そして儀式が始まる
サラとエンゾが永遠の愛を誓い、ふたたび月が地表を照らしはじめた時、アカルディ王国のロレンツォ王は城の庭園で輝く銀髪に月光を浴びていた。焦点の定まらない目で、かつて毒蛇に噛まれた右手の傷跡を見つめている。たくさんの花が王を誘うように甘い香りを漂わせているが、思い詰めた表情で立ち尽くしている王は芳しい香気に気づくようすもない。
「拙はこのまま年老いてゆくだけだ……。愛しいベッラに会うことも少なくなる……。プランタジネット王さえいなければ、ベッラは拙と結ばれるのに……!」
苦悶の表情でつぶやきながら、王はフラフラと歩き出す。庭園を抜けて敷地の隅にある温室のドアを開けると、月光が差し込んだ場所から暗がりへ音もなく蛇たちが移動するのが見えた。王の足元をすり抜けて外へ出ようとした一匹を素手で捕らえる。「キキキキキ!」耳ざわりな音を響かせながら毒牙を剥く蛇を見ながら、王は歪んだ笑顔でつぶやいた。
「プランタジネット王がこの蛇を喜んでくれるといいが……」
結婚の儀は、いよいよ当日を迎えた。
プランタジネットの王族たちは日の出前の儀式に列席するため、前日からユーピテル山の頂上近くにある王族専用のマナーハウスに滞在していた。夜明け前の真っ暗な闇の中、木立の間に館の明かるい光が見える。レティシア王女の控室では、あたたかな蝋燭の光の中で数十人の女たちが喜ばしい表情をして気ぜわしく右往左往する中、新婦であるレティシア王女は口元に小さな笑みを浮かべ静かに腰を下ろしている。輝く黒い瞳と髪、透き通るような白い肌とウエディングドレスが互いの美しさを引き立て合って、まるで一幅の絵画のようだ。暗闇の中から光り輝くように浮かび上がる花嫁は、レースが幾重にも重なる雪のように真っ白な絹のドレスを身にまとい、絨毯の上で長く延びた裾のトレーンは、流れる川を思わせる優美な曲線を描いている。
霞のように繊細な白ドレスを身に付けたマユがおずおずと部屋へ入ってきた。白絹の手袋をはめたその手には、拳ほどもある聖石のダイヤモンドを据えた王錫を持っている。マユの後ろには同じく絹の白手袋をはめピンク色のドレスを着たレティシア王女付きの侍女たち五人が、暁の霧のように薄くて繊細な長いベールを誇らしげに捧げ持っている。一番後ろには緊張した面持ちのサラが髪や瞳と同じ明るいオレンジ色のドレスを着て、黄金の宝石箱を落とさないようしっかり持って続いた。純潔の白を身にまとい愛する人と結ばれる喜びで真珠のように内側から輝くレティシア王女を見ると、一同はその美しさに息を呑んだ。マユは感に堪えないといった顔でレティシアを見つめていたが、やっと言葉を絞り出した。
「レティシアさん……いえ、レティシア王女様、すごく……すごくお綺麗です……!」
王女は優雅に立ち上がると一同へこぼれるような笑みを見せた。
「マユも、みんなもすごく綺麗! これでは誰が花嫁かわかりませんわ」
「そんなことありません! 誰がどう見てもレティシアさんが花嫁です!」
マユの言葉に激しく同意してうなずく一同。それを見た王女は恥ずかしげな表情になる。
「わたくし、きちんとして見えるかしら? 愛するアンドレアに綺麗だと思ってもらえるかしら?」
一同は首がもげそうな勢いでヘドバンする。
「もちろんですよ!」
「お綺麗ですわ!」
「美しすぎて涙が出そうです!」
「アンドレア様も惚れ直しますわ!」
レティシアは頬を染めて深々と頭を下げた。
「マユ、みんな……ありがとう……!」
マユがあわてて持っている王錫を振り回す。
「わあぁ! どうぞお顔を上げてください! そそそ、そうだ! もうすぐ王様がティアラをセットするためお見えになります! その前にベールを付けておかないと! そしてこれ、王錫です!」
マユがレティシアへ王錫を渡すと、部屋を右往左往していた部屋中の女たちがさあっと二手に別れて左右の壁際へ立ち並んだ。ベールを捧げ持った王女付きの五人の侍女たちは、両手を高くかかげたまま王女の横に立つ第一侍女を起点にして、ベールを伸ばしてゆく。ベールの長さは10mもあるので、一番後ろの裾を持っている第五侍女は遥か遠くだ。
マユが遠く離れた第五侍女に声をかける。
「エルザさん! 準備はいいですか!?」
緑色の髪と瞳の侍女は無言で深く頷いた。
「それでは皆さん、お願いします!」
マユの号令とともに壁際にいた数十人の女たちが絹の白手袋をはめた手でベールを捧げ持った。同時に五人の侍女はそっと手を離し、王女の元へ急ぐ。女たちが細心の注意を払って繊細なベールを広げている間に、五人の侍女たちはプラチナ製のピンで王女の豊かな黒髪にベールを固定した。
聖石が輝く王錫を持ち、純白のドレスを纏った高貴な王女は後光が射して見えた。その後ろには霞がたなびくように長いながいベールが伸びている。
あまりの神々しさに誰もが無言で見とれていると、扉が開いてプランタジネット王が入ってきた。一同は王を見ると、一斉に膝を追ってお辞儀をした。王はマユを見ると感嘆の声をあげた。
「マユ! なんて美しいのだ! まるで花嫁のようだ! 今すぐ私の妻になるがいい! 今日はレティシアの式だけでなく、我々の式も挙げよう!」
「いろいろ無理です! そんな事はいいですから、レティシアさんをご覧になってください!」
「レティシアはマユより美しくなれたのか? それは無理だろう! 花嫁より美しいとはマユも罪作りだな!」
「いいからご覧になってください!」
王は笑いながら部屋の中央へと進み、レティシアの背後から回り込み王女と対面した。そして王はレティシア王女を見るなり緑色の瞳を見開いて両手で顔を覆うと、銀髪を揺らしながら膝から崩れ落ちた!
「王様っっ!? どうなさいました!?」
マユが声をあげると、その場にいた全員がはじかれたように王の元へ駆け寄った。
「うううぅ……」
「ご気分がわるいのですか!?」
「うううぅ……」
「すぐにお医者さまを呼びますから!」




