閉じ込められた虜囚はいつも濡れ衣?
エディット・ベーベルシュタム伯爵令嬢は彼女の親族が経営している病院へと搬送された。結婚前の少女が銃創を受けたなどと下々の者に知られたくはないそうだが、彼女を学院近くの病院ではなくその病院へ運んだ事には、貴族は娘の命よりも面子の方が大事かと再確認させられた思いだ。
そう、面子。
俺が婚約破棄をすればイルヴァこそ弾劾される。
してもいない素行の悪さなど持ち出され、それが理由だと彼女だけが責められる事になるのであろう。
――クリストファー王子の気を惹こうと計画されたのです。
クリストファーとイルヴァが最近二人で行動しているのは知っている。
常に俺と一緒の行動でも、本当に常に一緒にいられるわけは無いのだ。
彼女にはクラブ活動があり、そのクラブにはクリストファーも在籍していた。
俺のクラブにこそ彼女は来るかと思ったが、彼女はふざけるのもいい加減になさいと、王子に対して思いっきり不遜な言葉を吐いたと思い出した。
「ふざけるなって、手芸クラブのどこが嫌なんですか!君がレース編みが好きだと言ったから、俺は手芸クラブに入っていたというのに!クラブの時間ぐらいは君が楽しめる時間にしてあげようって。」
「わたくしはレース編みのアクセサリーが可愛いから好きだと言っただけです。メイドのマーニャが編んでくれた縁取りレースが素敵でしょうと、あなたに自慢しただけですわ。」
「あ、そうだった。縁取りレースは、マーニャか。そうか、あれをしたのは君じゃ無かったのか。」
俺はその時、イルヴァが見せびらかしたペチコートの縁取りレース、真っ白なペチコートなのにパステルカラーの水色のレース糸で縁どられた裾ばかりに気を取られていたから考え違いをしていたとイルヴァに言えなかった。
だってそうだろう。
イルヴァの左足首に黒子があるって初めて知ったのだ。
そこを舐めてみたい、とも。
「ノア王子。殿下。」
俺は声を掛けられて物思いから覚めた。
真っ黒な髪に真っ黒の軍服姿の男の左胸には銀色のバッジが煌いていて、彼が近衛でなく情報将校で、それも少佐であると知らしめていた。
影のように存在を知らせずに、そっと忍び込んで来れる男、だ。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう。カナン少佐。それで、頼んだことは全て?」
二十代の青年将校は人懐こい笑みを俺に向けた。
そして、俺に俺が知るべき書類を手渡した。
だが彼はいつものように立ち去らず、珍しく言い難そうな顔を作るや俺に彼が気にしていた事を訊ねて来た。
「殿下。イルヴァ嬢が学園の特別室に閉じ込められているとお聞きしましたが?それはあなたのご命令とは本当ですか?」
俺は少佐に微笑み返した。
「いや。命令じゃないね。俺がこの手で閉じ込めた。カギ穴も潰して、窓は鍵も壊して塞いだ。彼女が今回の暗殺の首謀者だという話だからね。こうやって確実に閉じ込めておくのが一番だと思うよ。」
「うわ、偏執的ですね。だからクリストファー王子のもとに行きたくても彼女は行けないからと思い切ってしまったのでは無いのですか?」
俺は手直にあった文鎮をカナンに投げつけた。当たり前だが彼はひょいと交わし、文鎮は床に落ちて大きな音を立てた。ああ、俺も文鎮みたいに騒ぎたいよ。
これは濡れ衣を被せられた俺に彼女が以前にした事と同じだと言い返したかった。
彼女は俺をワイン蔵に閉じ込め直したが、その時には子供の力では締めも出来ないし解けないという結び目を作って俺を縛り付けもしたのだ。
「縛られちゃうの?僕は?」
「ええ。自分では解けない縄で縛られたあなた。そんなあなたが酒蔵から酒を盗んで子供用フルーツパンチを大人用に作り替えるなんてできるのかしら?」
「小さな君が縛ったんじゃあ、簡単に僕は逃げられるのではって、あれ?」
琥珀の精霊みたいな可愛らしい少女は、妖精って暗黒なものだと思い出させるような笑顔でふふふと笑った。
「その縛り方は素晴らしいものですのよ。もがけばもがくだけしまっちゃう。どうぞ、可哀想な被害者に見えるように、散々に暴れて縄筋ぐらい体に刻んでくださいな。」
あの日の俺は久々に笑ったのだと思う。
両親を目の前で殺されたことで両親との記憶もその時の記憶も失った灰色の自分だったが、あの日に初めて生きていると感じられたのだと思う。
「殿下。私が渡した書類、その内容こそあの方が立てられた計画だったとしましたら、あなたはどうされるのですか?」
俺はカナンから顔を背けた。
答えようがなかったから。
イルヴァが本当にクリストファーに恋をしていたという可能性を、俺は考えるどころか目を逸らしていたいのだ。
現王の息子。
金髪碧眼の神々しい天使のように美しい青年だ。
灰色の影とは違う。




