第7話「Ready、aim、fire!(side リリーナ)」
全身を揺さぶる強烈な殺気。そして索敵の目に映りこむ歪んだ闇。
それを察知した時、私は何も考えずに映司の体へ飛び込んだ。斬撃が生み出す空気の振動を背中に感じて、直後に液体を孕んだ重いものがべちゃっと転がる音が耳に響く。
悲鳴に似た叫び声と漂う血の匂い。それが私の神経を大きく逆立てた。ここはかつて私がいた戦場と何も変わらない。
「……なに男の胸の中にいるのよ。珍しいこともあるものね。ド腐れ貧乳」
聞きたくなかった声だ。
温かく、しかし震えている映司の胸元から上半身を起こして。声の主を見る彼の恐怖に濡れた顔に私はそっと口を近づけた。
「逃げろ。映司」
「久しぶりじゃない。銀の賢者。それと……刻印のあなた」
「早く!」
ムチに打たれたかのように映司の体が大きく震えた。彼は一瞬、躊躇するかのように私の目を見て。だけど私が頷くと同時に立ち上がりその場から駆けだす。
映司のその背中を見て、私は立ち上がると声のした方向へ目線を動かす。そこにいるのは、クソッたれの牛ババァだ。
死神シオン・デスサイズは、アフトクラトラスにいた転移前と何も変わらず大鎌を持ち立っている。
殺意を呼び起こす。もう佐久間映司はいない。ここは安全な異世界などではなく、血と戦に塗れたアフトクラトラスと同じだ。
「その目、いいわね。ちょっと前までのあなたはつまらない顔をしていたわ。その殺意にまみれた顔のほうが私は好きよ」
「胸糞悪い言葉を吐くな。クソッタレ女」
私の吐いた言葉を愉快に感じているかのごとく、シオンは口角をあげている。
奴が履いている黒いブーツがゆっくり動き、ガラスの破片がぱきっと割れた。
「調子、戻ったかしら?」
「ふん。律儀に待ってるとは優しいじゃないか。シオン」
「無抵抗なあなたを斬ったところで嬉しくないもの。それよりしばらく見ないうちにあなたのほうが随分、優しくなったじゃない。先にあの刻印の彼を逃がすなんてね」
「理由はなんだ? 何故、彼に刻印をつけた? お前のことだ。人畜無害な人間にそんな手間などかけないだろう。それを覆し、何の変哲もないただの少年に刻印をつけるその理由はなんだ?」
私の問いにシオンは口角をあげた。まるで無知な者を嘲笑うかのような表情が私の神経を荒立たせる。
「あなたの言う通り。その辺のゴミなら刻印などつけたりはしない。そう。ただの人間ならね」
「それはどういう意味だ!?」
「おしゃべりはここまで。さてあなたの首、狩らせてもらうわ。彼はその後にしましょう。ここなら彼女の声も聞こえない。女神の目も感じない。私を止める者はこの世界には存在しない」
殺気が突き刺さる。暴虐に荒れ狂う闇を全身から立ち昇らせて。死神はゆっくりと大鎌を構えた。その姿は、アフトクラトラスで戦ってきた奴と大差ない強大さを私に感じさせた。
手元に武器はない。精霊魔法も使えない。まさに絶体絶命の状況。だが私の索敵の目は、こちらへ向かってくる数人の男を察知していた。
シオンが今にも飛びかかろうとしたその時、男達がなだれ込んでくる。紺色の制服に手には銃。おそらく「警察」と呼ばれる組織の者達だろう。
彼らは一斉にシオンへ銃口を向ける。「止まれ!」という制止命令にシオンは従うはずがなかった。だが私にとってそれは想定内だ。
シオンの体が動く。それと同時に鳴り響く発砲音。
銃弾は奴の体にめり込み銃創を刻む。だが体に穴を開けようと死神は構うことなく大鎌を振るった。
斬撃により目の前が鮮血に濡れる。私は切り裂かれる男達に構うことなく前へ踏み込んだ。
刃が掠めたと同時に発動した「透明な体」により景色に溶け込み、血の煙幕でシオンの視界から注意を逸らす。
狙いは首。素早く背後へ回り右手でシオンの顎を掴み、左手を頭に添える。「全能力強化」により強化された膂力でシオンの首を捻じ曲げた。
手に響く頸椎損傷の感触。口から血を滴らせながら、なおもシオンの紅玉が見えないはずの私を見据えている。
その目に全身をざわつかせながらも私は、シオンの体を地面に叩きつけると全力でその場から走り出した。
首の骨を折った程度で奴は止まらない。すぐにでも再生し私を追撃するだろう。死神相手に接近戦など命がいくつあっても足りない。
それにシオンは気が付いたはずだ。あの戦闘状態において私が精霊魔法を使わなかったことを。この世界では精霊魔法が使えない。奴がそう認識するのは難しくないはずだ。
このまま逃げ切れるとは到底、思えない。魔法障壁の殻に閉じこもってやり過ごせる相手でもない。次に奴と鉢合わせになる時に攻める手段が無ければ、死神の刃は私に到達するかもしれない。
守りに徹して勝てる相手じゃない。攻撃は最大の防御だ。
武器がいる。奴を仕留める武器が!
その時、全身を駆け巡る殺気。咄嗟に身をかがめる。
刹那。頭の上に大鎌が通り過ぎた振動が響く。
「あら? かわされた?」
「お前が律儀に首を狙うのはお見通しだ! この脳筋牛女!」
即座に魔法障壁を展開。体勢を立て直した直後を狙った斬撃を受け止める。
しかしまるで見えない壁を押し付けられているかのような圧力が全身を襲った。切り裂かれはしないものの、斬撃の威力で障壁ごとはじき飛ばされた。
「あなた……弱くなった?」
私自身、信じられないほどの強度の無さ。
原因はわからないが、少なからずアフトクラトラスにいた頃の私と同じ戦い方はできない。気を抜くと障壁ごと真っ二つにされそうだ。
よろけて尻餅をついた私めがけてシオンが迫る。奴はこの隙を逃すつもりはないらしい。
咄嗟に発動したのは念動力。それで近くにあった鉄の大棚を動かしシオンへ叩きつける。
意識外からの一撃。さらに重い鉄製だ。シオンの体は押し潰され動きを止める。棚の隙間からとめどなく血が流れ出ていた。
生死を確認するまでもなく私はその場から駆けだす。
「死んでたまるか! 私はもう、一人じゃない!」
念動力で周囲にある棚を全て通路に叩きつけて即席のバリケードを作成。そしてある部屋に私は転がり込む。
周囲に人の気配はない。おそらく建物内の人間はみな避難したのだろう。映司も無事に外に出ていたらいいが。
武器になりそうなものを探す。その時、私の目に飛び込んできたのは一つの大きな銃。たしか「ショットガン」と呼ばれるこの世界の武器。名前は「レミントンM870」だ。
この展示場で唯一の模型ではない実銃。そして横に備え付けられているのは実包だ。
私は咄嗟に「全能力強化」を行使し素手でガラスを叩き割る。ショットガンを取り出すと両手で抱きかかえた。
手に圧し掛かる重さと鉄の冷たさ。それを感じて頭の中によぎるのは不安。
武器は手に入れた。だがこれでシオンを本当に止めることができるのか? あの警察の銃ですら怯むことが無かった化け物を、一発の銃弾だけで可能なのか?
その時、何気なく地面に置いた手に何かが当たる。見るとそれは黒い本だった。
声がする。黒い本に呼び起こされた記憶の中に眠る映司の声が。
『あの持ってる本は?』
『たぶん聖書だろ。経典みたいなもんさ』
『なるほど。神聖な書か』
脳裏によぎる映司との会話。聖書。神聖な書物。人が信仰を捧げた物には光の精霊が宿る。これならこの世界でもわずかに精霊の力を行使できるかもしれない。
聖書を手に取りいくつかのページを破り、右手で包み込み祈った。
精神を集中させ精霊に語りかける。ほんのわずかだが確かに感じる。精霊の残滓を。精霊の息吹を。
「女神の名において汝に命ずる。力を貸せ!」
包み込んだ聖書の紙切れが光に包まれた。それは私の指先へと収束し青白い球体を成す。
私は光る指先でゆっくりと実包に文字を刻み込んだ。
神聖魔法付与。銃弾に効果があるかはわからない。だがもしあると仮定すれば、これで奴の頭を吹き飛ばせば死神といえどもただでは済まないはず。
ドクンと跳ね上がる心臓の鼓動と鳴りやまぬ警笛。こちらに向かって吹き飛んでいくバリケードは、死神が迫る証だ。
思い描く。この銃を使う自分を。資料で見た扱い方をトレースする。
クロスボルトを左右から押し込んでセイフティを解除。ローディングポートからショットシェルをチューブマガジンへ押し込み、フォアエンド引いて戻す。
硬質な響きと共に装填完了。ふと視線がレミントンM870の銃身へ向いた。そこには何やら文字が書かれている。
これと同じものをこの銃の資料でも見た。
『Ready、aim、fire!』
言葉を脳裏に刻み短く目を閉じる。心臓は平穏を保ち、銃撃に対する不安はもはやない。
その時、全身を揺さぶるのは強烈な殺気。すぐそこまでシオンが迫ってきていた。
赤い眼光と私の瞳が交差する。風を切りシオンが斬撃体勢に入ったと同時にレミントンM870の銃口を向ける。
「遅い。その首。もらったわ」
わずかだがシオンの斬撃のほうが早い。自らの再生能力に絶対の自信をもっているがゆえの躊躇ない踏み込み。それが刹那の差で私より先に刃を繰り出したか。
しかし奴の斬撃は私に届かなかった。
シオンの体が衝撃により一瞬、止まる。私の視界に入ったのは、後ろから奴の脇腹へと銃剣を刺し込む映司の姿。
私はその瞬間、トリガーを引いた。
「伏せろ! 映司!」
鼓膜が破れんばかりの爆音と体に走る衝撃。レミントンM870の銃口から白煙と共に発射された無数のペレットがシオンの頭を吹き飛ばす。
私は予想外の反動に体勢を崩し尻餅をついた。映司は頭を押さえ床に伏せている。
死神は床に大の字になって転がっていた。顎から上は損失し周辺は血の海となっている。再生しないところを見ると、どうやらショットシェルに刻んだ神聖魔法は効果があったようだ。
私はレミントンM870を抱きかかえると、おそるおそる顔をあげた映司に声をかけた。
「……なんで逃げてないんだ。死んでいたかもしれないぞ」
「あんたおいて一人逃げれるかっての! って死神はどうなったんだ?」
「君のすぐ傍に転がってるが見ないほうがいい。昼に食べたハンバーグを全部、床にぶちまけることになるぞ?」
「うえぇ。見ないでおくわ……」
顔面を蒼白とさせる映司を一目みて、安堵感が沸き上がってくる。
だが情けないことに腰を抜かしたのか下半身に力が入らない。その時、うまく立ち上がれない私の目の前に映司が手を差し伸べてきた。
「ほら。早くここから逃げようぜ」
凄惨な状況にも関わらず優しい映司の言葉に私は微笑みで返した。
その時、遠くから視線を感じた。まるで戦況を観察するような目。だがそこに敵意は感じない。
視線の主は気になるがまずはこの場から離れることが先決だろう。
そう思った私は、映司の手を握り立ち上がった。
彼の手は温かくそれでいて力強かった。