第3話 それは幸福な世界かもしれない
ディーとクロは、陽が沈むころ、ラダの執務室に再び行き、今夜の転生に関する資料を受け取った。
ジョセフィーヌ・ド・テレンス(15歳)、エピメーテウス世界のとある国の王女である。わずか15歳で転生条件をクリアするほどの不幸指数を持つとは、気の毒な王女である。王と身分の低い側妃との間に生まれたジョセフィーヌは、正妃に命を狙われている。母が巧みに守り育ててきたが、その母が亡くなってしまった。もちろん正妃による暗殺だ。守りを失った王女は、正妃が仕掛けた罠におちいり、もうじき辺境の魔物の谷へとその身を突き落とされようとしている。
「魔物の谷へ落とされ、魔物に襲われるのでしょうか」
ディーが質問すると、ラダは静かに首を横に振った。
「打ち所が悪く、落ちてすぐに命を落とします。魔物に襲われる恐怖を感じなくて済むのは良かったかもしれません」
「わかりました。では、落ちたらすぐに魂を回収します」
「ええ、よろしくお願いします」
「では、行って参ります」
二人は一礼して現場へと出発した。
ジョセフィーヌ・ド・テレンスは幽閉されている離宮から縄で縛られて引き摺られて出て来た。荷車に押し込められ、ガタガタと暗い夜道を運ばれていく。その先には切り立った崖があり、崖からは這い上がって来る魔物の姿がある。
ジョセフィーヌを連行してきた兵たちは、目の前に這い上がって来た魔物を切り捨てると、ジョセフィーヌを崖の端に引っ張り出した。
その様子をディーはぷかぷかと宙に浮いて観察する。いつものように、通信でつながったクロは地の果てで待機だ。
ジョセフィーヌの心の嘆きが、ディーに届いてくる。
(ああ、わたくしは死ぬのね…。母の無念も、自分の冤罪も晴らせず、こんな所で…。神様、助け…て…)
彼女は母の敵を討つために、まだ死にたくないと思っているのだった。しかし、それは叶わない。
屈強な兵士がジョセフィーヌをどん、と背中を押して深い谷に突き落とした。ジョセフィーヌは声もなく闇の中に消えて行った。
ディーはすいーッと谷の底まで降りて行った。谷の底にジョセフィーヌが倒れている。
ジョセフィーヌの魂が天に昇り始めたその時、ディーは魔物よりも早く大きな鎌を振るって、いや、鎌のような網を振るって、ジョセフィーヌの魂をすくいあげた。
「こちらディー。捕獲完了。引き上げてくれ」
「了解にゃ」
ディーの姿が暗闇の中に引き込まれ消えて行った。
地の果てに姿を現すと、ほとんど時を待たずにジョセフィーヌの魂が意識を取り戻した。
「ギャ――、死んでしまいますわぁ―――」
途端に叫び声を上げる。先ほど谷に落とされたときは猿ぐつわをかまされていたので声もなく落下していったが、その時と記憶がつながっての叫びであった。
「大丈夫だ。もう死んでいる」
「へっ?」
ジョセフィーヌは我を取り戻して、キョロキョロと辺りを見回した。
真っ暗なようで、目の前にいる黒づくめの男たちは見えるのが不思議だ。
「ど、どういうことですの?!」
「君は先ほど兵士に突き飛ばされて魔物の谷に落ちた。その時に残念ながら死んでしまった」
「でもわたくし、生きていますわ!」
「いや、死んでいる。ここは世界のはざま。どこにも所属しない地の果てだ。君は不幸指数が高くかつ善人指数が高いという条件を満たしているので、異世界転生の権利がある。異世界転生を希望するか?」
ジョセフィーヌは王女らしからぬ変な顔をして、ディーを見上げた。その顔はフードに隠れて口元しか見えない。
「転生、とおっしゃったのかしら?異世界へ転生と?」
「そうだ」
「どういうことだかさっぱりわかりませんわ」
「君は死んでしまったから、黄泉へ行って幾千年もの試練を受けるか、異世界で生まれ変わるかのどちらかを選んで欲しい。君はとても善人なので、できれば転生を選んで幸せになって欲しいと、神が言っている」
「神様が…!ありがとうございます!やはり神は私を見捨てなかった!ですが、私は母の無念を晴らすために、異世界ではなく、もう一度、わたくしのいた世界に生まれたいのです。そのようにしてはくださいませんか」
「…それは俺たちに決められない。クロ、ラダ様に問い合わせてくれ」
「はいにゃ!」
クロは外套の中から機械を取り出しセッティングすると、キーボードを叩いてラダとの通信を始めた。
「ちなみにだが、君に用意されていたのはテュケー世界の大商人の娘としての人生だ」
「商人の娘ですって?わたくしが平民に…?」
「大商人だ。テュケー世界では富こそ力で、王も王家もない、全人類が平等な存在なんだ。だから大商人の娘というのは、かなり恵まれたよい生まれと言える」
「そんな世界があるのね…。王も王家もないなんて…。王族などにならなければ、母もわたくしももっと穏やかな人生を送れたのかもしれないわ。身分なんて、ないのならそれは幸福な世界かもしれないわね」
15歳とは思えない大人びた表情でジョセフィーヌは言った。
「それなら、予定通りテュケー世界へ転生するか?」
「そうは言っていませんわ。わたくしはどうしても母の敵を討ちたい。何の力も持たないわたくしに何ができるかはわかりませんけれども、母のためにも、わたくし自身のためにも、あがいてみせますわ!」
グッと力をこめて両手のこぶしを握る。彼女自身から光が発しているようで、ディーは目を細めて見た。