礼拝堂がああああ!!
王とマユが話しながら木製ベンチ席の間を抜けて前方へ向かうと、最前列は精緻な彫刻が施された木製の手すりで区切られていた。アレックスが慣れた手つきで掛け金を外して手すりを押すと音もなく開く。そこから先は高貴な緋色の絨毯が敷き詰められ、優美な弧を描いた猫脚の椅子が並んでいる。
「今までの席と明らかに雰囲気がちがうんですけど……」
豪華な雰囲気にのまれたマユが絨毯の前で立ち止まってつぶやく。王を先頭にオスカーとノエルが絨毯を踏みしめて進み各々の椅子に座る。手すりを押さえているアレックスがマユをうながす。
「マユはお母様の席に座ってください」
「げ。もしかしてここは王族の席では?」
「そうです。それが何か?」
マユは両手をブンブン振って後ずさる。
「私は王族ではありませんから、後ろのベンチ席でいいです!」
アレックスは海のように美しい青い目でマユに微笑みかける。
「マユは私の婚約者ですから未来の王族ですよ。どうぞこちらへ」
「婚約なんかしてません! 私は後ろの席で十分です!」
マユは今来た通路を小走りで駆け戻ると、王族の席から離れた堅いベンチ席に座った。マユを追いかけようとアレックスが踏み出すと同時に、祭壇横のドアが開いて枢機卿が姿を現わした。アレックスはため息をついてマユへ小さく投げキスを贈ると手すりを閉めて自分の席へ座った。
枢機卿の祈りが始まった。マユの席から祭壇は遠いので、枢機卿が何を言っているか聞き取れない。マユは音楽のような祈りを聞きながらステンドグラスから差し込む朝の光や、キラキラと光る巨大なダイヤモンドに見とれてうっとりする。天井を見上げるとプラチナのシャンデリアを輝かせながら蝋燭の炎がユラユラと瞬き、大理石と真珠で造られた神々が生きているかのように躍動している。筋骨隆々とした神が頬を大きくふくらませ口から強い風を出し、海を真っ二つに割っている。割れた海には一糸まとわぬ豊満な女神が長い髪の毛をそよがせながら驚いた顔でマユを見ている。マユが引き込まれるように天地創造の場面を見つめていると…………、
ガシャン!
天井裏で何かぶつかる音がして、同時にシャンデリアが揺れた。
「なに?」
見上げるマユの顔に天井からキラキラした真珠の粉が降ってくる。粉を吸いこんでマユが咳き込んだ瞬間、オスカーが赤毛を逆立てて小さなノエルを抱きかかえると祭壇の枢機卿へ突進した! 同時に王とアレックスが軽々と手すりを飛び越えてマユのほうへ走り出す。マユが見たのはオスカーがノエルを抱いたまま枢機卿にタックルする姿と、血相を変えた王とアレックスがマユを突き飛ばさんばかりの勢いでこちらへ走ってくる光景だった!
「きゃあ!」
思わずマユが目を閉じると、身体がフワリと浮いた。後頭部に強い風を感じたのは一瞬で、バタン!という音とともに明るい日射しが顔を照らしたかと思うと、前方でガラガラガラと耳をつんざく轟音が響き、音に驚いた池の白鳥たちがけたたましい鳴き声をあげて飛んでいった。
音がやんでおそるおそる目を開けると、三人は戸外でのどかな風に吹かれていた。大きく開いた扉から見える礼拝堂の床には巨大なシャンデリアが落下して、瓦礫となった天井の彫刻が散乱して砂ぼこりが舞っている。ついさっきまでマユがいた場所だ。そしてマユの右脇を王が、左脇をアレックスが持ち上げた状態で身体が宙に浮いていた。
「な、なんですか!?」
目を見開いたマユが声をあげる。
「シャンデリアが揺れて、マユが咳き込んだでしょう」マユの左脇を持ち上げたままアレックスが言う。
「ゆえにシャンデリアが落下してくると思ったのだ」右脇を持ち上げた王がつぶやく。
「シャンデリアだけでなく天井もすべて落ちましたね」
「彫刻はまた五代かけて彫ってもらおう」
「今度はどんな場面にしましょうか?」
「最後の審判はどうだ?」
「いいですね!」
のんきに話していたアレックスは何か思い出したらしく、急に心配そうな顔になった。
「父上、カールの結婚の儀はここで行われるのでは……?」
「仕方あるまい。カールには他の場所を探してもらおう」
「カールは王弟子息なのですから、本来ならレティシアのように聖タルーマ山の大聖堂で執り行うはずですが……」
「ジェイコブから聞いた話によると、この礼拝堂はカールと花嫁の思い出の場所らしい」
「思い出の場所で結婚とは、ロマンティックなカールらしいですね。新婦のコリンナ嬢は、あのバラルディ公爵の一人娘でしょう?」
「あの公爵とは似ても似つかぬ美しい娘だ。なんでも二人は運命的な出会いをしたらしいぞ。ドラマティックでロマンティックな出会いを」
「ドラマティックでロマンティックですか。私の辞書にはない語彙です」
「従兄のお前とカールは随分ちがうからな」
「私も時と場合によってはロマンティックなのですよ。ww 父上こそ『王と王弟はまったくタイプが違う』と専らの評判ですww」
「私は父上に似ていて、ジェイコブは母上に似ているのだ」
「カールの婚約を、レティシアの披露宴の席で発表する予定ですが……」
「他の行事との兼ね合いがあるので、婚約発表は変更無しだ。王弟としてのジェイコブへ正式な通達は後にするとして、内々でジェイコブとカールに伝える必要があるな」
父王の言葉を受けてアレックスは提案する。
「バーサに伝えてもらうのはいかがでしょうか? 彼女は王弟補佐官アーバスノット男爵の妻です」
「そうだな。ジェイコブやカールが礼拝堂の損傷を知る前に、アーバスノットから二人へ内々で伝えてもらおう。できるだけ早くバーサを捕まえて頼んでくれ」
「わかりました」
突然の惨事にも関わらず、アレックスと王はのんきに王弟子息の結婚話をしている。マユは二人に抱えられたまま足をジタバタさせた。
「オスカーとノエルはっ!? 二人は無事なんですかっ!? それから枢機卿も!」
アレックスは安心させるようにニッコリ笑う。
「大丈夫ですよ。オスカーは危険を察知するとノエルを抱き上げて、枢機卿を避難させるため祭壇へ行きましたから」
アレックスの言葉が聞こえたかのように、礼拝堂の横手からオスカーとノエルと枢機卿が姿をあらわした。ノエルはオスカーに肩車をされて楽しそうに笑っているが、枢機卿はショックで顔が真っ青になっている。
「なんで? なんで天井が落ちてきたんですか? 建物が古いせいですか?」
マユの問いかけに王が首を振る。
「そんなはずはない。今までこんなことは一度もなかった」
アレックスが後をつなぐ。
「構造は頑丈ですから自然に落下するとは考えにくい。けれど調べてみても、故意に細工した証拠は出てこないでしょうね」
「故意? 細工? なんのことですか?」
「誰かがわざとシャンデリアや天井を落としたということですよ、マユ」
「えっ!? 王様やアレックスを狙って!?」
王とアレックスは意味ありげに目を見交わした。アレックスがにこやかに答える。
「……そうですね。私たち王族の命が狙われたのでしょう」
驚いて身体を固くするマユに、王はこともなげに言う。
「安心しろ。よくあることだ」
「命を狙われるのがよくあることって…………」
「そんなことよりマユ……」王は厳しい顔でマユを見つめる。
「な、なんですか?」
「もう少し太ったらどうだ? 肉がぜんぜん付いてないぞ」
王の言葉にアレックスがうなずく。
「ちょうど私もそれを言おうとしていたのです。マユはもっと重いと思って父上と二人でマユを抱えましたけれど、これなら私一人で十分でした」
そう言われたマユは、はじめて自分が宙に浮いているのに気付いた。
「ちょっと! 二人とも手を離してください! 降ろしてぇ~っっっ!!」
礼拝堂の天井が落ちた音で駆けつけた園丁や近衛兵が見たのは、楽しげな王とアレックスに持ち上げられてジタバタしているマユの姿だった。




