異世界なのに、その生き物は……!
バチン! バチン! バチン!
猛烈なビンタがマユの顔に炸裂する。遠のいていたマユの意識が、ビンタで戻ってきた。
「…………イ、イタイ! やめて! やめてぇ~!」
バチン! バチン! バチン! 終わらないビンタを両腕で防御しながら目を開けたが、太陽の逆光がまぶしくて見えない。マユが動いたのを見てビンタが止まった。
「起きた?」
目の前にカッパがいた。
「げ! カッパ!?」
ビンタをしようと手を上げたカッパとバッチリ目が合う。カッパはしばらくマユを見つめていたが、鮮やかな黄色いクチバシを動かした。
「おはよう?」
「うぇ? うぇい? おはようございます???」
思わずマユが挨拶に応じると、カッパは振り上げていた手を下ろして、水かきの付いた手でマユの胸ぐらを掴んだ。そのままズルズルと引っ張ってゆく。
「ちょっ!? なにするの!? やめて!」
石畳の上を引きずられていると、レンガ造りの壁と緑色の重厚なオーク材のドアが見えた。店の上に掲げられた看板にワイングラスをくわえた狼が描かれ、飾り文字で「金の狼停」と書いてある。カッパはマユを引きずって店に近づくと、ドアを開けて中へ入った。
明るい太陽の下から暗い店内へ入ったので、物の輪郭がわかる程度しか見えない。カッパはマユを引きずりながら板張りの床を進んで、カウンターのほうへ声をかけた。
「店の前に、落ちてた」
男の野太い声が答える。
「またか! ありがとさん! お礼はキュウリとズッキーニ、どっちがいい?」
「ズッキーニ」
「はいよ!」
カッパはマユから放した手でズッキーニを受け取ると、うまそうにボリボリかじりながら店を出て行った。
「カッパって、キュウリよりズッキーニが好きなんだ……。ってか、カッパ……!」
マユが寝転がったまま唖然としていると、また野太い声が聞こえた。
「嬢ちゃん、すまんな! うちのカアチャンが迷惑かけて!」
マユの視界にはゴツゴツした粗削りな天井の梁と、煙でくすぶった漆喰の壁が見える。
薄暗い店内に目が慣れてきた。壁際に暖炉があり、木製のテーブルとイスの脚がいくつも見える。ネットで見た英国パブにそっくりだ。寝たまま声のした方向へ目をこらすと、たくさんの酒が並んだカウンターの向こうから、筋骨逞しい男がこちらを見ている。真っ白なシャツにベストを着てバーテンダーのようだが、鍛え上げた身体と隙の無い目つきは素人に見えない。男の手に持っているナイフが、ギラリと光った。
「誰っ!?」
マユは飛び起きた。
「カアチャンが迷惑かけてすまんな! 嬢ちゃん、ハルモニアへようこそ!」
「カアチャン? ハルモニア??」
「嬢ちゃん、黒い髪に黒い目か! 珍しいな!」
「???」
混乱しているマユを無視して、男は店の奥へ声をかける。
「ルウ! ルウ坊! こっち来い! カアチャンが、またやらかしたぞ~!」
「なんだよ? 剣の練習しろって言ったの親父だろ!?」
店の奥からスラリとした美少年が出てきた。かるくウエーブのかかった金髪を手で払いのけると、切れ長の青い目が見える。形の良い額にうっすら汗をかいて、頬は紅を差したように赤い。片手に剣を持っているところを見ると、どうやら剣の練習をしていたらしい。
(この男性の息子? さっきのシンデレラと顔が似てる……?)
男は機嫌良く怒鳴る。
「ワシは、ガング! コイツはワシの可愛い息子、ルウだ! そんで珍しい髪と目の嬢ちゃんは……あれ? アンタ、名前は何だ!?」
勢いよく訊かれたので思わず答える。
「マユです。佐藤マユ」
「ルウ! こっちはマユだ! 素敵なカアチャンと入れ替わったんだから、素敵なマユだ!」
生まれて初めて素敵と言われ、マユの頬が赤くなる。美しい少年はふてくされた顔で、赤くなったマユを睨んだ。
「…………どうも」
「…………初めまして佐藤マユです」
気まずい二人を気にするようすもなく、ガングは機嫌がいい。
「マユ、メイドはできるか!?」
「えっ!? メイド!?」
「料理を運んだことはあるか!?」
「アルバイトでウェイトレスをしたことは、ありますけど???」
「そりゃあ上等だ! じゃあマユとルウにホールを任せる! 頼むぞ!」
「えぇっ!? いったい何をっ!?」
うろたえるマユを横目に、ルウはカウンターの中からレースのエプロンを引っぱり出してくる。やたらとヒラヒラしたメイドエプロンだ。
「これ、つけて」
「ええっ!?」
「ヒラヒラしてんのは、カアチャンの趣味」
動揺しつつも、素直にメイドエプロンを身につけるマユ。
「もう、やってるかい?」
振り向くと、客の一団が店をのぞきこんでいる。
「勇者と魔法使いと僧侶と獣人……。どう見ても冒険のパーティー……」
マユが呆然とする後ろから、ガングの威勢のいい声が飛ぶ。
「うまいランチを食わせてやらぁ! ほっぺが落ちても文句言うなよ! ガハハ!」
早くもルウは人数分の水を持って、一団をテーブルに案内している。
「オレが注文取るから、マユは料理を運んで」
「は、はい……」
ワケもわからぬまま、マユはアルバイトデビューした。人気のある店らしく、客は次からつぎへとやってくる。熊と人を足したような獣人もいれば、身の丈2mを超えるやたらとマッチョな男たちもいる。長い耳のエルフの一団や、ローブをまとった魔女たちには何とか平静を装って接客できたが、妖怪・一反木綿が来たときはさすがに言葉を失った。
「…………」
宙を漂う一反木綿をボーゼンとして見つめるマユに、ルウの肘鉄が入る。マユがあわてて席に案内すると、一反木綿は運ばれてきたランチを美味しそうにたいらげた。
ランチタイムの最後の客は、身長80㎝ほどのドゥワーフだった。エールをしこたま飲んでご機嫌な彼に、ガングが声をかける。
「ゴールディ! 悪いが看板だ。もっと飲みたかったら、また夕方来てくれ」
「おう! ちょっくら昼寝して、また来るノシ!」
満腹でご機嫌なドゥワーフが腹をさすりながら店を出てゆくと、ルウは店のドアを閉めた。