桜の下で
桜が咲き誇る、小さな公園のベンチに腰掛けゆったりと眺めていると、ふと声をかけられた。
「やっほ、久しぶり。隣、座っていい?」
そこに居たのは大学の同期だった女の子だった。腰まで伸びた黒のストレートが、白く美しい顔をより際立たせる。一瞬見惚れてしまった意識を慌てて戻し、了承の意を返す。
「あぁ、お久しぶりです。どうぞ座ってください」
最後に見てからもう三年になるだろうか。学生時代には仲良かった奴らとも、最近は連絡を取っていない気がする。
「有紗さんもお花見ですか?」
ただ並んで花を見てるだけというのも良いとは思うが、人といるのにただ何もなく過ぎていく時間に耐えられず、つい話しかけてしまった。
「相変わらずその口調は変わらないね。あとその答えはノーだよ。ふと気づいたら君がいたから、ちょっとね」
「あぁ、そうでしたか」
「逆に、君はどうして?」
「僕ですか? ……桜を見て好きな女性の事を考えてました」
彼女がそこに踏み込んで来なかったため、そう言ったきり話は途切れてしまった。なんとも言えない間に心底悶えるが、どうしようもなく静かな時は過ぎていく。
が、それは長くは続かなかった。
「君が連絡をくれなくなってから、もう三年も経った。社会人になって忙しいからって、ちょっと薄情じゃないかなって私は思うよ」
「いやでもそれは」
「言い訳無用!」
少し拗ねた顔をした彼女に、言いかけた言葉は遮られる。
「あーあ。君のこと少し気になってたのになぁ」
チラチラとこちらを窺う彼女に胸がときめいてしまうが、どうせ適当な嘘だろう。そんな感情は隅に置いといて、彼女と同じように、今度は僕から一方的に話す。
「三年前の今日、ある一人の女性がとある小さな公園の前の道路で、子供を庇って車に轢かれました。打ち所が悪く即死だったそうです」
「ん?突然なんの話をしているの?」
突然のことについて行けないという顔をする彼女を無視して話を進める。
「その女性のお陰で子供は救われました。そして亡くなった後、その勇気を賞して市で表彰されました」
「うん? 凄く悲しい事だけど、良い話だね」
あぁ、そうだ。凄く良い話なのだ。その女性が死んでいなければ、だが。
「えぇ、良い話ですよ。とてもかっこいいと思います。それが他人事ならば、ですけど」
「……??」
何を言っているのか分からない。そんな困惑が今彼女を覆い尽くしているだろうことは顔を見れば分かる。でも、もう分かる。
「賞された女性の名前は乃木 有紗。年齢22歳。その事故が起こったのはとある大学の卒業式。その帰りでした」
「……あぁ、そっか」
そこまで聞いて漸く気づいたようだ。全てのことに。
「連絡を寄越さなかったのは、君じゃなくて私だったんだ。そっか」
長い髪が、俯いた彼女の顔を覆い隠す。そしてふるふると軽く頭を振ってから、こちらを見た。
「ねぇ、一つ聞いても良い?」
「いいですよ」
聞かれる事は、多分これじゃないか、と思っている。そして、それに答える事は多分、今しかできない。
「君が考えてた好きな子って、私、だったりする……?」
少し心配そうな顔に思わず手に力が篭る。突然の事で準備も出来ていない。ずっと怖くて避けてきたことだ。しかし今言わずしてどうするのだ。勇気を出せ、出すんだ。
「えぇ、そうですよ。……いや、そうだよ。僕は君が好きだ。三年経った今でも、ずっと」
触りたい。手を繋ぎたい。今すぐ抱きしめたい。目の前に感じるのに、手が届きそうで届かない。もどかしさに焼かれそうだ。
「そっか、私達は両思いだったんだね」
そう言ってはにかむ彼女が、心なしか薄くなっている気がする。形が、輪郭がぼやけ、歪む。
「私がした事は間違って無いと思う。でも、生きてたらすっっっごい幸せを味わえてたのかな」
これは僕の涙のせいか、それとも
「また、会えるかな。いつもみたいになんだか距離がある君じゃなくて、同じ目線で話してくれる私が大好きな君と」
「会える。また来年、ここで会うんだ!」
もう会えないかもしれない。去年も、一昨年も見ることのなかった彼女が今日突然現れた理由も分からない。けど、ここには彼女が眠っているのだ。
「僕は、ずっと君のことを忘れない。君と過ごした時間を、君がくれた思い出を。絶対に」
「うん、またね」
涙を零しながら笑う彼女は小さく手を振って、消えていった。
彼女は消えた。約束はしたが、もう会う事は、その姿を見る事は叶わないだろう。それでも僕はここに来続ける。例えいくつ歳を取っても。
公園の前にある道路脇に、小さな花束と共にお姉さんへ。と書かれた手紙がひっそりと置かれていた。