっこわれちまえ」
ここで聞き捨てならぬとヒューが口を出した。
「お待ちなさい、いま、くそみたいな世界と言いましたか?」
「なによ、あんた。言ったわよ!くそみたいな世界だって。みたいって言うか、くそだわ。くそ!」
「なんということだ…。お前のいた世界は、どこよりも文明が発展していて素晴らしい世界だったはずです。なぜ世界に感謝しないのですか」
「はぁ?あんた頭おかしいの?文明が発展してるからってなによ。住んでいるのは心をなくした悪魔みたいな人間ばかり、人工知能に使われて、毎日くたくたになるまで働かされて、稼げる金はこれっぽっち。未来に希望もない、むしろ不安しかない。こんな世界のどこが素晴らしいのよ」
「未来に希望がない…?むしろ不安?」
「そりゃそうでしょ、この年まで独身の私なんか、どんなに優秀で仕事ができたって、女ってだけで正当に評価されなくて、行き遅れって馬鹿にされるだけし。どうせおひとりさまの老後を迎えて、誰にも介護されず、年金だって破綻してお金なんかもらえないし、なーんの期待も希望も持てないわ」
生前の不満をここぞとばかりに吐き出し彩香はすっきり、一方ご自慢の世界をけなされたヒューは燃え尽きて灰になったようだ。
ディーは軽くため息をついて間に入った。
「それは世界の問題ではない。あなたの国の政治の問題だ。ちなみに転生先の世界ではあなたはある国の王妃となる。そこではあなたの人並外れた知性が役に立つことだろう。子宝にも恵まれ、あなたは幸せな一生を送るだろう」
「王妃?!」
彩香は唖然としてディーの顔を見た。
「私が、王妃?子宝にも恵まれて…?じゃあ、老後もなんの心配ない?」
「そうだ」
「やったー!頑張ったご褒美だー!します、転生!おねがいしまーす」
「希望を確認。クロ、世界をつなげてくれ」
「了解にゃ」
クロは機械をセッティングし、キーボードを叩き出した。
「ねえ、あの人、何者なの?」
彩香はヒューを指して聞いた。
「あの方は、おそらくあなたの世界の神だ」
「ええ~!神様だったの?私、ひどいこと言っちゃったわ」
「いいのではないか?」
「でも落ち込んじゃってるし」
「では、声をかけてやったらどうだ」
「うーん、そうね。・・・あの、神様?」
ヒューは座り込んでいじけていたが、彩香に呼ばれてちらりと視線だけ寄越した。
「なんだ」
「言い過ぎちゃってごめんなさい。くそって言いたくなるくらい嫌なことがいっぱいあったのよ。でも、すばらしいことも少しはあったわ。全部が全部、悲しいことだったわけじゃないのよ。だから、ごめんね」
「…本当ですか?」
「ええ、本当よ。でも、神様なんてどうせいないと思ってたけど、いたんだねー」
「私は存在感がないのですか…?」
「準備完了にゃ」
クロが最後のエンターキーを音を立てて叩くと、空間に魔法陣が浮かび上がった。
「さあ、その魔法陣に乗って」
「わかったわ。じゃあね、神さま。少しはマシな世界を作んなよ~」
彩香はすたすたと迷いなく、魔法陣に乗り手を振った。ぱぁっと明るい白い光が広がって、次の瞬間には彩香の姿は消えていた。
三人は天界に戻り、ラダの執務室へ向かった。
「戻りましたにゃ」
「転生完了を確認しました」
「ご苦労様。おやおや、ヒューはすっかり落ち込んでいるようですね」
「そうにゃのよ。じめじめしていやにゃのよ」
「クロ、しっ」
ディーに注意されて、クロは小さく首をすくめて黙った。
「ヒュー、あなたの世界が転出率ナンバーワンである理由はつかめましたか」
「私の世界はくそだと言われました。人間の心が失われ、未来に希望も持てない、くその世界だと」
「それは残念でしたね」
ヒューは美しい瞳から宝石のような涙を流した。その姿は芸術品のようであった。またクロが目を覆ってまぶしがっている。
「私は慢心していました。高度な文明を築いた民たちを誇りに思っていたのです。見る見るうちに文明が発展し、もうそれで素晴らしい世界と思い、私は世界を放置してしまいました。民が神の存在を疑うほどに。そうするうちに民の心はすさみ、世界から優しさや思いやりが失われてしまったのでしょう」
ラダは困ったように優しくほほ笑んだ。
「そうとわかれば、これから変えていくこともできるでしょう。あなたの手に数多の人々の運命が握られているのです。よき世界にしていくよう、努めていきなさい」
「ええ、マシな世界にしてみせますよ」
ディーとクロはラダから報酬の星のかけらをもらい、ヒューと別れを告げた。
「あの人もまぶしかったにゃ」
「ああ、神様だからな」
「にゃ?!神様だったのにゃ?」
「ああ。ヒューぺリオン様だろ。あんなに光り輝くほど美しいのは、たいてい神様だ」
「次は直視しにゃいのよ」
「もう会うこともないんじゃないか。世界の改革に取り組むみたいだったし」
「そうにゃのね」
こうしてまた一つ、任務を終えたのだった。