となりの席の小雪さん
初めての転校に新しいクラス。2年のゴールデンウィーク明けにここに入学してきた自分にとって、この学校は居心地がいいか、と言われれば首を横に振るような、そんな場所だった。
あまりにも緊張している僕に、「あらあら大丈夫?」なんて先生は声をかけてくれたが大丈夫なはずがない。
転校慣れしている人なら新しいクラスでも平然としてられるだろうが僕は真逆。むしろ、小学校からの仲良しと学校ごと、いや地域ごと離れてしまったわけだ、そんなに簡単に慣れるはずないだろう。
そう、思っていた。
「転校生を紹介します、どうぞ___」
そう副担任らしい先生に声をかけられ、おどおどと教室に入っていく。きっと注目を浴びているだろう、憂鬱だ、なんて自分自身と会話する。もっとも、それでこの場を逃れられるわけがないので、覚悟を決め、頭をクラスメイトの方に向けた。
刹那。
視界に飛び込んだのは、一人の少女。いや、飛び込んだ、は間違いだ。引かれたのだ。その白い髪、蒼の瞳。整った容姿に。出そうとしていた声が引っ込み、喉の奥から掠れたような息だけが出てしまった。
「えっ……と?大丈夫かしら?」
先生にそう声をかけられた瞬間、我に返る。あっ、と思い出したかのようにわざとらしく咳払いをする。
「す、すみません!あの、僕、高尾雄太って言います、よろしく……」
カリカリ、と苦手な音を立てて黒板にチョークで名前を書く。
最後の方は声が小さくなってしまったが、聞こえただろうか。ちら、っとクラスメイトの方を見てみると、不思議そうに顔を合わせた後、わっと大きな拍手。不思議と達成感に見舞われると、先生が声をかけてくれた。
「ここって田舎でしょ?だから転校生が来ることって珍しいのよ。田舎だけに慣れるのも大変かもしれないけど、仲良くしてあげてね?」
そう言うと、「えーっと、席は……」と教室を見渡す。派手なリボンの少女が、「せんせ!こゆちんの隣空いてまーす!」と手を上げると、「あらあら本当ね、じゃああそこの席に座ってくれる?」と後方の席を指差した。
「あ……」
先ほどの青い、サファイアみたいな瞳と目が合う。
「高尾くんは冬白さんの隣の席ね」
先生はにこにことした笑みをこちらに向けると、「みんなで自己紹介でもしましょうか」なんてのんきに話しかけてくるが、自分はそれどころではない。
白い髪を揺らしてこちらに小さく一礼すると、冬白小雪と呼ばれたその少女は目を伏せるように読んでいた本にすがり付いたように感じた。見つめすぎただろうか。
自己紹介は結局時間がなくて割愛。その代わり、珍しいものが気になって仕方がないのか、休み時間に話しかけられると言う一大イベントに差し掛かっていた。
「高尾くん、何処からきたの?」
「高尾って呼んでいいか?」
「高尾さん好きなこととかある?」
まあ、こんな感じである。なんとなく予想はできていた。
そんなことより冬白小雪が気になって仕方がない自分は適当に合図地を打つだけだったのだが。
そして冬白小雪本人はと言えば、特にこちらを気にする様子もなく、ただただ淡々と文庫本を読むだけだったのだが。
「もしかして高尾くん、こゆちんのこと気になる?」
そう話しかけてきたのは、先ほど手を上げて彼女の隣の席を進めてきた、派手なリボンの少女。ニヤニヤとこちらを見る瞳は悪意に満ち溢れている反面、どこか子供らしく楽しんでいるようでもあった。
「こゆちん、話しかけにくいでしょ?」
「まあ……」
そう言うと、にゃは、なんてかわいらしく笑うと、豪快に肩に腕を回し、耳元で囁く。
「こゆちんと仲良くしてあげてね?あ、手ぇ出したら許さないぞ?」
にやり、と意味深に笑うと、「もうそろそろ二時間目だにゃ~」とわざとらしく周りの男女を「もどったもどった!」と押し返す。ぽかん、とその様子を眺めていると、「数学やんぞ~」と先生が入ってきた。
その日一日、冬白小雪のことを観察してみたが、どこか扱いがおかしい。彼女の周りにはよく人だかりが出来ているのに対し、必ず一定の距離が保たれている。女子特有の相手にくっつく、という行動もなかなかないのだ。
そして、これに関しては偏見だが、彼女はどこか冷たい。対応が冷たい、とかそう言うのじゃなく、どこか触れてはいけないような気がするのだ。きっと他の人もこれを感じて距離を保っているのだろう。
触れてしまったら、溶けてしまうのではないか。
その少女は、そんな危うさを纏っている。まるで、冬に降る、小さな雪の結晶みたいな、美しいけれど、触れたらすぐ消えてしまう、みたいな。
ただ、一人だけその距離をとらない者がいた。それが先ほどのリボンの少女である。
「小雪はさみしがりだからにゃ~」
なんて言って、小雪に抱きつく。他のクラスメイトに聞くと、そのリボンの少女は潜木恵と言って、昔からの友人らしく、クラスではよく腫れ物のように扱われているらしい。それもあり、よく、誰にも手を出せないような、二人だけの空間が出来ていたりするそう。その間もあまり冬白小雪は会話をしようとしないらしいが。
潜木は定期的にこちらに話しかけてきてくれる。
「こゆちんはな~んかここには馴染めないらしくてのぅ……だから慣れてないもの同士頼んだぞ、高尾少年!」
「キャラぶれてね?」
そんなこんなでこの枠組みに自分も入れられ、不本意だが、初めての友達が潜木になってしまった。
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「神聖視?」
潜木が当然言うには、このクラスの人間はやけに冬白小雪を神聖視しているらしく、自分はどうにかしてその状況を打開してやりたい、らしい。
「てことでノーマークの高尾くんにお願いしたってワケ、アノ子が話しかけられないのって皆が雰囲気だけで神様みたいに扱ってるからであって、状況変われば大丈夫だと思うのね」
そう言ってため息をつく。
「こゆちん、寂しいの嫌いだからもっと皆と仲良くなりたいって言ってるのよ。だから、お願い!」
ぱんッ、と手を合わせ、頭を下げてくる。正直自分にも出来る気はしないのだが、頭を下げられているのに受けないわけにはいかない。そこは男として。
「ん、やってみるよ」
「ふぅ!流石天下の高尾くん!!」
「その煽りをやめろ!」
次の日。
(教科書忘れちゃった……あ、でもこのタイミングでなら)
「冬白さ……」
すやすやと机に突っ伏して寝ている姿。その姿に見とれてしまった。失敗。てか誰も何も注意しないのか。
お昼。
「ご飯一緒に……」
隣の席にはもう誰もいない。失敗。
午後。
(消しゴム落としてる……)
「冬白さ……」
消しゴムを拾い、声を掛けようとした。でも、声が出ない。初日の自己紹介のときと同じだった。この期に及んで緊張でもしているのか。恥ずかしくなってくる。
冬白小雪に関しては、カリカリとノートにシャーペンを滑らせている。集中しているその目つきに見とれ、話しかけるどころではなくなっていた。
彼女の容姿には、悪魔のように人を魅了する力でもあるらしい。苦笑いすると、消しゴムがないことに気がついたらしい彼女はキョロキョロと辺りを見渡している。
すっと消しゴムを差し出すと、ほんのりと口許を緩ませ、手をさしのべてきた。
その瞬間、1つの思考に毒される。
「(触れたら溶けてしまうのではないか。)」
消しゴムを差し伸べる手がピタリ、と止まる。不思議そうにこちらの瞳をを覗く少女に顔が熱くなるのを感じた。吸い込まれるような、冷たい無機質な宝石のような瞳。この時間が早く終わってくれ、と祈るばかりだった。もちろん、自分が消しゴムを渡さない限り終わらないが。
ぐ、っと柔らかく、手を握る感覚。緊張のあまりピリピリと毒されていた脳が、一瞬で覚醒する。
正面を見ると、消しゴムを持った方の手を、冬白小雪が握っていたのだ。
「(温かい)」
それは涙が出そうなほど。自分と少女が同じ存在だと知らしめるのに十分な材料。心配そうにこちらを向く少女に目線を向けると、安心したように笑顔を見せる。
きっとこれは恋なのだろう。一目惚れ、と言うとおこがましい気もするが、その言葉がグルグルと脳みそを支配する。
恋なんて、恋愛なんてしたことがなかった。だから初日に気がつかなかっただけで、あの日からずっとこの少女のことが好きだったのだろう。もしかしたら、他の人たちも。
それと同時に、自分にだけ見せた、その笑顔を閉じ込めて、ずっと持っていたい、宝物にしていたい、なんて気に襲われた。それは叶わないことだと知っていても、どうしても思うだけ思ってしまうのが人間の性だ。
ぱくぱく、と彼女は口を動かす。先ほどまでの柔らかな表情は消え、冷たさがあったが、確かにありがとう、と言っていた。多分。
潜木に伝えたらどんな反応するだろうか、なんて、自分だけの笑顔に胸を踊らせていると計算問題で指され、浮かれていたあまり問題を解いていなかった自分は、後で潜木に笑われたのだった。