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第4話「家族ごっこ」

 俺の目の前で今、人が死んだ。

 突然、横切ったバイクで頭を潰されて。座り込んだ形になっている上半身はバイクで見えないが、壁は血まみれになっていた。

 そして俺の耳に確かに聞こえた「死ね」という言葉。目の前の少女が言った。彼女は何のためらいもなく人を殺した。それが俺には信じられなかった。

 ムクムクと頭をもたげる罪悪感と恐怖に全身が震えた。


「あんた……今……」


 震えた俺の声に彼女は振り返る。サファイアの瞳は氷のように冷たくて、だけど物悲しげに見えた。


「殺した。刃渡りは見立てで約六センチほど。急所に刺されば最悪、死に至る刃だ。殺さなければこちらが殺される。当然の行為(・・・・・)だ」


「当然とかいうな!」


 突然、叫んだ俺に彼女はびっくりしたように目を大きくして。そんなリリーナの手を強引に掴むと早足で歩きはじめる。

 ざっと見たら周りに人はいない。もし目撃者がいたら叫び声の一つや二つは上がるはずだ。

 リリーナがどうやってあのバイクを動かしたのかはわからない。だけどおそらく「バイクが勝手に動いて男を潰した」なんて誰も信じない。事故だと思われるだろう。

 とにかくこの場を離れたかった。罪悪感で胸がチクチクと痛む。


「離せ! またはじき飛ばされたいのか!?」


「いいから! 黙っててくれ!」


 声を荒げる俺にリリーナは黙り込んだ。

 遠くで人が集まってきたのか騒がしい声が小さく響いていた。



 ◇ ◇ ◇



 家に着くなり出迎えたティナの「おかえり」という拙い日本語を無視し、無言で部屋へと入っていくリリーナと対照的に俺は肩で大きく息をしていた。

 ティナは俺と彼女の間に流れる険悪ムードを察したのだろう。少し寂しそうな翠眼で俺を見つめている。

 

 すぐにその場から逃げる。この判断が正しかったのかどうか俺にはわからない。

 ただあの場にいて仮に救急車なり呼んだら警察が来る。そうすると疑われるのはリリーナだ。魔法なんて信じられないだろうし、バイクが勝手に動いて潰したなんて供述は信用されないだろう。

 彼女を守るために逃走という考えしか浮かばなかった。


 当の本人であるリリーナはリビングにいくとソファーに腰かける。

 テーブルの上に積まれたのは国語辞典と百科事典、それとポケット六法全書だ。そのうち六法全書を手に取り読み始めた彼女の前に俺は立った。

 やっぱりどうしても言いたかった。君に人殺しなんてしてほしくないと。


「人殺しはだめだ」


 短くいったその言葉にリリーナは、六法全書をパタンと閉じて俺をじっと見据えている。そのサファイアの瞳は寒気が漂うほど冷たかった。

 しばらく見つめ合った後、彼女の口から出たのは大きなため息だった。


「……今まで、自分の為、仲間の為、人でも魔物でも殺してきた。礼を言われることはあったが否定されたのははじめてだ。私は君の命を守ったんだぞ? あの場で私があの男を殺さなければ、あの刃は君をも貫いていた可能性があるのを理解しているか?」


「理解している。だけどだめだ」


「それじゃ君はあの場で刺し殺されてもかまわないということか? それともこの六法全書とかいう本が君の命を守ってくれるのか? この世界の事も少し知った。警察という組織があることも知った。だが彼らは所詮、事後処理だ。事が起きてから動く。だがそれでは遅い」


「それでも。俺はあんたに人殺しはしてほしくない。あんただって本当はそんなことしたくないんだろ」


「ふん。今さらそんなこと思ったりはしない」


「だったら、なんであんなに悲しい顔をするんだよ」


 俺の言葉に一瞬、リリーナは言葉を詰まらせた。そのサファイアの瞳は大きく見開いて驚いているように見える。だけどそれは瞬く間に怒りの色に染まった。


「悲しいだと? 私が? あれだけ人を殺しておいて悲しいだと? 知った風な口を聞くな!」


 すくっとリリーナはソファーから立ち上がって歩き出す。彼女からほのかに立ち昇るかぐわしい香りが寂しくそこに残っていた。

 玄関で靴を履きドアノブに手をかけながら、彼女の動きが止まる。こちらに視線を移すことなく声が響いた。


「……君とは分かりあえない。住んでいた世界が違いすぎる」


 ティナが向こうの言語で声をかけるも、振り返ることなくリリーナは家を出ていった。俺はただその背中だけを見つめていた。

 金色の髪が揺れる。玄関と俺の顔を交互に見つめて。ティナは何か思い立ったのか紙に文字を書き始めた。そして俺の目の前にそれを見せる。

 急いで書いたのか、お世辞にも綺麗とは言えない字で。だけど優しさに溢れた日本語だった。


『追いかけましょう? リリーナさん、きっと待ってます』


『それに映司君とはわかりあえると思います。だってわたし達は、家族ですから』


 家族。その言葉がとても心に温かく響いた。

 そうなんだ。孤独なティナとリリーナにとってこの家は唯一の憩いの場。その中で暮らす俺達はもう家族のようなものなんだ。

 家族なら多少のすれ違いがあってもいずれは笑って過ごせる。分かりあえる時もくる。そう思えた。

 うなずく俺にティナの笑顔が答えていた。

 


 夕暮れ時。赤い空が広がり、周囲は次第に薄暗くなってきていた。

 家を飛び出した俺は、手当たり次第に近場でリリーナが行きそうな場所を探す。彼女が家を出てからそんなに時間は経っていない。まだ近くにいるはずだった。


 周囲を見渡しながら早足で歩く俺の視線に一瞬、銀色が輝いた。

 住んでいるマンションから少し離れた場所にある小さな公園。そこの椅子に一人の少女が座っていた。遠くからでもはっきりわかるほど目立つ銀色の髪に白い肌。間違いなくリリーナだった。

 

 俺は何も言わずに隣に座る。彼女は視線を上げることなくただじっとしていた。

 どんな言葉をかけようかと思案しているその時、リリーナは突然、その小さな口からため息を出した。


「……道に迷った」


「は?」


「笑いたければ笑え。『住んでいた世界が違う』なんて言って飛び出しておいてこのザマだ。元きた道すらわからない」


「それは仕方ないんじゃね? だってこの世界にきてまだ一日足らずなんだろ? 元の世界はどうなんだか知らないけど都会は道が複雑だしな」


 確かに椋見市のような都会は道が複雑に入り組んでいる。とはいえ俺の家からこの公園まで歩いて数分の距離だから、もしかしたらリリーナは方向音痴なのかもしれない。自覚なさそうだけど。

 ふと見るとその綺麗な顔に疲れた様子が伺えた。彷徨ったあげくにこの公園にきたみたいだった。家を飛び出した時の冷たい雰囲気は欠片もない。


 俺は途中で買った天然水のペットボトルを彼女にそっと渡す。リリーナはそれを無言で受け取ると、整った唇へ流し込んだ。


「……この世界の水は美味いな」


 そしてペットボトルの蓋をキュッと閉めて。チラリとサファイアの瞳が俺を見つめる。


「まだ何か言いたそうだな。さっきの話の続きか?」


「……あんたの言う通りだよ。確かに俺とあんたじゃ住んでいた世界が違うかもしれない。だけど俺はあえて言いたい。あんたに人は殺してほしくない。法律がどうとか生き方がどうとか関係なく、俺があんたにしてほしくない」


「どうして?」


「……家族みたいもんだから」


 その言葉にリリーナは「ふんっ」と鼻で笑って。でもその顔はどこか穏やかだった。

 俺はてっきり馬鹿にされるかと思っていた。いくらなんでも出会って一日足らずで家族認定とか頭イカれてると思われるかもしれないし、ただのお人よしだと一蹴されてもおかしくない。


 ただ俺はこの時、リリーナを含め彼女達にある思いを馳せていた。前の世界のことは知らない。もしかしたら過酷な環境で生きていたのかもしれない。だからこそ俺だけは優しくなろう。温かく迎えてあげよう。それこそ家族のように。そう考えていた。


「そんなことを言うのはティナか?」


「え、なんでわかるの?」


「彼女なら言いそうだからな。話してみてわかったが彼女は人の温かさを求めている。そんな彼女にとって君の家は楽園なのだろう」


「まぁ本当の家族っていうより家族ごっこなんだけどな。それでも俺はティナからそれを言われた時、思ったよ。形だけでもいい。家族でいてもいいんじゃないかってさ」


「……お人よしめ。どうみても負担は君が一番、重く圧し掛かるというのに。本当に馬鹿な男だ」


 相変わらずというべきか。口の悪さが際立つ彼女だが表情は温かい。あの冷徹さも欠片もない。これが彼女の本当の顔なんだと俺は思った。

 いきなり椅子から立ち上がるとリリーナは短くつぶやいた。


「腹が減った。帰る」


「俺の家に?」


「君の家以外にどこにいけというんだ。今日の晩御飯はなんだ? 昨日の『かれーらいす』なる食べ物は美味かったぞ」


「あと家にあるの中華丼と牛丼のレトルトかなぁ。今度買い出しいかないとな」


 彼女に続いて俺も立ち上がる。そして俺よりもずっと低い位置にあるリリーナの瞳をまっすぐ見つめた。

 薄暗くなる中、その瞳は澄んだ湖みたいに青く輝いていた。


「帰ろうぜ。俺の家に」


 彼女が無言で頷くのを見て歩き始める。その時、後ろから「佐久間映司」とはっきり名前を呼ばれた。

 振り返るとリリーナが立ち止まって俺を見つめている。温かくそれでいて全てを見透かすような青い瞳を向けて、彼女の口がゆっくり動いた。


「君が刻印をつけられた経緯を話せ。”家族”なら聞いたほうがいいだろう?」


 驚いた俺の顔を見た後、彼女は少し恥ずかしそうに視線を逸らして。


「君のいう家族ごっこというやつに付き合ってやる」


 その言葉に俺は笑顔で答えた。

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