アレックスの災難、マユの受難
ハリーは物思いにふけりながらジョッキを口に当てる。
「なんせマユ嬢がお相手というのは間違いないのだから、誰と結婚しても彼女が絶大な権力を手に入れるのは自明の理。そうなるとあからさまにマユ嬢を悪く言っている者は口をつぐむだろうな。彼女に関する怪しい噂も下火になるはずだ」
チャーリーはカクテルを一口飲んで、旧友を正面から見据えた。
「ハリー……、お前も風向きに気を付けないと火の粉が飛んでくるぞ?」
「わかっておる。ワシだって毒入りケーキを食べさせられるのはごめんだ! せいぜいマユ嬢ににらまれんようにするよ!」
太った身体でヨタヨタ歩き出すハリーの後ろ姿を見ながら、チャーリーとバーサは小声で言い合う。
「ハリーはマユ様が王族と結婚するとカン違いしてしまったわ。これで良かったの? チャーリー」
「あいつが勝手に誤解しただけだ。私は何も言っていない。それにカール伯爵とコリンナ公爵令嬢の結婚は、公式に発表されるまで誰にも知られたくない」
「ハリーに知られれば、あっという間に間違ったウワサが広がるでしょうね……」
「ハリーが間違った噂を流布すれば、マユ様のお立場は今よりマシになるだろう」
「そうね。宴の準備で評判が回復したとはいえ、まだまだお気の毒ですものね……。そばで見ていて、とってもおかわいそうですもの……」
おしゃべりハリーの動きは早かった。マユが王族と婚約するというウワサは、ハリーのおかげで野火が広がるより早く城内に広まった。おかげでマユを敵に回すのは得策でないと、彼女の評判はうなぎ上りになり当の本人は戸惑っていたが、元からマユに好意を抱いていた者も多くいたので、彼女の不安は少しずつ払拭されていった。そしてその結果マユは時の人となり、あちこちで引っ張りだこになった。
貴族たちのお茶会やパーティー、各種の会議、豪華なウェディングドレスや儀式の礼服を作る縫製工房、アンドレア王子に贈るダイヤモンドの王錫や数多くの宝飾品を作る工房に厨房などだけでなく、大臣たちの執務室や修理中の礼拝堂、近衛兵の詰め所に侍女たちの居室、執事の仕事部屋など本来なら立ち入れない場所へもご招待の声がかかる。マユが来た頃は魔女だ悪女だと警戒していた城の人々も、身分の違いに関係なく誰とでも平等に接するマユに好意を抱くようになり、気軽に内輪のお茶へ誘うようになった。そしてマユはどんな誘いもけして断らず、喜んでいそいそと出かけてゆくのであった。
そんなある日、アレックス王子が調べものをしようと城の敷地内にあるレンガ造りの図書館へ行ったところ、天井まである書架が倒れてきて大きなさわぎになった。さいわいアレックスに怪我はなかったものの、その場に居合わせた近衛兵が事件の直前にマユがコソコソと建物へ入ってゆくのを見たと申し出た。その報告は王まで届き、マユは王の執務室へ呼び出された。
王は難しい顔をして椅子に座り、大きな机の前に立ったマユを見ている。王の傍らに立っているアレックスが気まずそうに口の端だけで笑うと切り出した。
「マユ、お呼びたてしてすみません。ちょっとお尋ねしたいのですが、昨日の夜はどこにいました?」
マユはきょとんとした顔で答える。
「自分の部屋にいました」
「朝まで部屋から出ていないということですか?」
「…………出ていないことは……ありません」
「微妙な言い回しですね。図書館へは行っていませんか?」
「…………夜に……行きました」
「なにをしに?」
「……ちょっと見学に」
答えにくい質問らしく、マユはうつむく。アレックスは金髪を揺らして首をかしげる。
「見学? わざわざ夜中に?」
「…………」
「図書館でなにかしましたか?」
マユは黒髪を振ってさっと顔を上げた。
「なんにもしてません! 勝手に入るのは良くないと思ったので見ただけです。許可なしに入ったのはごめんなさい。でもなにも触ってません!」
「書架が倒れるよう細工をしましたか?」
「もちろんしてません!」
「いったいなぜ図書館へ?」
「見学です!」
「図書館を見た後は何をしていました?」
「すぐ部屋へ戻りました」
「部屋で何をしましたか?」
「……言いたくありません」
「なぜ?」
「ウソはつきたくないから言いたくありません!」
二人の会話を聞いていた王が深いため息をつく。
「マユ、正直に話さないと自分の立場が悪くなるとわかっているのか?」
「……すみません。でもウソはつきたくないんです」
「我らの力にも限度がある。こう何度も疑われてはマユを守るのも難しい」
「でも私はなにもしてません!」
マユは目と口を堅く閉ざし、一言も話さない構えを見せる。それを見た王はあきらめたようすでマユの退室を許すと、彼女は無言で頭を下げて部屋を後にした。




