第51話「死を賭して守りたいもの」
継続的に鳴り響くサブマシンガンの銃声が通路にこだました。
乱射するアグレスに対しリリーナは平然と立っている。俺の目の前に立つ彼女に銃弾の雨は届かず、見えない壁によってすべて弾かれ火花が散っていた。
魔法障壁。初めて間近で見るそれに、銃撃すら弾くその強度に俺は驚いて。弾切れしたのか乱射が止んだその時、リリーナのベレッタから白煙が上がった。
二発の銃弾はサブマシンガンを持つ指を弾き飛ばし、アグレスの頭部に銃創を刻む。それでも死ぬ事なくアグレスは、額に穴を開けたまま狂気じみた笑みを浮かべた。
彼はズボンに手を突っ込むと何かを取り出す。それは一本の注射器だった。
アグレスは突然、それを首に突き刺すと得体の知れない液体を流し込んでいく。甲高い笑い声をあげて、目の焦点が合っていない。まるで麻薬中毒者のようだ。
薬の効果か、即座に傷口を再生させアグレスが突っ込んでくる。リリーナが冷静に銃弾を当てていく中、血しぶきをまき散らしながらも迫るアグレスに、俺は吐き気と共に恐怖を覚えた。
血だらけの手がリリーナへ伸びたその時、アグレスの動きがついに止まる。足元に大量の血痕を散りばめ、うつむいた顔面からは大量の血液が滴っていた。
明らかに再生能力が追い付いていない。俺にはそう見えた。
「……たとえバイオテクノロジーと魔法技術を組み合わせたとしても再生には限界がある。いくら真似たところでお前は死神にはなれない。どうだ? 九ミリの弾丸をまとめて頭部に食らった気分は? さぞかしイケメンになっているだろうな」
「は……はっはっははは! 悔しいですが貴女と私では役者が違い過ぎる。まともに戦っていては勝てない。認めましょう」
アグレスが顔を上げた。顔面銃創だらけで頬が削げ落ち、再生しきれていない部分は骨も見えている。
吐き気を催す醜悪な顔で彼は口角を上げた。
「しかし、これならどうですか?」
アグレスの目が不気味に輝いたかと思うと突然、俺の体に変化が起きた。
まるで見えない腕に首を絞められているような感覚。息ができず喉が詰まる苦しさに、見えない腕を解こうと俺はもがき続けた。
「映司!?」
「念動力は貴女の専売特許ではありませんよ。さて銃を下ろしてもらえますか。確かに私は満身創痍ですがまだ数発は耐えますよ? その間に彼の首の骨を折るくらいは造作もないですからね」
二人の会話もどんどん遠のいていく。まるで泥沼に沈むように意識が混濁していく。視界が黒く染まっていった。
その時、真っ暗な地面からゆっくりと手が伸びてきた。美しい女の手。だけどその持ち主は血のように赤い瞳をしている。
死神シオン・デスサイズだった。
そうか。俺はこのまま死ぬのか。そして、あんたの生け贄になるのか。
死神に体を掴まれそうになるその時、突然、俺の意識は現実に戻った。
急激に喉を通る空気に思わずせき込む。心臓が激しく動悸する中、ぼんやりと浮かぶのは両手に握ったベレッタを下げたリリーナの姿だった。
なんで、どうしてって、言おうと口を開くが声が出ない。あともう少しでアグレスを倒せるはずだったのに。俺がさっさとティナを連れて逃げないから、リリーナの足を引っ張る形になってしまった。
リリーナを盾にして逃げるなんてできない。そんな甘い考えがかえって彼女を窮地に陥れてしまった。
そんな後悔の念が頭をよぎるその時、俺の目の前でアグレスの血に濡れた腕がリリーナの首を掴んだ。
ベレッタが地面に落ちる乾いた音がする。足を浮かせもがくリリーナをアグレスはさらに締め上げた。
「残念ですよ。あなたを殺さなければならない。あの方の指示ですからね。不本意ですが……誠に不本意ではありますが……美しい。実に美しい! 貴女のその苦悶の表情と骨のきしむ音が合わさり素晴らしい演奏を奏でている! 悲鳴がないのは少し寂しいですが、貴女にそれは似合いませんからねぇ」
アグレスの醜悪な顔が恍惚に歪む。俺はリリーナを助けたくて、それでも体が動かない。ただ手だけがゆっくりと彼女に伸びていった。
その時、確かに見えた。苦しみながらも俺を見たリリーナの口が動くのを。
「逃げろ」
たった三文字のその言葉を彼女は言っていた。自分が死ぬかもしれないのに、それでもリリーナは俺の命を優先していた。
「あぁ、いつまでも感じていたい! この首が締まる感触を、貴女の小刻みに震える感触も、死神と同様に唯一、人の中で敬愛に値する貴女を殺すこの背徳感が……実にいい! いいぃぃぃッ!」
絶叫を響かせアグレスがさらにグッとリリーナの体を持ち上げ首を締め上げる。
その時、彼女の抵抗する手がだらりと下がった。首を斜めに垂らして、口から一筋の血を流しているリリーナの瞳孔は開いていた。
サファイアの瞳に光はない。俺は一瞬、何が起きたか理解できなかった。信じたくなかった。
全身が震えた。あの死神すら撃退した彼女が死ぬはずなんてない。そう信じ込んだ。だけどリリーナの体はピクリとも動かない。
「……あれ、もう終わりですか。やれやれ、楽しい時間というものは何故、こうも早く過ぎ去るものなのですかねぇ」
茫然する俺を捨て置き、アグレスは腰から一本のナイフを取り出しリリーナの首元へと当てた。
「戦利品でも獲得していきますか。貴女の首をホルマリンに漬けて、そう。それを眺めながらワインを飲むのは、想像しただけで格別な体験ですねぇ」
その瞬間、力がみなぎる感覚が走った。
動く。体も足も腕も。リリーナの首を落とすなんてそんな事させるわけにはいかない!
今まで何度も俺を助けてきた彼女の姿が浮かび上がる。こんな所でリリーナが死ぬはずなんてないんだ。
「リリーナを……放せぇぇぇ!」
俺は低い姿勢から思いっきり体をアグレスにぶつけた。
おそらく想定外だった俺の反撃にアグレスは、体勢を崩し床に転がる。その時、奴の手からリリーナが解かれ目の前に倒れた。
すぐさま彼女に手を差し伸べようとした瞬間、俺の腹部に衝撃が走る。横っ腹を誰かに思いっきり蹴られた。
肋骨が軋み痛みが駆け巡る。俺は悶え苦しみながらも見上げた先に、怒り狂ったかのように顔面を歪めた醜悪なアグレスが立っていた。
「何してんだよこの生ごみがっ! まったく何の価値もないゴミに限って必ず私の邪魔をする!」
銃口がゆっくりと俺に向けられる。
もう成す術がなかった。ここで暴れたところでどうする事もできない。撃たれたら俺は死ぬ。リリーナもティナも助けられない。
目の前で吹き上がる白煙。アグレスが引き金を引いたのを感じて。俺は思わず目を閉じた。
体に走るのは燃えるような熱さと痛み。それは頬に伝っていた。目を開けると俺の頬から血が流れていて。その時、銃弾は俺のすぐ脇を通り過ぎていった事を知った。
アグレスの体が歪んでいる。床に彼が持っていた銃が転がった乾いた音がして。右手から血を流しアグレスは銃創だらけの顔で目を見開いていた。
「……映司に触れるな」
後ろから響いたリリーナの声に俺は思わず振り向いた。
彼女は生きていた。口から血を流しながら銃口をアグレスに向けるサファイアの瞳は、怒りを体現するかのように青白く輝いている。
「首の骨を折ったくらいで、私が死ぬとでも思ったかっ!」
その瞬間、アグレスの体が大きく揺れる。
彼は宙に浮いていた。そしてまるで雑巾を絞るかのように体が捻じれ歪んでいく。
「なんだ!? なんだこの念動力は!? こんな規格外のバカげた力などあり得ない! あり得ないぃぃぃっ!」
苦悶の表情と絶叫を響かせ、アグレスの体が引き裂かれた。
空中で三等分に分断された体は、周囲に血をまき散らし床に散らばる。
「……汚い花火だ」
リリーナがまるで糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちそうになる。俺は咄嗟に彼女を抱きかかえた。腕の中でリリーナは吐血しうなだれている。
だけど俺を見つめる彼女の表情はどこか穏やかだった。
「なんで逃げないんだ。この馬鹿映司」
「逃げられるかよ! お前ほっといて逃げるわけにはいかないだろ!」
「……そうだったな。あの銃器展示会でも……君は私を置いて逃げなかったな」
ゆっくりとリリーナは目を閉じる。そして動かなくなった。
吐血量からどう見ても重傷。最後の力を振り絞ってアグレスを殺した感じだった。ティナも撃たれているし、早くここから出て病院に行かないと二人とも危ない。
だけど、さすがに二人を抱えて走るのは俺には無理だ。咄嗟に無線に口を近づける。誰か反応してくれるのを信じて。
「あの、佐久間映司です。誰か助けてください。リリーナとティナが怪我をして、俺だけだと連れていけないので、誰でもいいからここに来てく……」
その瞬間、俺の喉元に刃を突き付けられるような殺気が体全身を襲った。
背筋が凍る程の寒気と恐怖を感じながら、俺はゆっくりと振り向いた。そこに力なく茫然と立っているティナの姿があった。不気味でまるで幽鬼のように音もなくそこにいた。
ワンピースを血で濡らし目を閉じている彼女は、ゆっくりと瞳を開ける。それは見慣れたエメラルドではなく、血のように赤い死神の瞳だった。
彼女の血の気の引いた唇が妖しく歪む。
「待っていたわ。この時を」




