第18話 投げ続ける挨拶(ボール)
「おはよう、御手洗さん」
新しい一日が始まる。時間に余裕を持って登校してきた僕は、御手洗さんに向けて朝の挨拶をした。
「…………」
席に着いている彼女の反応はいつも通り。僕の方を少し見た後、すぐに視線を外して自習を始める。
(うん、これぞ御手洗さんだ)
彼女に謝罪してから数日が経つ。登校、下校の際に必ず声をかけるようにしているけど、返事を貰った事は一度も無い。
それでも、こちらの声に反応するだけで充分だと思える。御手洗さんから見たら、僕なんてどうでもいい存在だろうから。視界の端に入れてくれるだけでも、ありがたい話だ。
というわけで、僕も授業の準備をするべく、自分の席に向かうことにした。
※
「おはよう、御手洗さん」
僕が挨拶をすると、御手洗さんがこちらを見る。
「…………」
心なしか、僕を見ている時間が長くなった気がする。
だけど、相変わらず返事は無い。暫くして彼女は机に向き直り、自習を再開させた。
(意識して……くれてるのかな?)
頭に浮かんだ疑問を、急いで振り払う。そんな訳が無いじゃないか。嫌われる事はしても、好かれるような事はしていないのだから。
そう、気のせいだ。彼女は昨日と全く変わっていない。そう自分に言い聞かせ、僕は自分の席に向かう。
※
「おはよう、御手洗さん」
「…………」
やっぱり、見る時間が伸びた。間違い無く。返事はしてくれないものの、明らかに彼女の態度に変化が生じている。その方向がプラスかマイナスかは判断できないけれど、僕に対する意識が変わってきているのは確かだった。
「…………」
お互いを見つめ合う時間が続く。一見、大人びているように見える彼女だけど、こうして近くで見ると女の子らしい幼さも感じられた。綺麗。可愛い。綺麗。僕の脳裏で二つの感想が交互に浮かんでいく。
このままずっと見ていたい。そんな気持ちが芽生え始めた時だった。
「…………」
先に目を逸らしたのは御手洗さんの方。僕から視線を外した彼女は、またもや自習を再開する。結局、御手洗さんからは何も言わず仕舞いだった。
(……残念、だな)
無意識の内に生まれた本音。それに気付いた時、僕はハッと我に帰った。何を考えているんだ、僕は。人の顔をジロジロ見る趣味なんて無いぞ。
僕は逃げ出すかの如く、自分の席に駆け寄った。
「どうしたのかなトモキ君? 今日は随分と熱烈なアピールだったじゃないか」
「アキト!? イヤ、その、えっと……」
その日の下校時間は彼女と目を合わせられず、挨拶だけ済ませて帰ってしまった。
※
「お……おはよう、御手洗さん」
昨日の事を思い出し、吃った挨拶になってしまった。近くで見た御手洗さんの顔が忘れられず、いつも以上に強く意識してしまう。
声をかける前に深呼吸はしたものの、心臓の鼓動は治まらない。そんな状態で、僕は御手洗さんに挨拶した。
「…………」
(……あれ?)
反応がない。こちらを一瞥する動作すら無く、黙々と自習を続けている。
これはつまり、無視されているのか。少し悲しい気持ちになるが、納得できる話ではあった。
(そうだよね。好きでもない男に顔を見られるのって、嫌に決まってるよ)
きっと、あの一件で悪感情を抱いてしまったのだろう。仕方の無いことだ。僕は諦めて、自分の席に向かうことに決めた。
「おはよう」
「……えっ?」
最初は空耳だと思った。現実を受け止めない僕の脳が作り出した幻聴だと。しかし、それは違った。
確かに聞こえたのだ。御手洗さんの口から発せられた、透き通るような声が。
「あ……あ? 御手洗さん、今なんて?」
思わず聞き返すと、御手洗さんはきょとんとした顔で僕を見てくる。そして数秒後、彼女は小さく息を吐いた。
「……おはよう」
「……ッ!!」
その日、御手洗さんは初めて挨拶を交わしてくれたのだった。