それぞれの黒い思惑は連鎖する
アンドレア王子がレティシア王女を伴って負傷した父王の元へ駆けつけようと馬を急かしている頃、王の負傷を知らされたバラルディ公爵は王子より一足早くザクセン城へ向かっていた。
城は切り立った山の頂にそびえ建つ堅固な要塞城だ。何者も寄せ付けない岩肌にしがみつくように城が建ち、幾本もの尖塔が空を突き刺すように並んで見える。外見は厳めしいが高い場所にある窓から中をのぞくと、広々とした室内にはあたたかな陽光が降り注ぎ、大きな天蓋ベッドに横たわるザクセン王はいくつもの柔らかな羽根枕に埋もれている。その足には大仰に包帯が巻かれ、日焼けして逞しい王に似つかわしくない様相を呈していた。
仰向けになった王は無邪気な顔ですやすやと眠っている。しばらくすると何かの気配を感じて空色の瞳をパチリと開いた。横になったまま耳をすますが何も聞こえない。起き上がろうとしてプラチナブロンドの頭を上げたが、折れた足の痛みに顔をしかめる。どうしたものかと考えているとノックもせずにバラルディ公爵が太った身体を揺らしながら精一杯の速足で部屋へ入ってきた。
公爵の顔を見た王はいたずらが見つかった子どものようにバツの悪そうな笑顔を浮かべて、頭を枕に沈めた。
ベッドの横で王を見下ろすバラルディ公爵は、天真爛漫な笑顔を見ると安堵のため息をついた。公爵はゼイゼイと肩で息をしながらアゴの肉を震わせる。
「王ともあろう者が落馬して怪我をするなど情けない……。貴様は幼少の頃から不注意の怪我が多かった」
横たわっている王はプラチナブロンドの髪を揺らして、晴れ渡った空のような目でバラルディ公爵を見上げて笑う。怪我をしても王は溌剌としていて、アンドレア王子の父親とは思えない若さだ。
「ふふふ。太ったお前は馬が嫌がるから、馬に乗ることさえできないだろう? その点オレは馬から愛されている」
「愛されているのに振り落とされるとは、どういう了見だ?」
「さあ……。王の座を狙う誰かに命を狙われたのかもしれんなww」
「バカを言うな! 王位を継ぐのはアンドレア王子だぞ! たった一人の愛息を陥れるような言動は控えろ!」
王は叱られたいたずらっ子のような笑顔を浮かべる。
「すまん。ww 冗談だ」
「怪我をした貴様を心配して、アンドレア王子とレティシア王女はこちらへ向かっているそうだ」
「二人に知らせたのか? 大した怪我じゃないから知らせる必要はなかったのに」
「父王が負傷したのに王子へ知らせないわけにはいかないだろう?」
「それはそうだが……」
王は不満そうに口をとがらせる。まるで子どものようだ。
バラルディ公爵は丸々と太った指を王に突きつける。
「ワシが何のために査問会でマユ嬢の言い間違いをワシの聞き違いと主張したかわかるか? ひとえに両国の和平を進めるためだ! それなのに王である貴様は呑気に落馬などしおって……! 王としての自覚が足らぬぞ!」
「すまないと思っている」
公爵は垂れ下がった瞼の下から、ゆったりと横たわる王を見つめる。
「……落馬は事故だろうな?」
「どういう意味だ?」
「誰かが故意に仕組んだものでは?」
「ついさっき冗談を言うなと言ったのはお前だったはずだが」
「だから聞いておるのだ。王位継承者はアンドレア王子だけじゃない。王位を狙う不届き者の可能性はいつでも考慮しておくべきだ」
「……カベー王国のようにか? 内乱で幾人もの王位継承者が殺し合いをした結果、他国から嫁いできたベッラ王妃が女王になるとは皮肉な結末だった」
「しかし王女たちがあの力を発動するまでの一時的なものだろう?」
「三人とも発動しなかったらどうなるのだ?」
「さあ……」
公爵はたるんだ頬をなでながら不機嫌な顔をする。
「あの頃は王位欲しさにあからさまな殺人が横行した……。あんな恥知らずなことは我が国で起こってほしくない」
「王位といえば……」
王は自分の思いつきに笑みを浮かべた。笑うと空色の瞳が細くなる。目尻に寄ったシワは見た目よりも年を重ねていることを示しているが、その笑顔はやはり少年のようだ。
「王位といえば、お前の義理の息子も王位継承者じゃないか?」
「何が言いたい?」
公爵は垂れ下がったまぶたの下から、ジロリと王をにらむ。
「お前の娘コリンナ嬢は、プランタジネット王国の王弟子息と結婚するんだろう?」
「ああ。だが婚約はまだ極秘事項だ。いま知られたら反対派の妨害が入る」
「わかっている」
「貴様が言うとおり、彼はプランタジネット王の甥にあたる。それがどうした?」
「リチャード王や美麗三王子が死ねば、王位は王弟が継承する。そうなれば自動的にお前の義理の息子が皇太子になる。そしてお前の可愛い娘は、皇太子妃だ」
「それで?」
「あとは王が死ぬのを待つだけ。お前の可愛い娘が晴れて王妃となるのを待つだけだ」
「…………ワシが娘可愛さに、プランタジネット王や美麗三王子たちの死を願っているとでも?」
「まさか! 単に事実を言ったまでだ。ww」
「…………お前なんか馬の下敷きになって死ねばよかったのだ! そこへなおれ! 馬の代わりにワシが踏みつぶしてやる!」
公爵は太った身体から想像もできない身軽さで大きなベッドに飛び乗ると、王のみぞおちを踏んづけた!
「うわぁ~! すまなかった! 謝るから足をどけてくれぇ~!!」
王の悲鳴が城内に響き渡った。
その日の晩、バラルディ公爵は物思いに耽っていた。視線の先には愛娘のコリンナがいる。夜は肌寒い石造りの屋敷で、彼女は乳白色の肌と亜麻色の髪をあたたかな暖炉の火に照らされながら柔和な表情で刺繍を刺している。令嬢は父の視線に気づくと優し気な茶色の目を細め、愛情のこもった表情で微笑みかけた。
「お父様、ずいぶんと怖いお顔をなさってどうなさいましたの?」
「……ついこの間まで赤ん坊だったお前が婚約者を持つとは、時の速さに驚いておるのだ」
「うふふ。わたくしはもう、ずいぶんと大人になったのですよ」
「けれどいくつになってもワシの可愛い娘だ。準備は進んでおるのか?」
「ええ。カールと相談しながら進めていますわ。結婚の義はプランタジネット城の礼拝堂ですることにしました」
「なぜだ? 王弟子息の結婚なら聖タルーマ山の大聖堂でするはずだろう?」
「うふふ。お城の礼拝堂はわたくしとカールが初めて出会った場所ですもの。カールもわたくしも、あそこで式を挙げたいのです」
「ワシに一言相談してくれればいいものを……」
「ごめんなさい。お父様はザクセン王の名代でお忙しそうでしたし、その後も大変そうでしたから」
「ああ。アンドレア王子の婚約の儀でちょっとしたアクシデントがあったが、それはもう解決した」
「そうですの? 解決したのなら何よりですわ」
笑顔を浮かべて針を刺す娘の横顔を公爵は愛し気に見つめる。
「しかしカールのいるプランタジネット王国は遠い。相談するのも何かと困るのではないか?」
「彼とは子どもの頃からの付き合いですから、聞かなくてもわかりますのよ」
「母さんが生きていれば何かと相談できるのだが……」
「お父様、それは言わない約束でしょう?」
「そうだったな……」
「お母様がいらっしゃらなくても、わたくしはちゃんとできますわ。だってお母様の娘ですもの!」
パチパチと薪のはぜる音がする。公爵は昼間ザクセン王から言われたことを思い返した。
「コリンナ……」
「なんでしょうか?」
彼女は刺繍を指しながら耳を傾ける。
「カールは……カール伯爵はプランタジネット王国の王弟子息だ」
「もちろん存じ上げておりますわ。彼とは長い付き合いですのよ」
「そうだな……。もし……、もしリチャード王や美麗三王子に何かあれば、ジェイコブ王弟が王となり、カールは皇太子になる」
「そうですの? 考えたこともありませんでしたわ」
「……そしてカールの父が身罷れば、カールはプランタジネットの王になる」
「雲をつかむようなお話ですけれど、言われてみればそうですわね」
「……そうなればお前はプランタジネット王国の王妃だ……!」
コリンナは楽しそうに微笑む。
「その為には誰よりも長生きする必要があるでしょうね。年老いたカールがやっと王になった時、王妃のわたくしはきっとお墓の中ですわ」
「そうでなかったとしたら?」
「……どういうことですの?」
「もしも……リチャード王や美麗三王子が次々と災難に遭って命を絶たれたとしたら? そうなればカールの父が王になる。後は待ってさえいればカールが次の王に、そしてお前は王妃に……!」
公爵令嬢は傍らのテーブルに刺繍を置くと、身体の向きを変えてまっすぐ父を見据えた。
「あの偉大な方々が厄災に遭うのですか? お父様、そんな不吉なことは二度とおっしゃらないで」
「だがもしもお前が望むならワシは……」
彼女は立ち上がると軽い足取りで父に近づき、老いてたるんだ頬へキスをした。
「コリンナ?」
「愛するお父様がいらして、愛するカールと結ばれるだけでわたくしは幸せなのです。それ以上のことは何一つ望みませんわ。この話はおしまいです。いま温かい飲み物をお持ちしますわ」
部屋を出てゆく愛娘の後ろ姿を見ていると、公爵の目に涙が浮かんだ。流れ出る涙をそのままに、公爵は決意を固めた。
「世界で一番愛しい娘を世界で一番幸せにせねば……! その為にはワシの肝力が必要だ……! ワシの力が試される……ワシの力が試されるのだ!」




