第59話「少女達の想い(side リリーナ)」
目の前は暗闇に包まれて。私はベッドに寝転がっていた。
赤坂に連れられてコールドスリープの施設を見学して。その後、天城の経営するカフェ「クラシオン」の二階に到着するなり、灯りもつけずにベッドへ直行した。
肉体的に疲れているわけではなく、ただ頭の中で繰り広げられる思考の海に没頭したかっただけだった。
目をつぶると浮かび上がるのは夕暮れ。
私は映司のマンションの近くにある公園にいた。隣では栗林京子が、物思いにふけっているような虚ろな目で、ぼんやりと空を眺めていた。
「それで、話ってなんだ?」
突然、切り出した内容にも京子の反応は鈍くて。まるで人形と喋っているような気分になる。
ただ耳は聞こえているようで、彼女は私の声にチラリと視線を移すと、再び赤い空を見つめた。
「ねぇ。映司の寿命のやつ、どうなってんの? 助かるんだよね?」
「五分五分といったところか。断言はできない。だが、それでも百パーセント助からない状態から、助かるかもしれないに進展したのは事実だ」
「あたしにできることは?」
「ない。映司が希望を失わないように支え、そして、耐えろ」
それは京子だけでない、私自身にも当てはまっていた。
けっして物理的に耐えることじゃない。心の忍耐だ。絶望に打ちひしがれないように。ティナを永遠の眠りへ突き落しても泣き出さないように。
そして、何より希望を捨てない忍耐。映司だけじゃない、関係するすべての人間にそれは求められている。
「耐えろ……か。まぁ、あたしは映司の奴に本心を言いたくても言わないでずっと耐えてきたからさ。忍耐力はあるつもりだよ。今までずっと待ってたんだから、これから先も待てるよ。ただ……」
「ただ?」
「あんたはどうするの? これから先、映司のもとにずっといたいわけ?」
京子の問いに私は同じように真っ赤な空を見上げて。
これは前にも決めたことだ。映司と一緒に生きたい。だけど、もし彼が拒むなら救った後にアフトクラトラスへ戻ると。
「正直な話、私は彼と共にいたい。でも、もし彼がそれを拒むなら……」
「そんなわけないでしょ」
まるで言葉尻を捉えるように彼女の鋭い声が切り裂いた。
「映司がそんな事するわけがない。それはあんたが怖がっているだけだよ。あいつが苦しんで、絶望する様を見た時に、立ち上がらせる勇気を与える自信がないだけなんだ。自分でそれを感じていて、だけど映司ならきっと拒みはしないことを知っている、そんな自分に逃げているだけ。卑怯者の言い草よ」
京子の言葉に私は苦笑した。
反論する気も起きない。何故ならすべて的を得ているからだ。
「でも、そんなあんたじゃないと、何かあった時に映司を立ち直らせることができない。たぶんあたしじゃ無理。『待ってる』なんて言っといてなんだけど、……察しちゃった。あんたやティナちゃんといるアイツを見て。もうここにあたしが入り込む余地なんてないんだって」
無言で京子の顔を見つめる。そこに涙などなく、陰りの余韻を含ませながらもどこか晴れやかな顔。
誰よりも映司を好きだった彼女だからこそ、彼の意思を尊重しているのだろう。私なんかと違って強い女だ。
「馬鹿だよね。いつかは振り向いてくれるって待っていたらこの様。あんたを卑怯者呼ばわりしたけど、あたしだって人のこと言えないわ。こんな結果になるんなら、殻なんてさっさと破り出て映司をしっかり掴んでおくんだった。……でも泣かない。父さんが死んだって聞いた時、枯れるくらい泣いたから」
突然、私を見た京子の視線と混ざり合う。そこにあるのは、凛とした強い意思を感じる瞳。
「お願い。絶対、映司を助けて」
◇ ◇ ◇
ゆっくり目を開けて。
広がるのは暗闇に包まれた天井。それに腕を伸ばして、見慣れた自分の手を見つめる。
いったい、この手に何人の想いが詰まっているのだろうか。
京子だけじゃない。ティナの想いも。
◇ ◇ ◇
十二月二十五日、クリスマスの日。
映司が家を出た後、私はティナに呼ばれた。テーブルの上に紅茶を置いた後、彼女はおもむろに私に語りだした。
「私に話って、どうしたの?」
「実は刻印について、お話したいことがあって」
「……どこで刻印の情報を? 赤坂か誰かから聞いたの?」
「いえ。わたしにそれを教えてくれたのは、……死神さんです」
「はい?」
あまりに予想外の答えに、あやうく私はティーカップを落としそうになった。相変わらずシオン・デスサイズという女は、私の発想の斜め上をいくらしい。
狡猾な奴のことだ。何か裏があるのかと思考を巡らせたが、ティナに魂縛されている状態で策略を練る意味がない。なぜなら操作されたりしない限りは、ティナが「魂縛を解除してください」と言うはずがないからだ。
思慮も感じられず、ましてや策略の類でもない発言。それはつまり奴の「気まぐれ」に他ならない。
「夢、うーん。夢だと思います。そこで死神さんと会ったんです」
頬に指を添え、記憶を探るように小首を傾げるティナ。可愛らしい仕草だが、彼女の場合はどうにも不安が付きまとう。
「今まで、あの人の存在を認識できるようになっても、話をすることはできなかったんです。だけど、なぜかその日は会話できて。それで思い切ってわたしから訊いたんです。刻印って何なのかって」
「それで、奴はなんて?」
「『私の体を失った時、行先を示すもの』だと言われました」
行先を示すもの。その意味は刻印を持つ人間へ移り変わることか。
死神の本体は魂だ。そして、刻印を施した人間を自らの体として活動する。ティナのような依代とは違い、死神が肉体を完全に失った場合の保険なんだ。
その時、口に含んでいた紅茶の味が消し飛んだ。沸き上がるのは不安、恐怖。その一方で、対策を練るべく高速で駆け巡る思考の渦。
最悪のケースになりかねない。
なぜなら、映司は刻印を持っている。つまり、彼が刻印によって死ぬだけではなく、体を乗っ取られる可能性も出てきたからだ。
それと同時に、ティナがこの話を私と二人っきりの時に切り出した理由を察した。
「……なるほど。それで私と二人で話をしたかったわけか」
「はい。映司君がこれを知れば、もしかしたら、自分が死神になってでもわたしを助けようと考えそうだから」
「馬鹿映司だしな」
「それで、このことを踏まえた上でリリーナさんにお願いがあります。……映司君のこと、よろしくお願いします。彼を立ち直らせてください。この先、映司君がとても辛い思いをする結果になると思います。その時、傷ついた彼を癒せるのはリリーナさんだけだから」
ふわりと慈愛に満ちた微笑みを浮かべながらも、悲しみを秘めたエメラルドの瞳を見つめて。
ティナの言葉の真意を理解した私は、全身が固まるのを感じた。彼女がその決断をするのを予測していなかったわけではない。しかし、コールドスリープに同意した時、眠り姫となる結末でもそれが彼女の救いになると信じていた。
だけど、心の奥底でその決断が最も適切であることを否定できなかった。
指からするりと落ちたティーカップがテーブルの上を転がる。ほんのわずかに残っていた紅茶が目の前を赤く染める中、私にはそれが鮮血に見えていた。
足掻いても結局は両方、救うことなどできない。天秤は片方にしか傾かない。
「……ティナ。君はまさか……」
「本当はリリーナさんと彼を取り合う未来も良かったかな、なんて思っています。わたしだとあなたには絶対、勝てないけど、それでもあの人のそばで生きていけたらなって。でもわたしはここで終わりです。あとはリリーナさんが……彼を幸せにしてあげてください」
その時、テーブルの上に広がる赤茶色に落ちた雫が混ざる。溢れ出た涙が止まらなかった。
「……私にそんな資格があるとでも本気で言うのか!? 殺人者である私に彼を幸せにすることなんて、できるはずがない!」
「いいえ、できます」
まるで血が通っていないかのように冷たい私の手を、ティナが優しく包み込んだ。
その温かさは氷のように凍てついた私の体を……いや、心を溶かしていく。
「できますよ。今のリリーナさんなら。絶対に」
天使のような笑顔を見せながらそう語るティナを、私は両手で抱きしめた。
◇ ◇ ◇
暗闇の中、私はベッドから起き上がった。
そして、部屋の奥にあるタンスの引き出しを開ける。そこに収められているのは小型の拳銃、デリンジャーだ。
ティナは「その決断を変えることはないの?」という私の問いに「はい」と答えた。
そんな彼女に私ができることは一つしかない。




