第10話 容赦なき氷風(サンズ・メルシー)
「我が導は氷結。凍てる風を血肉と為し、世界に白銀を敷き詰めよ」
レイピアをまっすぐに構え、詠唱を始めるエタン。静かでありつつ、力強い響きを伴った声色だった。
それに呼応して、彼の周辺から真っ白な冷気が漂い始める。瞬く間にアリーナ全体を覆ったそれは、観客に視覚的な寒さを感じさせた。
「……寒っ」
トモキもその一人だった。結界で遮られている為、実際に体温が下がる事はないのだが、それでも肌寒いと感じてしまう。
身体をソワソワさせながら、トモキは隣にいる友人を見た。
「アキト、霧が出てきたって事は……?」
「ああ、今までのはウォーミングアップ。こっからが本番って訳だ」
「……やっぱり」
返ってきたのは予想通りの答え。トモキは小さく溜息をつき、視線を正面に戻した。決闘の行方を見守るために。
「…………」
白い霧がアリーナを漂う中、志紀は刀を構えたまま動かないでいた。この状況になった今、迂闊な攻撃は命取りとなる。
故に待つ。エタンが次の一手を繰り出すまで、ただひたすらに待ち続ける。それが志紀の考える、最善の一手だった。
(来るッ!)
霧を突き破り、先の尖った円錐状の物体が飛来する。氷柱だ。
迫り来る七つの凶器は、それぞれ別角度から志紀を貫かんとしていた。
「ハァァァァッ!」
下手な回避は被弾に繋がる。そう判断した志紀は、迎撃を選択。
正確な狙いで刀を振るい、氷柱を一本も残らず斬り落とした。
「ッ!?」
しかし、エタンの攻撃はこれで終わりではない。
今度は這い寄るかの如く、地面から生えてきた氷の杭。まるで生き物のように、地中を潜行してきたようだ。
(まさか、こっちが本命……!?)
飛来する氷柱は単なる目眩まし。その事実に驚愕しつつも、志紀は杭が突き刺さる直前で跳躍に成功する。
これでエタンの連撃を凌いだ――という志紀の認識は、すぐに甘かったと思い知らされる事となった。
「足元を気にしている場合かい?」
眼前に塞がるエタン。同じく滞空する相手を志紀が認識した時には、既にレイピアの予備動作を終えていた。
「ぐっ……がはっ!」
繰り出された剣先が腹部に迫る。咄嵯に刀身で受け止めた志紀だが、体勢を整えられない空中では踏ん張りようがない。刺突の衝撃により、志紀の身体は大きく後方へと吹き飛ばされた。
「うわぁ、こっち来たぞ!?」
結界の壁に背中から激突した志紀。真後の観客席からどよめきの声が上がる中、彼女の身体は壁から離れ、そのまま地面に落下していく。
「……ッ!」
無様に倒れ伏すなど許されない。志紀は瞬時に体勢を立て直すと、爪先から着地して膝を曲げ、衝撃を吸収してから立ち上がった。
「御手洗さん……」
受けたダメージを表に出さず、何事も無かったかのように。凛然とした表情で刀を構え直す。弱味を見せない誇りある姿に、トモキの心は熱くなっていた。
(御手洗さんって、こんなに強い人だったんだ……)
入学してからずっと気になっていた相手が、こんなにも強くて美しい少女だと知ったのだ。志紀に対するトモキの感情は、単なる一目惚れから、より強い好意へと変わっていった。
「お前……結構、惚れやすいタイプなんだな」
そんな彼を傍から見たアキトは呆れ気味に、ほんの少しの気味悪さを混ぜながら呟いた。
「ククク、そうこなくちゃあな。あれぐらいで倒れたら困る」
一方で、エタンも志紀の姿勢に感心していた。同じ特待生として、自分と渡り合えるだけの実力を備えていると確信できたからだ。
先程の攻防で、志紀の技量はある程度把握している。だが、まだ足りない。
「さあ、こちらの魔法は見せたんだ。今度は君が、ギャラリーにサービスする番だぜ? シキ・ミテライ」
この模擬決闘は、観衆を喜ばせる為に用意されたショーである。その事はエタンも承知していた。
だからこそ、彼は要求する。観客を沸かせるような派手な攻撃を、志紀に。
「…………」
抜き身の刀を鞘に納めると、志紀は静かに目を閉じた。邪魔な雑念を振り払い、静寂の中で精神統一を図る。
エタンの要求に応えた訳では無い。ましてや、観客を喜ばせるつもりも無い。たった一つのシンプルな目的の為に、彼女は心を研ぎ澄ませていく。
「我が導は雷光。瞬きの刹那に総てを振断し、無二の誇りを確立せよ」
刀の鞘が帯電し、バチッと音を立てる。
それは志紀の魔法が発動する前兆であり、同時にエタンを倒すという意思表示だった。