ケーキの黎明
狸ケーキというケーキがあった。今はあるところが少ないが昭和を代表するケーキだった。
あのデザインはおそらく和菓子職人のセンスだと思われる。
丸く型抜いたスポンジの上にまるで雪だるまの頭部のように丸く生クリームを載せ、そこにチョコレートをたっぷりとかけ、指先の熱でチョコを溶かしながら狸の鼻筋を作り上げる、そして甘い信楽焼の狸を完成させるのだ。
おそらく洋菓子という概念が入ったとき、その担い手になったのはおそらく和菓子職人なのだったのではないだろうか。
洋食の黎明期もやはり日本料理人がまず足を踏み出してみたのではないと思われる。
当時は最初から西洋料理や西洋菓子に初心者が踏み込んだわけがないと思われるからだ。
新たに入ってきたクリームやバターなどの新たな食材をあるいは新しい可能性にかけたのかもしれない。
森村桂というエッセイストが幼いころタルトと呼ばれるお菓子の話を書いていた。
それはカステラをジャムで巻いてさらにそれをパイ生地でくるんだものだ。
それが普通のタルトだと思っていた森村桂はフランスのタルトを見て、あまりの違いに驚いた。
西洋の本の中のタルトもカステラを巻いたものだと思っていたらしいが。彼女が渡仏した際に見たタルトは皿状の生地にアーモンドとジャムを詰めて焼いたものだった。
おそらくその菓子職人さんはタルトを想像で作ったのだろうと森村桂はそう書いていたが私は違うと思う。
その菓子職人は愛媛県民だったのだ。
愛媛銘菓たると、カステラの中にあんこをロールケーキ状に巻いた和菓子だ。
愛媛出身の菓子職人はロールケーキをタルトだと思い込んでいたのではないかというのが私の仮説だった。
そして和菓子の技法にこなしという生地をざるで加工して細長いそれを草などに見立てるやり方がある、
そして、それを踏まえたうえでモンブランを見てみよう。
あのうにょうにょは明らかに絞り袋に網を使って作ったのだろうか。
フランス産のモンブランではあるが昔旅行記などで読んだそれはマッシュした栗に生クリームをかけて、雪山に見立てたのだろうと思われる。
あれはスポンジケーキに栗きんとんをトッピングしたものだと思われる。
つまり日本の洋菓子は西洋菓子とのキメラだったと思われる。
しかし、最近は情報が充実してきた結果、本格的な西洋菓子が入ってきた、本格的なフランス菓子も普通に買えるようになったはずだ。
ある日グレーテルの竈を見ていたら、ココ・シャネルのモンブランだった。
それはかつて聞いていたマッシュマロンのクリーム掛けではなく日本でいう和栗のモンブランでした。
フランスのカフェでそれが供されていました。
でもシャネルのモンブランは絶対これじゃなかったと思う。