7.謁 の間・おぞまし 髭 剣
老若男女。この場にいる者全ては本調子ではない。
戦闘後、牢屋に入れられるや脱獄が叶った若者ら三人は勿論、場の空気を換えるために無理をした闇の王ことアビスもそう。ほぼコストもなく無尽蔵に使えるサムソンはともあれ、アッシュやアビスは安易に異能を使えるような状態ではない。異能を行使するには厳しい条件があるとするボイジャーにしてもそうだ。
例外があるとすれば当初は二、三滴の水を出すのがせいぜいだったが、ダンジョン内の闇の間では床に水を張れるくらいに回復しており、つい先ほども戦力を分断させるべくこの部屋の端から端までを特殊な水で線引きせしめたBくらいなものだ。
他の面々と比較して回復が早い理由はともあれ、配慮からか矜持からか、Bがアビスを討ち取るという展開はあるまい。単純に大量の『闇にうごめくもの』の相手も簡単でないのもある。若者達とアビスから見て、水で隔てられた先は介入の余地もない程激しい戦いが繰り広げられていた。一体多などという次元ではないほどの戦力差、しかしてBは水を武器に使うことはなく、一体一体丁寧に、そして華麗にフルーレのみで敵を捌ききっている。
やろうと思えば先程やったようにフルーレから水を高圧水流のような要領で飛ばし、一気に大量の『闇にうごめくもの』を薙ぐことも可能だろう。だがBがそれをしない理由は吝嗇からくるものではない、ましてや決して手を抜いているわけでもない。剣に身を捧げると誓った人生。騎士として、いいや、B本人の矜持や誇りがそうさせているのだ。
語らずとも動きにそれが現れる。洗練された所作、ただならぬ冴え。普段であればそれは見る者を魅了しうるものだが、この場においてはBの姿を注視する人間はいなかった。若者達とアビスとでそれぞれ理由は異なるが。
「…………」
大小入り乱れ、戦闘と言うよりは戦争という響きが似合うBと『闇にうごめくもの』サイドとは相反し、若者達とアビスの方では嫌な沈黙が場を支配していた。
三体一、若者達からすれば数の利を生かして各々別れて攻撃を仕掛けるべきではあるが、戦闘要員としてはアッシュが大部分を占めている。サムソンも戦えないわけではないが、異能を以って対処しなければいけない闇が相手だ。燃える剣と髭では適正は目に見えている。サムソンが率先して仕掛けるということは今も昔もない。
その上ボイジャーはこの中で唯一得物を腰に下げていないあたり戦闘要員ではない。分散すればボイジャーが狙い撃ちにされる危険性がある。サムソンとボイジャーで左方、アッシュで右方と分かれたはものの、アッシュは中々攻撃を仕掛けられずにいた。
「(こいつと手を合わせる場合、厄介なのは闇による攻撃範囲の広さだ。炎を纏わせた剣で払うだけでどうこうできるもんじゃない。あの時の記憶を検めるに、攻撃の対処には両手から炎を出さないと捌ききれない。こちらから攻撃を仕掛ければその瞬間防御が手薄になる。だから安易に攻撃が仕掛けられない。その上……」
今はあの時とは違い、アッシュには炎を出す余力がほとんどない。
攻撃用に剣に炎を纏わせるのがせいぜいで、防御として手から火を出そうものならすぐにでも限界が訪れるのは明白だった。
「(だがしかし、あの時と明確に違う点が一つある。Bさんの存在だ。このままずっとにらみ合いが続けば、いずれBさんは『闇にうごめくもの』を倒しきるかもしれない。そうでないにしても予想外の介入がいつあるか分かったものではない。王からすれば長期戦は避けたいはずだ。それが吉と出るか凶と出るか……)」
サムソンの不安は、アビスが動きを見せるとしたら手を焼くアッシュよりは自分達の方を優先するだろうと踏んでだった。だがしかし、自分の身が可愛いわけではない。あくまでもボイジャーを守りきれるかという点で今後について思いを巡らせていたのだ。
ダンジョンを抜け、玉座の間に来るまでの間にも語られたが、本来ボイジャーの異能はこの城から城下に向けて光を届ける事に焦点をあてて活用する算段だった。本人たちも言っていたように、この場で自分達が死んででもそれだけは行使せねばならないと覚悟は決めている。問題は、どうテラスの方へとボイジャーを活かせるかにある。
攻め手、捌き、城下に向けての光による鼓舞。どの行動をとるにしても、ほぼ被弾が許されない攻撃をしてくるアビスが相手では安易に実行に移せない。この重苦しい沈黙も、空気も、それを助長させた。
そんな沈黙は、若者達にとっては最悪の形で破られる事となる。
「……頃合いか」
冷酷な声色で、相対するアッシュを警戒しつつサムソンらの方へと右手を伸ばすアビス。やがて間の空間に闇がうごめき出すや、アビス以外の全員に嫌な予感が走る。
「てめぇまさか……ッ!」
悪寒が危機感に変わるや、飛びつくようにしてアビスへ斬りかかるアッシュ。
たじろぐというわけでもなく、その場から足を離さずすらりと剣を抜き応戦するアビス。
火花と共に打ち鳴らされる金属音。それは否が応でも戦いの始まりを予感させる。
それは新たに闇が繕われたサムソン側にも同じことが言える。
「やる他ないか……」
懐から短剣を抜くサムソン。相対するは新たに形作られた『闇にうごめくもの』。上位固体とされる”武器持ち”なのはさることながら、不気味なことに頭部には白い面のようなものがついている。点が三つ。シミュラクラ現象の典型例のような、簡素で、それでいて不気味な印象を与える仮面だ。
『……』
そんな特別不気味な容姿の『闇にうごめくもの』だが、何を思ってか動きは見せずにその場で佇んでいた。
仮面の向きからして、視覚があるのならサムソンの手にある短剣を目にしているのが伺える。
サムソンの手にする短剣はただの短剣ではなく刀身には溝がある。所謂ソードブレイカーと呼ばれる類の短剣だ。溝で相手の剣を捉え、てこの要領でへし折る。どちらかといえば防御寄りの得物である。
本来は利き手とは逆の手に持って使う類の得物。長剣を腰に下げていながらそちらは抜かず、ソードブレイカーのみを構えているその姿は武器の心得のある者なら奇異に映るのだろう。意志があるのかは疑わしいが、武器持ちの『闇にうごめくもの』でさえも時折そのような素振りは今までに見せていた。
だがしかし、今回ばかりは沈黙の理由は別にあるといえよう。
『キモ 武 だ。ワレ、そんな趣 は良し しない』
「……!?」
喋った。
武器を持っている上に、今までに見たことのない仮面付きの『闇にうごめくもの』。それだけでもより上位の存在なのかと察することはできるが、喋れもするともなればより一層その仮説も信憑性を帯びる。
発音はたどたどしいながらも、この『闇にうごめくもの』の言い分には誰もが納得できよう。何せ……、
「……やっぱりそれの所見は生物を問わず共通なんだね」
「……」
ソードブレイカーの溝一つ一つに、長い長い髭が巻きつけられているからである。
サムソンの影に隠れるボイジャーもこれには口を開く。見るのはこれが初めてではないにしても、嗚咽を禁じ得ないようで表情は歪んでいた。
アビスの作る闇に抗するには、異能を以って当たらなければいけない。髭を任意に伸ばせる異能のサムソンからすればこうする他ない。
サムソンの几帳面さが現れるようにして、コイルのように綺麗に規則正しく巻かれている髭ではあるが、所詮は髭。ここに来るまでの間に一切使われていないというわけでもないし、所々ちぢれるようにワサワサっと列を乱す髭もある。
そんなおぞましいソードブレイカーは、件の『闇にうごめくもの』が初めて口にする言葉を『キモい』にさせるには十分すぎた。
『早 終わら たい。故 ワレ、キサマ る』
半ばうんざりするようにして、武器を構える仮面付きの『闇にうごめくもの』。敵意は感じられないが、殺意は掲げられた武器を中心にひしひしと伝わってくる。
呼応するようにして、より本腰を入れて構えるサムソン。
基本はアッシュがメイン、サムソンが武器を持たぬボイジャーを護衛というフォーメーションだが、今やもう各夕健闘を祈らざるを得ない。アッシュはアビス、Bは大量の雑兵共、誰をどこにどうと割り振る余裕もない。誰もが、この場では戦う他なかった。
『髭 髭髭髭 キヒヒヒヒヒヒ!!』
「おっと……!?」
動きを見せるや理知的な声色はどこへやら、一転して狂気的な声色で襲い掛かってくる”仮面付き”。直線的な動きなので、ステップを踏むように後ろへ飛び、初撃を躱すサムソン。
避けながら手で制し、ボイジャーを下がらせる様もそう。規則正しい幅のステップもそう。この時のサムソンの動きはBのそれを思わせた。
しかし洗練に洗練を重ねたBのそれは見よう見まね、一日一夜でものに出来るような代物ではない。あくまでも参考、あくまでも指標にと頭の片隅にあった思いがそうさせたのだ。聞きかじりを実戦で試すことを是とする謂れはないし、それはサムソンも心得てはいる。だがしかし、実戦を以って感じたことはある。
「(規則正しい動き……。成程、何故そうも拘った動きをするのかと疑問だったが、こうなれば嫌でも分かる。決まった対処、決まった動き。やろうとするなら冷静にならざるを得ない。俯瞰的に状況が見えてくる。おそらく次は――)」
振りぬくようにしての、大振りの薙ぎ。
しっかりと捉えることはできなかったが、ソードブレイカーで相手の得物をかすめるサムソン。相手の切っ先は髭に抉られ、蒸発するようにして形が消える。
相手からすれば、ある意味ではアッシュの火よりも厄介かもしれない。強力な攻撃ではあるものの、出している限り力を使い続けるアッシュとは違って常に形がある。触れるだけで身を斬る得物。本来はそれが普通といえようが、『闇にうごめくもの』達にとっては同じような自分達の強みを奪われたに等しい。見た目とは相反し、このソードブレイカーの実用性は特筆ものである。
『ギヒアアァッ!? ワレの が 貴様!』
見てくれとしては武器とはいえ、『闇にうごめくもの』にとっては自身の体も同然。一部は一部。切っ先を髭に抉り取られ、苦しみの声をあげる”仮面付き”。
それを見て調子づいたというわけではない。あくまでも俯瞰的に、冷静に状況を見てサムソンは口を開く。
「やるなら今です! ボイジャー、ここは任せて!」
「う、うん……!」
視界の端にテラスへ続く道を捉えつつ応対するボイジャー。
この”仮面付き”を抑えておける時間はそう長くはない――。
サムソンは直感的にそう予感していた。
ただでさえ的の大きい大男だ。それでいて攻撃、防御に使える得物は短剣である。このまま攻撃を捌き続けるのは不可能であると結論付けたのだ。そもそもアッシュとは違い、サムソンはバリバリの戦闘タイプというわけでもない。
剣を握り、戦場に赴くのだ。命を捨てる覚悟は出来ている。
だがしかし、死んでもよいとは思いはしない。
その想いが今、別のものへと変じたのをボイジャーは肌で感じとり、振り向かずしてテラスの方へと駆けだした。