『 逆刃刀 』の話はさて置き、今迄散々悪事の限りを尽くし、多くの人々を困らせ,奪い,弄び,蹂躙し、数え切れない人々の命を悪戯に奪って来た〈 海賊 〉達だ。
好き勝手、我儘勝手に振る舞って来た〈 海賊 〉達に対して、マオが態々情けや慈悲を掛けてやる必要もない。
死に物狂いに必死に命乞いをして来たからといって、マオが佛心を出して見逃してやる謂われもない。
セロフィートは『 はぁ? 人権です? 悪人に人権が要りますか? 』と本気で言ってくれちゃう人形だ。
抑、セロフィートの前では『 人権 』等いうものは通用しないし、何の意味も効果もなさない。
セロフィート曰く『 玩具に人じん権けん等などありません 』と言いい切きるのだから、通つう用ようする訳わけがない。
セロフィートにとって、否いな──、人にんセロ形ぎょうフィートにとって、人にん間げんという存そん在ざいは幾いくらでも替かえが効きく都つ合ごうの良よい玩がん具ぐおもちゃでしかなく、玩がん具ぐおもちゃが『 人じん権けん 』やら『 権けん利り 』だのを真しん剣けんに主しゅ張ちょうする事こと自じ体たいがチャンチャラ可お笑かしくて堪たまらないのである。
トイチ八賢悳壹は『 悪あく人にんに人じん権けんは無なくていいと思おもう。寧むしろ悪あく人にんにこそ、人じん権けんなんて与あたえちゃいけないんだ 』的てきな事ことを言いっていた。
トイチ八賢悳壹には、何なにかしら払ふっ拭しょくの出で来きていない、或あるいは払ふっ拭しょくの出で来き得えない様ような辛つらい出で来き事ごとがあったのかも知しれない。
トイチ八賢悳壹曰いわく、兄あにが愛あい読どくしていた小しょう説せつ文ぶん庫ことか言いう本ほんの中なかに登とう場じょうする〈 竜ドラゴン 〉やら〈 魔ま族ぞく 〉ですら跨またいで通とおるらしい可か憐れんだがおっかない女おんな主しゅ人じん公こうが、〈 盗とう賊ぞく 〉達たちに向むけて言いう台詞せりふらしい。
正しょう直じき言いって、物もの語がたりを読よんでないマオからすれば、女おんな主しゅ人じん公こうが何な故ぜ盗とう賊ぞく達たちに『 悪あく人にんに人じん権けんはないっ!! 』と言いう台詞せりふを吐はくのか、理り由ゆうは全まったく分わからないのだが、トイチ八賢悳壹が共きょえ感かんしたのならば、悪わるい主しゅ人じん公こうではないのだろう。
抑そもそも、創作物主人公の台詞せりふに共きょう感かんしたり、真まに受うけるのは如何いかがなものかと思おもったが、トイチ八賢悳壹には言いわなかった。
今いま、自じ分ぶんが斬きり殺ころしている〈 海かい賊ぞく 〉達たちにも『 人じん権けん 』とやらは与あたえられたり、適てき用ようされたりするのだろうか??
現げん在ざいの≪ エルゼシア大たい陸りく ≫では〈 罪ざい人にん 〉には『 人じん権けん 』とやらは適てき用ようされていない。
〈 罪ざい人にん 〉の場ば合あいは、“ 贖しょく罪ざい ” という『 尊とうとい行こう為い 』として、見みせしめに公こう開かい拷ごう問もんや公こう開かい処しょ刑けいが行おこなわれるからだ。
〈 罪ざい人にん 〉に『 人じん権けん 』を与あたえてしまえば、公こう開かい拷ごう問もんも公こう開かい処しょ刑けいも出で来きなくなるだろう。
未まだ見みせしめが必ひつ要よう悪あくとされている社しゃ会かいである間あいだは、〈 罪ざい人にん 〉に『 人じん権けん 』が与あたえられる事こともなければ適てき用ようされる事こともない。
悪あく人にんは〈 罪ざい人にん 〉に比くらべて『 人じん権けん 』に対たいしては未まだ寛かん容ようなのかも知しれない。
理り由ゆうや事じ情じょうが違ちがっても命いのちを奪うばっている事ことには変かわりなく、決けっして正せい当とう化かは出で来きない。
自じ分ぶんも立りっ派ぱな〈 罪さい人にん 〉だ。
マオ
「………………はぁ…。
( 生いきたまま…頭あたまからバリボリと〈 合成獣キメイラ 〉に喰たべられるよりはマシ…だよな??
セロは『 全ぜん員いんを〈 合成獣キメイラ 〉の餌エサにしましょう♪ 』なんて嬉うれしそうに言いうし……。
幾いくら悪あく人にんでも〈 合成獣キメイラ 〉に喰たべられるなんてあんまりだよ…)」
〈 合成獣キメイラ 〉が生いきた人にん間げん餌エサを喰たべる光こう景けいは見みるに堪たえないものだ。
人にん間げんの考かんがえた様さま々ざまな非ひ人じん道どう的てきな拷ごう問もんと比くらべるものではないが、非ひ道どうさは上うわ回まるるのではないかと思おもう。
理り性せいのある〈 合成獣キメイラ 〉にバリボリと喰たべられる様さまを目めの前まえで見みたマオは、今いまでも夢ゆめに見みるし、魘うなされる事ことだってある。