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トーマス子爵の大いなる誤解

 満々と水をたたえた湖の水面みなもに、金貨のような満月が写り込んでいる。木立に囲まれた湖のほとりにあるバンガー城の開け放たれた窓から、シャンデリアの明るい光が溢れている。豪奢な絨毯が敷き詰められた室内には煌びやかな宝飾品を身に着け絹のドレスをさやさやと鳴らす貴婦人や、プランタジネット王国の要人たちがくつろいだ様子で思いおもいに銀の盃を傾けて談笑している。飲み物やご馳走をたっぷりトレイに乗せた給仕たちが、にこやかな表情で身軽に貴人たちの間を歩き回る。


 銀のジョッキで麦芽酒を飲みながら、でっぷり太った城主のトーマス子爵が赤ら顔で問いかける。

「アーバスノット男爵はご存じだろう?」

「何のことですかな?」子爵とは対照的に痩せた男爵は澄ました顔で聞き返す。

「レティシア王女様の結婚の儀で、王族の婚約が発表されるそうだという噂だよ。いったいどなたのご婚約ですかな?」

「王族の婚約ですか? それは初耳だ」

 男爵は筋張った手で給仕の持っているトレイからカクテルグラスを取り上げた。


 子爵はジョッキを振り回す。

「おいおいジェイコブ、それはないだろう? 寮でいっしょに飯を食った仲じゃないか」

「お前はいつでもわたしの皿から腸詰めをくすねていたな」

「小食な貴様の手伝いをしてやってたんだ。馬術の試験をパスするため練習に付き合ってやったのは誰だったか忘れたのか? ワシは貴様の恩人だぞ?」

「その代わりにわたしはお前の試験勉強に協力した。わたしがいなければ放校処分になっていただろう」

「それは感謝してるよ! それで婚約する王族っていうのはいったい誰なんだ? 王弟補佐官の貴様が知らないわけはないだろう?」 


 男爵が黙っていると、妻のバーサがふくよかな身体を揺らしながら軽い足取りで近づいてきた。城内で王子の乳母として働いている時は目立たない黒絹のドレスを着ているが、いまは鮮やかなミントグリーンのドレスをまとって金色に輝く大ぶりなネックレスや腕輪を見に付けている。バーサがニコニコと周りを見渡すと、同じようにニコニコした給仕がカナッペを満載したトレイを持って近づいてきた。

「ちょうど一口いただきたいところだったの♪ どうもありがとう♪」

 バーサは丸っこい指でカナッペをつまみ上げて口へ入れる。

「んんん~! チーズとハムが絶妙ね♪」

「奥様、もっとお召し上がりください」

「いいの? じゃあお言葉に甘えて♪」

 バーサは卵と腸詰のカナッペを上品に口へ入れると、モグモグしながらエビのシュリンプが入ったカクテルグラスを取り上げた。


「ハリー、あたくしの愛する夫をいじめないでくださいね♪」

 子爵が大げさにボサボサ眉を上げて、アゴの肉を震わせる。

「いじめてなんていやしない! 婚約発表をする王族が誰か聞いていただけだ」

「んまあ! どなたか婚約なさるの? それはおめでたいこと♪」

「チャーリーは王弟補佐官、あなたは王子たちの乳母、知らないわけがないだろう!?」


 もちろんチャーリーとバーサは知っていた。レティシア王女の結婚披露宴で婚約発表をするのは、チャーリーが補佐官を務めるジェイコブ王弟の第一子息、カール伯爵だ。チャーリーとバーサはお相手のコリンナ公爵令嬢と何度も会っているし、水面下で婚約発表の準備を進めているのは何を隠そうチャーリー本人だ。しかし長年小競り合いを続けているザクセン王国公爵令嬢との婚約が事前に知られれば、必ず反対派からの妨害工作を受ける。婚約発表から一気に結婚になだれ込んで既成事実を作るまで、カール伯爵の婚約はトップ・シークレットなのだ。


 年若いカールは、王族とはいえ今は伯爵だ。後に王弟である父の後を継げば公爵になるものの、今はカールより位の高い他国の公爵家の令嬢と結婚するのを良しとしない一派もいるだろう。二人が結婚の儀をするはずだった城内の礼拝堂が何者かに破壊されて、急遽ユーピテル山の大聖堂で儀式を執り行うことになったのも頭痛のタネだ。チャーリーはいろいろな思いをカクテルと共に飲み下す。ハリーは学生時代からの親友とは言え、おしゃべりな彼に実情を話すつもりはなかった。


 チャーリーの逡巡をよそに、ハリーはジョッキを片手に言い募る。

「王族のどなたが婚約するかワシにはわからんが、お相手がマユ嬢ということだけはハッキリしておる!」

 エビを食べ終わったバーサは次に食べるご馳走を選んでいる。丸々とした指で小さなサンドウィッチをつまみあげるとハリーに尋ねた。

「まあ! どうしてそうお考えになりますの?」

 そして返事を待たずにサンドウィッチを口にいれ、満足そうにモグモグし始めた。

 トーマスが飲み終わったジョッキをブンブン振り回すと、給仕が新しいジョッキを運んできた。麦芽酒をぐうぅっと飲んで泡のついた口元をぬぐう。


「王や王子たちがマユ嬢を溺愛しているのは周知の事実! 彼女が指一本動かせば、王も王子も言いなりだ! きっとマユ嬢がやっと相手を決めたんだろう! しかしあんなに地味でぱっとしない女が偉大な王たちを陥落できたのはなぜなんだ?」

 バーサが目を丸くする。

「あらまあ! マユ様にはたくさん良いところがおありになりますのよ!」

「たとえば?」

「誠実なところ、機転が利くところ、それに何より……。ww」

 クスクスと楽しげに笑うバーサを見て、トーマスは不満そうな顔をする。

「なんですかな? もったいぶらずに教えていただきたい」

「ふふふ……それに何より王様たちから必死に逃げているところですわ。ww どんな女性も王族に気に入られようと追いかけ回すのに、マユ様だけは隙あらば逃げだそうとなさいますの♪ 王様たちはマユ様のおかげで、追いかける楽しみを知ってしまったのですわ♪」

「ふむ……。追いかける楽しみか……。狩猟のようなものですかな。たしかに逃げられれば追いたくなる」


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