第52話「地獄からの脱出」
ティナの体から闇が噴き出した。
それは彼女の体を包み込んで。そして、霧散して消え去ったと同時に、俺の目の前には長い黒髪が揺れていた。
鋭利な大鎌と纏わりつくような冷たい殺気。さらに血のように赤く輝く瞳。
俺に刻印をつけ、リリーナを苦しめ、そして、ティナの未来を変えた実の母親の体を持つ死神……シオン・デスサイズだ。
「どうやってその女の首をはねるか。ずっと機会を伺っていたわ。思わぬ形でそれが舞い降りるとはね」
シオンは辺り一面に散らばるアグレスだった「残骸」を一目見て。俺はその瞳に寒気を覚えた。
確かにもう「人の形」を成していない。だけど元は人間だった。それを彼女はまるで道端に落ちているゴミを見ているような目で見ていた。死神と呼ばれる存在の本質をそこに垣間見たような気がした。
それと同時に沸き上がってくるもの。それは絶対にリリーナを死なせないという固い決意。
「さて、その子の首、渡してもらいましょうか」
「嫌だ。この手は離さない」
俺はおぞましい殺気に震えながらもリリーナの体をギュッと抱きしめた。
それを見てシオンは呆れたかのように肩をすくめて。
「その貧乳女の何がいいのかしらね。理解できないわ」
死神の右手に握られた大鎌の刃が妖しく輝く。
その時、俺が感じたのは違和感だ。初めてこの女に会った時を振り返った際に感じたものと同じ。
なんで、コイツは……俺を殺さない?
そんなにリリーナを殺したければ、俺ごとその大鎌で切り裂けば済むはず。
ただの余裕から来る行動なのかもしれない。ただ、俺にはとてもそうは見えなかった。死神シオンには俺を殺せない理由が何かある。俺の考えが正しければこの場を切り抜けられるかもしれない。リリーナを守る事ができるかもしれない。
俺はリリーナを抱きしめる腕にさらに力を込めた。その様子を見て死神は口からため息を吐き出す。
「あなたも馬鹿ね。そんな女、ほっといて逃げればいいのよ。このままだと二人とも死ぬわよ?」
「だめだ。俺は死んでもこの手を離さない」
「そう」
シオンの赤い瞳が鋭さを増したように見えた。
絶えず張り付けていた冷笑が消えて。少し歪んだ唇と睨みつける目は苛立ちの証。
大鎌が頭上まで振り上がるのが見えて、俺はリリーナをかばうように背中を見せた。その時、俺は斬られない自信があった。身も凍えるような殺意の中でも俺は希望を見ていた。
そして、それは一発の銃声と共に俺に手を差し伸べてきた。
目を見開く。確かにそこにいた。
アサルトライフルでシオンを狙い撃つ桐生さんの姿が。
俺は咄嗟にリリーナを抱きかかえると全力で走り出す。
桐生さんの横を飛び込むように駆け抜けると、背中に風を感じた。それと同時に耳に響くのは巨大な爆発音。爆風を背に俺と桐生さんはほぼ並んで通路を駆けだす。
「あの死神相手によく無事だったな!」
「リリーナが言ってたんですよ! もし奴と遭遇して逃げられないと判断したら『おしゃべりをしろ』って! そうすると奴は乗ってくる。それで時間を稼げってね!」
「たいした度胸だよ」
「でも桐生さん、非常階段のルートが奴に塞がれましたよ!? どこから逃げます!?」
「通路はそこだけじゃない。もう片方のルートからエレベーターへ向かう。敵部隊もうちの部隊も全員、撤退済みだよ。この建物には俺と映司君とリリーちゃん、そして死神しかいない!」
走りながら桐生さんは何かを二つ、俺達の後ろに投げつけた。
直後、突き抜ける閃光と爆発。揺らめく炎の中、何かがうごめている。体の半分を吹き飛ばしながら、それでも俺達を捉えて離さない真紅の瞳。片腕と片足だけの死神がゆっくりと起き上がっていた。
手榴弾で体を欠損しながらもなおも追い続けるその姿に、俺は背筋に戦慄が走る。そして、あらためて俺達が戦わなければならない相手が化け物である事を知った。
「こっちだ!」
桐生さんに促され右折。奥は非常灯のみの暗闇が続く。
駆け抜けていくその先には一つの扉があった。桐生さんが解除カードを差し込みコードを入力。扉が開くその先にあるのはエレベーターだった。
中へ飛び込むと一階を指定し、桐生さんがアサルトライフルを扉に向けて銃撃。閉まりかかるその先で死神の頭が血しぶきと共にのけぞるのが見えた。
下がっていくエレベーターの中でアサルトライフルの弾薬を確認しながら、桐生さんがつぶやく。
「生きた心地がしねぇ。あれはまさに死神だよ。撃っても死なねぇ。吹き飛ばしても追ってくる。今、オレ達がいるのは戦場じゃねぇ。地獄だよ」
桐生さんの彫りの深い顔が、俺の腕の中で意識を失っているリリーナへ向けられた。
それはどこか優しげで。まるで自分の娘を見ているような表情だった。
「そんな地獄をリリーちゃんは生き抜いてきたんだ。本当に大した子だよ。でもな。この子は本当はそんな地獄を経験しなくていいんだ。前にいた世界がそうだったんなら、この世界では静かに穏やかに生きるべきだよ。なぁ映司君。彼女、大切にしてやんな」
俺の腕の中で眠るリリーナへ目線を移す。
もし生きてきた世界が違ったら。彼女は血塗られた道を歩むのではなく、きっともっと幸せな未来があったんだと思う。前の世界の彼女と今、俺に抱かれている彼女がどちらが正しいのか俺にはわからない。
ただ少なからず脳裏を過るリリーナの笑顔は、幸せそうだと俺には思えた。そして、今いるこの世界が……血塗られた場所ではなく、家族と暮らす温かい世界が彼女には必要なんだって。
そのためにも俺は、ここで死ぬわけにはいかない。
エレベーターが一階に到着。扉が開くその時、上部にドスンと何かが落下する音が響いた。
直後、「伏せろ!」という桐生さんの鋭い声に俺は慌てて姿勢を低くする。その瞬間、俺の頭があった位置を金属が擦れる金切り音と共に黒い大鎌が切り裂いていった。
背筋が凍る。もし桐生さんの叫び声がほんの数秒遅かったら。今ごろ俺は死んでいた。
「くたばれぇ!」
桐生さんが伏せながらアサルトライフルを連射。爆音と衝撃が全身を揺さぶる中、「走れ!」と短く叫んだ。
扉が開いた先に決死の思いで飛び込む。後ろを見ると桐生さんも俺のすぐ後を追っていた。その向こうでエレベーターの上部を破り死神シオンが飛び降りる。全身に銃創を刻みながらも平然と立ち、血に濡れた赤い瞳を輝かせた。
その時、目に映るのは外の景色。暗い通路の先に開いているそれは俺にとって地獄からの脱出口に他ならなかった。
「桐生さん、出口です!」
外に飛び出すと後ろを振り返る。すると桐生さんは何を思ったか走るのをやめた。
追ってくる死神を迎え撃つように背中を見せる彼の横顔はどこか笑っていたように見えた。そして俺はその時、桐生さんが何をしようとしているのか理解してしまった。
「桐生さん! 早く! こっちに!」
彼は、一人で死神を足止めする気だ。
「なぁ。映司君。京子に会ったら伝えてくれ。オレはもう死んでる。だからオレの事なんか忘れて幸せになれって。いつまでも死んだ人間の事を気にかけちゃだめだって。……じゃあな」
死神が目の前まで迫る。桐生さんは逃げる素振りさえ見せない。
シオンが大鎌を振りかぶったその時、俺は見た。桐生さんが腰に巻き付けた複数の手榴弾のピンを同時に抜くのを。
「なぁ、死神さんよ。あんたの体、映司君の母親なんだろ? なぁ、シオンさんよ。母親であるシオンさんよ。子供ってな親を選べねぇ。だからこそ親ってのは、子供がこの人から生まれてよかったって思えるように愛するもんさ」
「なんの話だ? 時間稼ぎにしては陳腐だな」
「お前も親なんだろ? それならよ。自分の息子である佐久間映司が自分を愛する女を守って戦っているのによ。それなのにお前はそれをぶち壊すつもりなのか!」
漆黒の刃が桐生さんの体に触れそうになった瞬間、死神の動きが止まった。
小刻みに震える体と赤い瞳に垣間見えるのは動揺。俺にはそう思えた。まるで死神の動きを「体が止めている」ように見えた。
しかし、全身を刺す殺意が再び噴出したかと思うと、死神の瞳が血のように赤く輝く。
「言いたいことはそれだけか。ゴミ」
俺の目の前で大鎌が駆け抜けた。
刃は桐生さんの体を分断させ、周辺に血しぶきが舞う。それと同時に目に飛び込むのは閃光と爆発。
手榴弾によって入り口が破壊され、飛び散った壁の破片と白煙に包まれながら炎が上がる。その向こうに死神の姿は見えない。
「佐久間君! 乗りたまえ!」
茫然とする俺に赤坂さんの声が響いた。
咄嗟に車のドアを開けて中に飛び込む。それと同時にタイヤがけたたましい音を立てて、車が加速した。
運転席に座る赤坂さんに視線を移す。普段、冷静沈着なイメージを持つ彼はそこにはいなくて。
ドンッと車のハンドルを叩く音が聞こえる。赤坂さんの握り拳が震えていた。
その時、車に備え付けられている無線から声が聞こえる。
『銀狼撤退完了。敵部隊も撤退した模様』
「尾行しているな?」
『滞りなく』
「死んでも食らいつけ。決して逃がすな。あの場所を知っているのはごく限られている。部隊を動かした人間を突き止める」
『了解』
赤坂さんの表情は見えない。
だけどその背中からは、まるで炎のように怒りが噴出しているように俺には思えた。
「この落とし前は必ずつけさせてやる!」




