王の苦難
王は嬉しそうに藍色の目を細める。
「公務で忙しい父王や母に代わって拙を実の息子のように可愛がってくれたのは、貴女のご両親です。拙がお二人のことを忘れるわけがないでしょう?」
「お兄様ありがとう! 隣国へ嫁いでから両親のお墓へ行けないのが、ずっと気がかりだったの」
「もっと頻繁にお帰りになればいいのに」
「慣れない国の政と、三人の王女の子育てで精一杯だったわ。それに、あたくしが母国へ帰るのを良く思わない者もいるし」
「大変なご苦労があったでしょう。まさかルイ王が崩御して、妃である貴女が女王になるとは誰も想像していなかった……」
ベッラはほっと小さなため息をついて、ルビーのように赤みがかった瞳を細める。
「ルイがあたくしを女王にと言い残して身罷ったときは国中が大騒ぎだったわ! いくら王女の力が発動するまでとはいえ、多くの者が反対したわ!」
「三人に、まだ力の発動はありませんか?」
「ええ。でもいっそ発動しないほうが、あの娘達にとって幸せかもしれない」
「…………」
ベッラは床に視線を落とす。彼女のほっそりとした白いうなじに、王は目を奪われる。
「あたくしは……あの力を持っていません」
「あの力を発動するのは、王族だけですから……」
「ましてや隣国から嫁いできた貧乏男爵家のあたくしが女王になるなんて前代未聞ですもの! 国の民たちはルイが王になることさえ想像してなかったのよ! それなのにあたくしが女王に……」
「内紛で王位継承権者が次々といなくなってしまいましたからね……」
「身の毛もよだつような殺し合いでしたわ! そしてのんびりしたルイが国王になってしまった時は運命を呪ったわ!」
「やがて彼が病に倒れてしまった……」
ベッラは薄い唇をゆがめて笑う。
「アカルディ王国の貧乏男爵家からカベー王妃になっただけでもありえないのに、ついには女王になってしまうなんて皮肉な運命ですわ」
「…………」
「あの力を持たない隣国のあたくしが女王になってしまったことで、不満を抱えている者もいます。けれども最期まで誠実に国へ尽くしたルイの遺志を継いで、あたくしはカベー王国の繁栄を実現します!」
思いつめたようすのベッラを見てロレンツォは話題を変えようと試みた。
「ザクセン王国のアンドレア王子と、プランタジネット王国のレティシア王女の結婚の儀には、おいでになりますか?」
結婚の儀と聞いたベッラの顔が曇る。
「ええ、国賓として出席します。……ロレンツォお兄様もいらっしゃるでしょう?」
「拙もアカルディ国王として臨席します」
「婚約の儀で揉め事があったのはご存じ?」
「いいえ知りません。何があったのですか?」
「あたくしも詳しくは知らないの。けれども事は深刻なようです。内々で両国の王族や貴族が集まって、会議が開かれるらしいわ」
「王族が出てくるとは……あまり穏やかではありませんね……」
「そうなのです」
「しかし何かあったとしても結婚の儀が予定通りに行われるなら問題はないでしょう。よその国とはいえ慶事は久しぶりです。喜ばしいことだ」
ベッラは赤い瞳をきらめかせて王を見据えた。
「喜ばしいですって? 今回の婚姻でザクセンとプランタジネットが手を結べば、お兄様や私の国を脅かすようになるとは思いませんの!?」
「我が国の脅威になるとは考えていません。それに今回の婚姻でザクセンとプランタジネットの長年に渡る反目が解消されれば、我が国にも良い影響があるでしょうし……」
「あたくしはそうは思いませんわ! 小競り合いで両国が力を消耗していた頃のほうが、あたくしの国にとって好都合でした! 両国が和平の道を歩むとなれば、我が国は何としてもプランタジネットと強い繋がりを……!」
ベッラは唇を引き結んで堅い表情になった。
プランタジネットと聞いたロレンツォは一瞬苦い顔をしたが、すぐ心配そうな表情に変わった。
「一国の命運を背負うのは、貴女に負担が大きすぎるのではありませんか? 貴女が幼い頃は蛇毒の後遺症で、けして強い身体ではなかった。拙が蛇に噛まれたせいで貴女に大変な迷惑をかけてしまった」
「四十年も前の話よ! もう忘れて!」
「貴女が命がけで助けてくれなかったら、拙はここにいません。命を救ってくださった感謝の気持ちを生涯忘れることはありません。貴女にも、あなたのご両親にも返しきれない恩があるのです」
ベッラは再び笑顔を見せた。さっきまでの冷徹な女王の顔と違って、幼い少女のようだ。
「もう忘れてったら! ロレンツォお兄様は相変わらず頑固ね!」
「忘れるなんてできません! まだ貴女たちへの恩返しはできていないのですから!」
ベッラは大輪のラナンキュラスのような笑顔を浮かべた。
「それならいつか、あたくしを助けて。あたくしが絶体絶命の危機に陥った時、どうぞあたくしを助けてください」
懐かしい再会の時間はあっという間に過ぎた。ベッラを送り出した後、ロレンツォは謁見の間でうつむいて一人ため息をついた。小さな女の子だったベッラが今では隣国の女王として権勢を振るっている。巷の噂ではずいぶんとやり手で、冷酷な方法もいとわないらしい。けれど久しぶりに会ったベッラは昔と変わらぬ笑顔の持ち主だった。
「あの笑顔が見たくてずいぶんと奮闘したものだ。毒蛇に噛まれてしまったのも、ベッラに良いところを見せたかったからだ……」
鏡に映った自分の銀髪を見て、また王はため息をついた。いつの間にか年老いてしまった。もし若かった頃にベッラへ愛を告げたら、彼女は応えてくれただろうか。もしルイ王が崩御した時にずっと変わらず愛していると伝えたら、何か変わっただろうか。いや、そんな危険は冒せない。もし愛を拒絶されたら、兄のような立場さえ失ってしまう。
ベッラは亡夫の遺志を継いで国を繁栄させるため、隣国のプランタジネット王国との婚姻を画策しているらしい。三人の王女をプランタジネットの美麗三王子に近づけるだけでなく、ベッラ本人もリチャード王に秋波を送っているという噂だ。誰か一人でも婚姻にこぎつければ、プランタジネット王国と強い繋がりができる。プランタジネットとカベーが手を結べば、我がアカルディ王国を凌ぐ勢力になるだろう。ロレンツォの脳裏にプランタジネット王国のリチャード王や美麗三王子の威風堂々とした姿が浮かんだ。
「彼らさえいなければベッラは拙と……!」
思わず口走った言葉に自分で驚いた。誰かに聞かれたのではないかとあたりを見回したが、聞いていたのは静かに咲き誇るラナンキュラスの花々だけだ。王はベッラを思わせる花を一輪手に取ると、そっと静かに口づけをした。




