第2話 糸口が見えないファーストコンタクト
LHRを終えた正午の教室。初日とあってか授業らしい授業は無く、午前中で解散となった。その為、生徒の数名は既に帰宅の準備を始めている模様。勿論、教室に留まる者もいて、その殆どが友達作りに励んでいるように見えた。
(失敗した……失敗した……)
一人ひとりが自由に動き始める中、僕は自分の席で頭を抱えていた。その原因はホームルームで行われた自己紹介にある。
※
「次、レイバ」
御手洗さんが紹介を済ませて以来、僕は彼女の事をずっと見つめていた。より正確には、彼女に見惚れていたというのが正しいのかもしれない。
先生に呼ばれるまでの間――否。呼ばれてからしばらく経っても、僕の意識は御手洗さんに向いたまま。他の生徒の名前など耳に入らず、ただただ彼女の事だけを考えていたのだ。
「おい、レイバ!」
「えっ!? あ……な、何ですか?」
「何ですか、じゃねぇだろ。お前の番だぞ」
「あ……」
そんな有様だった為、オタギリ先生から大声で呼ばれた時は心臓が止まる思いに駆られた。先生の低い声は怒鳴り散らすソレでは無かったが、それでも十分過ぎる程の迫力がある。
急かされるように僕は席を立ち、緊張で乾いた喉から声を絞り出そうとした。
「ぼ、僕……は?」
そこで初めて、自分の中で生じていた異変に気が付いた。勘違いしていたのだ。僕は決してパニックが治まった訳でも、思考回路が復活した訳でもない。実情は御手洗さんという存在に心を奪われてしまい、それ以外が見えなくなっていただけに過ぎなかったのだ。
結果。どうなったかと言うと――
「僕は……誰ですか?」
「はぁ?」
追い詰められた僕は、名乗るべき名前を忘れてしまっていた。
馬鹿げた話だと思うだろう。だけど、その時の僕は本気で、自分が何者なのか分からなくなっていたのだ。
「思い出せないんです、自分の名前が何なのか……誰か教えてください、誰か……」
「……クソッ、先が思いやられるな」
自己紹介という他生徒に対するファーストコンタクトの場で、名前すら名乗れない人間。それが僕だという揺るぎない事実が、オダギリ先生の口から物憂いとなって吐き出された。
※
「ハァ……今日はトコトン駄目じゃないか」
念願のウィッチクラフト・アカデミーへの入学。それを果たしておきながら初日で、しかも授業に至っていない段階での大失態。この先に待ち受ける学園生活に暗雲が立ち込める中、僕は一人ため息を漏らした。
「……ん?」
ふと、顔を上げた先に銀髪の少女が映る。御手洗さんだ。周りが和気あいあいとした空気に包まれている中、彼女は相変わらずの無表情。周囲の輪に溶け込む選択肢など端から無いようで、淡々と帰る準備を進めている最中だった。
「…………」
無意識の内に、足が動く。自分の席から立ち上がり、彼女の下へ。気が付けば、僕は御手洗さんの傍まで歩み寄っていた。
「や、やあ、御手洗さん」
緊張を抑え、出来る限りの笑顔を作って話しかけてみる。すると、御手洗さんは支度を整えていた手を止めて僕を見上げた。無感情な瞳が僕を捉えている。
「何?」
彼女の口から発せられた二文字の言葉は、僕の予想を遥かに超えた冷やかを伴っていた。言外に「馴れ馴れしく話しかけるな」と語ってくるような冷淡さ。その刺々しい口調と視線に、僕は思わずたじろいでしまう。
「えっ……? えーっと……」
だけど、自分から話しかけた以上は簡単に引き下がる訳にはいかない。何とか会話を続けようと、僕は言葉を絞り出した。
「今、お昼時だからさ……お腹、空いちゃうよね?」
「だから?」
「だから、さ……もし、良かったら……その、一緒に食べに行かない? この学園って食堂が用意されているみたいだし、そこでお互いの事を――」
「断る」
言葉の途中で拒絶され、僕は口をつぐんだ。こちらに友好的では無いのは雰囲気から分かっていたけれど、まさかここまで壁を作られるとは思わなかった。支度を終えた御手洗さんは席から離れると、そのまま教室から出て行こうとする。
「あっ、待て! 待ってくれ! せめて少しだけでも話を――」
「私には、貴方と関わる理由は無い」
僕に目もくれず、背中越しに言い放つ御手洗さん。その一言を最後に、彼女は教室から出ていってしまった。
取り残された僕の心中に去来したモノは、どこまでも落ちていきそうな深い悲しみだった。




