5.闇の間・闇に飲まれよ
「おーえす。おーえす」
「掛け声が何か古臭ぇぞおっさん……」
「いいから引きたまえよ。誰も犠牲にならない素敵な未来の為に」
サムソンの伸び続ける髭を綱引きのような要領でひっぱり続けること早数十分。ついには棺桶一杯に収まるほどの髭がこの場に生成された。
延々と伸び続ける髭もそう。それを引っ張る三人もそう。この光景はシュールそのものだった。だがしかし、終に訪れる結末を思えば誰も文句を言うまい。
『生贄の投下を確認したヨ……。これでよければ棺桶の蓋を閉めてネ……』
内心こんなんでいいのかと像も込みで誰もが思っていることだろう。だがしかし、像がこう言っているのだ。一行にとっては断る所以もあるまい。
髭でいっぱいになった棺桶は一種のホラー作品といってもいい。こんなものを目にする機会は床屋でもなければ……いや、髭だけに限ったのであれば誰でさえもあるまい。次の瞬きを皮切りに髭が襲いかかってきそうな錯覚にさえ陥る不気味な代物だが、Bはそっと棺桶の蓋を閉じ……。
ゴゴゴゴ……。
重苦しい音と共に、扉が開かれた。
ボイジャーに限らず、この光景に関しては誰もが冷めた目で扉が完全に開かれるまでの間その場で固まっていた。半ば当然ともいえる反応であろう。こんな展開、誰もがどう見送ればいいのかなんてのは不明瞭そのものだ。
「……よーし。では進むとしようか諸君……」
「うぃーす……」
『また来てネ……』
「誰が来るか!」
去り際に目に入った像は、どこか寂しげであった。
~
生贄の扉を抜けてしばらく経つも、相変わらず目に見える光景は迷路やダンジョンの様相を呈している。細い道、分かれ道、曲がり角の多さ、相変わらず先は長いと一考に知らしめるべくしてあるような長い道である。
長い道中と踏み、Bが再び口を開く。
「今回はサムソン君のそれがたまたま上手くいったって感じだけど……本来ああいった生贄が要り様って状況で分かりやすく活躍できそうな異能というのはあるのかな? 以前言っていたタライを相手の頭上に作り出すって異能みたいに、適当な生物を作るみたいな異能とかさ……」
「そんなの出来るのなんて神ぐらいだろ。ねぇよそんなの」
アッシュの発言に、半ば何が普通で何が普通でないのか分からなくなるB。
以前サムソンの言っていた説明を検めてみても、より謎は深まるばかりである。
「だとして……ありふれている類のものとして提示した他は何だっけ。唾液を無尽蔵に作る出せるとかなんとか……。そういった異能が使える人はどうやって活用しているのかな……」
同じく水に関連する能力を持つ者としてか、あるいは謎から目を背けるためかBは疑問を口にした。話題は何でもいい。あのまま大量の髭の生贄によって作り出された妙な空気を払拭せんと何かを口にせずにはいられなかったのだ。
その意図は内心誰もが汲んだのだろう。間が開くわけでもなく続けて、
「活用法は色々ありますよ。まず水には困らなくなりますので――」
「……えっ? 他人の唾液飲んでんの? ここの人達……」
訊いておいていきなり話の腰を折ってしまい、内心申し訳ないと思うBだが、サムソンの答えを聞くや反射的に口には出てしまったようだ。内容を思えばそれを責められる者はおるまい。
「……稀にそういうのもあります。キスと同じような感覚だそうです。基本的にどんな活用法であれ、煮沸だ何だはされていますが、主な使われ方は水道等です」
「へ、へぇ……。でも例外もあるにはあるんだ……。口ぶりから察するに煮沸もされていない物もあるみたいな感じだけども……」
「ええ、まあ。アイドルなどが――」
「ああもう結構……。訊いておいてすまないが聞かない方がいい感じがする……」
サムソンの説明を聞くや、Bの顔に嫌悪感が現れたのを見てボイジャーは、
「……よかった。嬉々として食いついていたら見限る決定打になっていましたよ」
「嫌われたものだね……中年に何か恨みでもあるのかな……」
ここに来るまでの間、物理的にも心情的にも距離をとられ続けていたのもそう。
何だったらボクっ娘なのもそう。ボイジャーにとっては中年という存在そのものが何か思うところが合うのかとボイジャーの反応を見ていたBであるが、
「……何ですかえっち」
「いや、失礼……。何かしたかなと思って」
言葉を返されるや目を逸らすB。
内心中年が年頃の娘をジロジロ見ていたこの状況こそが事案なのではと、Bは中年特有の寒気を後になって感じていた。
「僕の異能が唾液関連だとかでも思ってました?」
「い、いいや……」
「唾液じゃなくて****とか****とか」
「やめなさい淑女。後が気まずくなるから」
若い娘との距離感がつかめない中年男性。それ自体は珍しい光景ではないが、生き死にが隣り合わせなこの状況ではそれを良しとはできないのは必定である。
「まあ発端はおっさんの射――」
「まだあれ引きずってんの!? 多分今ぐらいならああはならないから――」
「だから改めて見ろやって? サイッテー……」
「いや違う違う。また何かこじれて……」
~
髭の棺桶による何とも言えぬ空気は解決できてか否か。和気藹々とまではいかないものの、会話は途切れずしてダンジョンを進む一行。
やがてまた先程の生贄の間のように意味ありげな部屋へと足を踏み入れるも、此度はあの像のように丁寧な説明がなされることもなかった。
「何もない……? 扉も、あの像みたいなナビゲーションも……」
「無きゃ無いで結構だがな。あんなの」
意味ありげに設けられた部屋であれ、内部はボイジャーが言うように何もなかった。
行き止まりかと真っ先に思う者、罠の類かと警戒する者。各々考えていたことは異なるが、それは突然訪れた。
―――――――。
「……!」
「何だ……ッ!?」
突然の、視界の消失。
霞むようにしてというわけでもない。陽から陰。一から零。
あまりにも突然に、それ故警戒も心構えもする余地もなくしてその場の全員の視界が闇に染まった。
ある者は状況を確かめるべくか目をこすり、ある者は皆の存在を確かめるために腕を虚空に伸ばす。突然の視界の消失には相応な反応だろう。だがしかし、この場において不自然なまでに落ち着いている男が一人いた。
「ひっ……!? 何かかかった!? かけられた!?」
闇の中、何かをされたのか慌てふためくボイジャー。
内容と状況を思えば映画館内等でのサイレント露出の類を想起させる。
「え、何……誰? 僕は何をかけられたの……?」
「――アッシュ君! 明かりを灯して!」
狼狽するボイジャーを尻目に張り詰めた声色で言葉を紡ぐB。
アッシュもBの考えとは似通っているところがあるのか、詮索することもなく手元に火を作り出した。
場に明かりが灯った刹那、一行の周りに映ったものは――。
「やはりか――!」
どこから湧いて出たのか無数の『闇にうごめくもの』達。
ただでさえ形が捉えづらい存在が闇の中無数に並んでおり、何体この場にいるのか数える気さえも起こさない。先程の生贄の間が仲間内で亀裂を生むのが主目的の部屋なら、ここはその疲弊した心にトドメを刺しに来る場。そんな印象を与えさせる。
「予期してた風だな。だが俺の火は長くはもたねぇぞ!」
「構わない。一旦消してもいいから三人で固まって!」
相手取るのは自分が引き受けると言わんばかりの声色だ。実際、何ならアッシュの炎によって灯りがともされる以前からBはこの場で戦闘を開始していた。
この場において明かりを灯せるも、燃費の悪いアッシュの能力。そして相手の頭数。総合して考えればBの言葉には刃向う意図もないが、疑問には事欠かない。
「一人でどうするつもりだおっさん!」
「説明してる暇はない! 固まって、できれば伏せてて!」
元々力はほぼ使い切っていたアッシュだ。ダンジョン探索の時間を経て多少は回復したはものの、灯す対象無しで維持するのは劣悪の燃費を誇る火の異能。限界が訪れるのにそう時間はかからず、やがてBの指示通り若者三人で固まることとなった。
つかの間の灯りも消え、何も見えぬ闇の中、若者の周囲ではBが戦闘をしている物音が響く。闇の中であっても相も変わらず、規則正しい足運び、整った呼吸。以前目の当たりにした美しい所作が目に見えるような物音であったが、その物音にも変化が訪れる。
ぴちゃ――。ぴちゃ――。
戦闘時においては不穏ともいえる水音。足元から血だまりの上で跳ねているような水音がこの場へ割り行った。
「……まさかおっさん血出てるのか!?」
「いいや違う。心配には及ばんよ。あまり動かないでくれ、探りづらくなる」
「どういうこ――」
会話の途中でアッシュ達の足元へも変化が訪れる。
先程までとは一転。見えはしないものの、靴越しに足元の変化を各々知覚した。
血にしてはさらさらとした手触りの液体。先程の発言を参照するにBの血ではない。異能を以って攻撃すれば蒸発するようにして消える『闇にうごめくもの』の血でもない。
足元一面を張る液体の正体に目途がつくや、先程のBの発言の意図も次第に察せられた。
Bは周囲に水を張り、その水を起点に周りの様子を探りながら戦っているのだと。
水が張る以上足音を隠すことは不可能。だが音による情報が増えるとはいえ、視覚を奪われても難なく戦えているという事実は若者たちを驚愕させるには十分だった。この場合、音で探りながら戦っているという判断材料さえもが畏怖の対象になり得る。
「成程……最初かかってきた飛沫もその走りだと……」
「ご明察だレディ。だがしかし、苦肉の策としてこういう想定もしていたが、こんな戦い方普段は全くしない。誰か隠し玉があるのならやってくれないかな。流石にこのまま終わりがいつ訪れるのかも分からず戦い続けるのは中年には無理だ」
弱音の類ともとれる発言をしつつも、Bの出す足音には乱れは現れない。少し前にも見たような規則正しい足運び、崩れる事のない呼吸。届く情報が音だけでも若者達にはあの洗練された所作が頭に浮かぶ。
だが、こんな戦い方がいつまでも続かないことは誰の目から見ても明らかだった。目隠しをされて普段通りに戦えるのか。普通は有無を言わさず無理であろう。Bが普通でないにしても、ギリギリの状況であることは疑いようがない。
「……ボイジャー。やるしかねぇ」
「……僕のこれは秘匿性が大事なんだ。本当に今なのかな。床だってこんな有様だし――」
「言ってる場合か! 部外者のおっさんの屍を足蹴に成功を収めたとて、それは後に絶対に綻びになる。そんなことになりゃあいつに会わすそれは勿論、どんな顔をして過ごしていいのか分かったもんじゃねぇ。お前だってそうだろう」
「恩義や面子からそうしろと?」
「実利も含めてだ」
「……わかった」
アッシュとボイジャー間で話はひと段落済んだのか、その場で動きを見せる二人。
姿は見えないが、何をしているのかはBの耳にはつぶさに届いた。今のBは視覚こそ奪われど――いや、むしろ視覚を封じられたからこそ他の感覚は鋭敏そのものだ。
衣擦れ。はらりと何かが落ちる軽い音。追従する水音。湿り。滲み。吐息。
「んっ……ぃや……ん。どこ触って――」
「見えねぇんだ。仕方ねぇだろ」
何をやっているのだろう。
窮地だ。命の危機だ。ある意味ではそうしたくなる気持ちも分からなくはない。
けどこの流れで今か。Bは内心そう思った。
「あぁっ……もうびしゃびしゃ……」
「準備は済んだか? ほら」
「ね、ねぇ……。君達何をして――」
思い浮かべていた内容が内容なだけに、介入しない方がよいのかとも思えたがBの口は自然に動く。
何を意図してかは分からない。けれど視覚を封じて今も尚戦えているBである。この時得られた情報から服を脱いでいるという仮説は信じたくないとは思うも、他に何か仮説が浮かぶことはなく、到底払拭はできずにいた。
「あ? おっさんの求めてた隠し玉だよ。隠し玉……フフッ……」
「面白くないわ。けれどみんな目を閉じてて。いきなりだと目がやられるかも」
目を開けていようが閉じていようが何も見えないこの状況において、ボイジャーのその台詞はこれから起こることを予期させるには十分だった。
「…………」
この場においての始まりと同様。突然場に変化が訪れる。
始まりの時とは違い、あたり一面がそれに覆われるとまではいかないにしろ、周囲の状況を視認するには困らない程度の光がボイジャーを中心に発された。光の中心にいるのでボイジャーの姿は眩くて見えないにしろ、Bはこの光景を見て切実に感じたことがある。
「(そんな能力あるなら最初から使えばよかったのに……)」
「よし、これなら俺も参入できる。逆側は任せなおっさん。頃合いを見てこの場を脱そう」
「あぁ……そうだね」
いつの間にかコートを脱ぎ払っていたアッシュにそう持ちかけられ、半ば死んだ目で応対するB。状況がそうさせようものだ。ボイジャーの隠し玉も然り、周りに見える『闇にうごめくもの』の詳細も視認できたのもある。
周囲を囲む『闇にうごめくもの』に武器持ちは見受けられなかった。そのまま特に苦戦することもなく一人、また一人とBとアッシュで順調に数を減らしていたその時、
「……悪い知らせです。入口が閉じています」
サムソンより文字通りの悲報が告げられた。
「……そりゃ結構。あいつらも数は減らせはするものの、時折湧いて出てくる。本来はここで『闇に飲まれよ』って算段か」
「わざと脱獄させ、泳がせた末ここで始末。悪趣味なゴールだね……」
「ですが諦めるには早いです。数が減ってからまた活路については――。ん?」
状況を検めている最中、サムソンは何かに気付いたようだ。
Bとアッシュは戦闘を、ボイジャーは光源をとで、この状況で一番頭を働かせやすいのはサムソンである。それを差し引いたとしても、この状況で瞬時にそれに気付けた事実は普段のサムソンがどういう人間なのかを垣間見えさせる。
「どしたのサムソン?」
「天井に光を向けてくれませんか?」
「えっ、それって更に濡れろって言っているようなものじゃ……」
「承知の上です……。ですが活路が開けるやもしれません」
「……もう」
あくまでもBとアッシュの戦闘には支障が出ない程度のわずかな時間ではあったが、天井にと光が届くやサムソンの中で答えは出た。
そして、本日二度目となる髭の増毛へと着手したのである。火と水を操りながら戦う二人を挟み、光を発する者の傍で髭を伸ばし繕うその姿の印象は到底賢者のそれではなかったが、この気付きによって一行はダンジョンを脱することが叶うことになる。