二人を月が見ていた
悄然たる面持ちでマユが部屋へ帰るとサラがソファに突っ伏して泣いていた。
「サラ!? どうしたの!?」
「うわぁ~ん!」
サラは立ち上がるとぶつかる勢いでマユに抱きついた。よしよしと頭を撫でながらソファへ座らせ、マユも隣に座る。サラのオレンジ色の瞳から、涙がポロポロとこぼれる。
「サラ、いったいどうしたの?」
「うわぁ~ん! エンゾが……!」
「彼氏さんがどうしたの?」
「浮気してるかも……グスッ!」
「エンゾさんが浮気!? またどうして!?」
「モリーが……」
「モリーさんて前にサラと同じ部屋だった侍女さんだよね?」
「うん。モリーが見たって……」
「なにを?」
「昨日の夜、エンゾとエルザが夜中に二人で会ってたって」
「えっ!?」
「コソコソしたようすで二人で図書館に入っていったって」
「また図書館か……」
天を仰ぐマユ。
サラの涙は止まらない。
「モリーは二人が付き合ってるって言うんだ。すごく親密な感じだったって……(涙)。 エルザは美人だし、あたしなんかエンゾにもったいないと思ってたんだ……」
「あたし『なんか』なんて言わないで……」
「だって二人は美男美女でお似合いだよ! 二人ともきれいな緑色の髪と目の色してるし、二人から生まれた赤ちゃんはとびきり可愛くなるよ!」
「そんなに先走らないで……」
「うわぁ~ん! エンゾにふられたらどうしたらいい!? 悲しくてやりきれないよ!」
泣きじゃくるサラを見ているマユの目に涙が浮かんでくる。
「私だって泣きたいわよ……。うわぁ~ん!」
「え!? マユどうした!? 泣かないで!」
「うわぁ~ん! 元の世界に帰りたいよぅ~!」
「そんな淋しいこと言わないでよ! あたしがいるじゃない…………うわぁ~ん!」
二人は抱き合って身も世もなく大泣きするのであった。
数日後。
明るい月明りの下、サラはしょんぼりした顔で薔薇園のベンチに座っていた。そよそよと吹く風に運ばれて、思いおもいに咲いた美しい薔薇の甘い香りがただよってくる。薔薇の妖精たちは悲しそうなサラの肩にちょこんと座って、心配そうに顔を見上げている。可愛らしいピンクローズが巻き付いたアーチ超しに悲しい顔で丸い月を見上げていると密やかな足音がした。
「サラ、お待たせ!」
庭師のエンゾは急いで走ってきたらしい。けれども息は乱れることなく、しなやかな動きでサラの隣へ腰をおろす。薔薇の妖精たちはぱっと飛び上がると、どこかへ飛んで行ってしまった。エンゾが起こした小さな風は、緑色の目や髪の毛と同じように新緑を思わせる香りがする。笑顔のエンゾと裏腹に、泣きそうな顔のサラは手に持っていた小さな貝殻をエンゾに押し付けた。
「これ、お母さまが作ったキズの薬。エンゾにあげる」
「いつも塗ってくれる薬かい? 今夜もサラが塗っておくれよ。また薔薇の手入れで指を怪我したんだ」
「自分で塗って。あたし、もう行かなきゃ」
立ち上がってその場を離れようとしたサラの手をエンゾが素早くつかむ。
「サラ、どうしたの? なにかあったのかい?」
「……どうぞエルザとお幸せにね! さよなら!」
サラは手を振り払おうとしたが力強い腕につかまれて動けない。
「放してよ!」
エンゾは答えずサラを逞しい腕で引き寄せると、自分の隣に座らせオレンジ色の瞳をのぞきこんだ。
「サラが不機嫌な理由と、エルザが関係あるのかい?」
「知ってるくせに!」
「ちゃんと言ってくれないとわからないよ。教えて? なにがあったの?」
「……エンゾとエルザが夜中に会ってるのを見た人がいるの……」
「そうか……」
エンゾが否定してくれるかもしれないと望みを抱いていたサラは、彼が否定しないのを見て泣き出した。
「だからあたしはジャマなんだ!」
「邪魔なんかじゃない! 僕はサラが好きだ!」
エンゾがサラを抱きしめる。初めて男性に抱きしめられたサラの目から涙が引っ込んだ。自分の胸が鼓動を打つのがわかる。そして同じ速さでエンゾの胸が鼓動するのを感じた。
「ほ……ほんとに?」
間髪入れずにエンゾは断言する。
「僕の恋人はサラだけだ! 他の女性なんて目に入らない!」
「じゃあエルザは?」
「……今は言えない。でもエルザと後ろ暗いことは何もないんだ! それは信じてほしい! いつかきっとサラに話すから!」
「だけど……」
言いよどむサラの気配を察したエンゾは、抱きしめていた腕をほどくと彼女の両手を握りしめた。
「サラ、僕と結婚してほしい!」
「けけけ、けっこんっ!?」
「もちろん今すぐとは言わない。サラが大人になったら、僕の妻になってほしい。イエスと言ってくれる? どうぞイエスと言っておくれ!」
「あああ、あんまり急な話で……!」
「じゃあ、しばらく考えてくれる? それまで僕から離れないって約束してくれる?」
「……はい」
エンゾの瞳が喜びに輝く!
「いつかきっとサラには本当のことを話すから! 僕を信じて!」
「……はい」
エンゾが傷だらけの両手を差し出す。
「いつもみたいにサラが薬を塗ってくれる?」
サラは貝殻を開けると薬指の先に軟膏をつけて、優しくエンゾの指に塗りはじめた。彼は満足そうに吐息をつく。
「痛くない?」サラが心配そうに尋ねるとエンゾは緑色の髪を揺らして笑った。
「サラさえいれば痛くないし、辛くないんだ。ねえ、サラの家族の話をしてよ?」
サラは思わず笑う。
「また!? なんにもおもしろいことなんてないのに!ww」
「だって僕は家族の愛情をほとんど知らないから。サラの話を聞いていると、自分に家族ができたような気分になるんだ。……そしていつか、みんなと本当の家族になりたい!」
「えへへ♪ エンゾがうちに来たら、みんなきっと喜ぶよ! お父さまは自慢のジャガイモ畑を案内するだろうし、お母さまはエンゾが食べられないくらいたくさんの料理を出すよ! お兄さまたちは一緒に狩りや魚釣りに行こうって誘うし、お姉さまたちは歌やピアノで歓迎してくれるよ!」
「僕が……僕がみんなの家族になったら? ……サラの夫になることができたら歓迎してくれる?」
サラの顔が赤くなる。
「……みんなきっと喜ぶよ」
「サラは? サラは喜んでくれる?」
「……うん」
「サラ……。僕の妻になってくれる? 君が大人になったら、僕の大事な家族になってくれる? 僕は……僕はずっと家族が欲しかったんだ……!」
「…………はい」
エンゾは壊れものを触るかのように、そっとサラを抱き寄せた。
「大事にするって約束するよ。僕の愛しいサラ……」
二人の顔が近づいた時、明るい月は雲に覆われて辺りは真っ暗になった。




