1−2 マンホールチルドレン
1−2 マンホールチルドレン
午後16時。いつもの砂嵐が過ぎ去って日が陰り始める頃から、あちこちの分厚いマンホールがゴンゴンと鳴り始める。
内側からバールで叩きながら数センチの隙間を作り、タイミング良くバールを隙間にねじ込む。後は梃子の原理で少しずつ横にずらす。10センチもずれれば、その後は子どもでも素手で動かせる。マンホールの地下に強烈な日差しが大量の砂とともになだれ込む。慣れた者なら2〜3分だが、要領の悪い者は10分は掛かる。
その最初の蓋が開く一分も前に、決まって最初に開く蓋がある。長田区北十条通り2−5 Aー10のマンホールだ。
他のマンホールから子どもたちが出てくる頃、ここに住むエイトはもうお目当ての“現場”に向かっている。
エイトの名前は自分で付けた。物心付いた時から住んでいるAー10のマンホールにちなんで。他の子どもたちはスポーツ選手や流行りのアーティストから取るが、エイトは誰とも話さないので世間の事が良く分からない。
この街にマンホールチルドレンは数百人程。
この砂漠に日本人が避難してきてから50年、一気に貧困国家になってしまった日本人は、格安になった人件費を武器に再び高度経済成長期に突入した。街全体が車・電車・飛行機の工場になり、彼らのほとんどが期間工として働いた。
豊かになる事だけを追い求めた為に、脱落が一度たりとも許されない社会が生まれた。
エイト達はその脱落者の子どもだ。
ただこうした子供の多くはこの境遇から是が非でも抜け出したい訳ではなかった。というのも、このような社会の影の部分から生まれた子どもたちを、自治政府も市民も最底辺の必要な存在として容認し、マンホールの地下まで追いかけることはなかった。
自分たちより貧しい人間がいる事を社会が知っていれば、みんなが日々の暮らしに疑問を持つこと無く生きられるからだ。
“普通”の市民が働き、勉強をしている間、限られた時間だけ地上に出て、生きるために必要な分だけの食料や道具を拝借し、地下で消費する。ただ、不衛生な環境で育った子どもたちは決して長生きはしなかった。運良く大人まで生きたとして、いつかは治安部隊に捕まり、刑務所に送られる。
さて、今日のエイトには狙いたい“大物”があった。この街の治安を取り締まる警察予備隊の「軍服」だ。